私の提言

奨励賞

病気に罹患しても働き続けられる安心社会の実現にむけて

幡地 佑有子

 一人の人が定年までの間に病気に一度も罹患することなく生活をする、それは現代においては当たり前こととは言えない。医療が進歩し、様々な病気の治療法が見つかっている。そのおかげで、昔であれば亡くなっていた病気に罹患しても、その病気を抱えながら長い期間生きられるようになった。昔であれば不治の病とされていた病気でも、その病気の治療を続けながら、仕事や生活を送る事ができるようになった病気も多くある。また、医学の進歩した現在においても、治療法のない病気はいまだ多く存在し、そのような難病を抱えながらも生活を送っている人もいる。
 そのような事情から、現代においては、昔に比べて、様々な病気を抱えながら、日常生活を送っている人は増えていると思われる。例えば、昔であれば、癌は不治の病というイメージがあり、罹患すると入院しそのまま亡くなる方も多かったが、今では、抗がん剤の治療は入院ではなく外来で行う事も非常に多くなり、普段の家庭での生活を続けながら癌の治療を並行して行うという人も多く存在する。癌以外にも、膠原病など、長く付き合っていかなければならない慢性の疾患に罹患しても、状態が安定していれば十分就労可能な病気も多くなってきている。
 しかし、未だ、病気を理由に解雇を宣告されたり、病気のために労務負荷の少ない部署への移動を申請してもそれを却下され退職せざるを得なかったり、周りに迷惑をかけているというプレッシャーを感じるなどで自ら職場を退職してしまう人も多くいるのが現状である。病気を理由に解雇する、退職に追い込む、というのはパワハラに相当すると思われるが、病気になっている当人は、自分がこれまでと同様の仕事量をこなす事ができないという負い目に感じている気持ちもあり、どこかに申し立てることもなく泣き寝入りしていることが多いものと推察される。病気の症状が重い時期であれば、何か大事にしてそちらに体力やお金をとられたくないという思いもあるだろう。
 また、病気に罹患した人が自身の仕事の今後について周囲の人に相談した場合、多くの人は「身体が一番だから治療に集中するために仕事は辞めるべき。」であるとか、「仕事のストレスは病気に悪影響を及ぼすから仕事は辞めた方が良い。」といった趣旨の助言をしがちである。そのため、助言を受けた本人も、「身体のために仕事は辞めた方が良いのかもしれない。」と思ってしまいがちである。そのため、会社から病気を理由に解雇されたり、労務負荷の少ない部署への移動希望を却下された場合に退職せざるを得なくなっても、「身体のためには仕事を辞めた方がいいのだから。」という気持ちもあり、どこに申し立てることもなく、そのまま仕事を辞めてしまうのである。
 私は、「身体が一番だから身体のために仕事を辞めるべき。」という安易なアドバイスこそ「悪」であると考える。もちろん、事情をしっかり聴いて、その上で仕事を辞めた方が良いと判断してアドバイスをするのは構わない。しかし、このようなアドバイスをする人は、大抵、しっかり事情を聴くでもなく、病気に罹患している本人が仕事を辞めた後に経済的に十分やっていけるのかであるとか、退職したあとに社会的に孤立しないのかであるとか、そういった将来の事を何ら考慮することもなく、当たり障りのない回答として、「身体が一番だから」と「仕事をやめた方が良い」という2つの社交辞令の定番のワードを繰り出すのである。これは、貴方の事を心配している、という印象を相手に与えるが、実際のところ、相手の事を本当に心配してはいない、ただの当たり障りのない表面上の返答なのである。しかし、「身体が一番だから」と「仕事のストレスは身体に良くないので身体の為に仕事をやめた方が良い」という2つのワードは、病気に罹患している本人をとても苦しめる。
 あたかも、「病気に罹患している状態で仕事を続ける事は身体に良くない事である」というような考えを、病気の罹患者に押し付ける事にもなるし、無理をして働き続けている自分がまるで悪い事をしているかのような罪悪感に苛まれる事さえあるのである。
 病気に罹患すると、お金がかかる。普段の生活費に加え、治療費、病院までの交通費。そして、就労中は会社が折半してくれていた健康保険や厚生年金も、全額自分で支払わなくてはならなくなるし、退職して収入がゼロになっても、前年度の所得に応じた住民税が課税されるため、自分で考えているよりも多くのお金がでていく事になる。思っていたよりもあっというまに貯金がなくなってしまうだろう。それで肝心の治療費が払えなくなって病気の治療が続けられなくなったり、食費を削って十分な栄養が取れなくなっては本末転倒である。病気で体調が悪い時に、お金の心配をしなければならないのは辛い。ましてや、お金が無くなって、体調が悪い時に再就職しようと思って求職活動をしたり、全く新しい職場に入職して新しい仕事を覚えるというのは、心身ともに負担が大きいのである。
 そのような経済的な事情を説明することなく、安易に今の仕事を辞めるように助言するのは無責任としか言いようがないのである。慣れた職場で慣れた仕事を続け、収入を得続けるというのが、最も心身への負担が少なく安定して治療を続けられる可能性が高い、という人も多いはずである。ある一定期間休養と治療をすれば確実に完治する病気であれば、仕事を辞めて休養し、完治してから新しい仕事を探して就職するということが出来ると思われるが、完治が難しい慢性疾患の場合は、仕事を辞めても経済的に困窮するだけということになりかねない。
 よく、「仕事のストレスが病気の治療に悪影響である」などと言って仕事を辞めるように助言する人がいるが、本当に病気に罹患した本人が仕事を苦痛に感じているのかどうか状況を聞きもしないで、一律にこのようにアドバイスをするのは間違いである。仕事が生きがいの人もいるし、別に仕事は好きではないけれどストレスでもないという人もいるし、時々ストレスに感じる事もあるが楽しい事もあると言う人もいる。中には、本当に仕事のストレスが健康状態に多大な影響を与えており、仕事を辞める方がいいといえる人もいるだろう。しかし、病気になってからは仕事に出ているときの方が仕事に集中したり職場の人と交流したりして息抜きになるという人もいる。その人の事情をききもせずに、一律に「仕事=ストレス」と考えるのは間違いである。
 特に問題なのが、職場の人間関係しか社会的なつながりがないという人である。このような状況の人が、病気になって仕事を辞めてしまった場合、社会との繋がりが全くなくなり、孤立してしまうことがある。病院への通院日以外は、自宅でずっとひとりぼっちで誰とも話さないという状況になったり、何か困りごとができた時も、誰にも助けを求める事ができないという状況になってしまう。人間は社会的動物と言われているように、社会的な繋がりが全くない生活では、精神の健康を保つことは難しい。身体疾患の病気に罹患して、身体を大事にするために仕事はストレスになるから退職するようにアドバイスされて退職し、退職後に社会的つながりが一切ない日々を過ごすうちに、うつ病を発症してしまうということもあるかもしれないし、それでは本末転倒である。
 また、病気に罹患したばかりの時は、人間は変化に弱くなるし、変化に対してストレスを感じる事が多い。病気に罹患してすぐのタイミングで、人に相談したり、仕事を辞める事になるというケースが多いと思われるが、このような時に生活が一変してしまうことこそ、本人にとっては大きなストレスになり、これまでの生活を何とか周囲に支えて貰いながら続けて行く事の方が精神的なストレスは少ない場合が多いと思われる。また、ただでさえ病気が発覚して精神的動揺が大きい時に、退職という重大な決断をすること自体が大きなストレスであるし、もう少し落ち着いて考えていればと後悔することにもなりかねない。
 人が生きていくには、お金と社会的つながりが必要である。そして、病気に罹患すると、治療費や困った時に助けて貰わなけばならない機会が増えるという点において、健康な人以上に、お金と社会的つながりが必要になる。
 そうである以上、病気に罹患しても、仕事を継続できることが重要であり、そのような社会の実現は、病気に罹患した本人のためにも、雇う企業にとってもメリットがあることだと考える。
 病気を抱えながら働き続ける事の、本人に対するメリットはこれまでにも述べてきたが、経済的な安定が得られること(現在の収入と年金や退職金などの将来の収入)、社会的つながりが持ち続けられる事、生活を一変させることによるストレスの防止、がある。
 雇う企業にとってのメリットは、企業に有用なスキルのある人材の流出防止が挙げられるだろう。
 長年勤めて企業の事を良く知っている人、その企業の仕事に慣れている人が退職することはデメリットである。新たに人を雇って育成するのには時間も費用もかかる。また、病気を理由にした解雇は、パワハラ事例として訴訟になる可能性もあり企業イメージを損なう可能性もある。
 このように、病気を抱えた人が、仕事を辞めずに続けていくことは双方にメリットがあることであり、また、いつ何時自分が病気に罹患するかも分からないのであって、決して他人事ではなく、病気を抱えながらも安心して仕事が続けられる制度、社会をつくることは、急務であると考える。
 では、病気を抱えた人が安心して働き続けられるには、どのような事が必要か以下考えていきたい。
 まず必要なのは、企業側が病気を理由に解雇や自主退職を迫る行為があったときに労働者が相談できる場所をつくることである。個人で訴訟まで行うとなると負担が大きく、特にそれまで信頼していた上司に相談した結果退職を迫られた時には病気の当人にとっては精神的ショックが大きく、泣き寝入りしてしまうので、個人の代わりに公的な機関として企業に対して、病気を発症したことを理由とする解雇は不当であるとの対応をとってくれる機関が不可欠である。そして、そのような対応をされた際に相談できる公的な窓口が必要である。厚生労働省がそのような窓口を設置してもよいし、労働組合に設置されていてもよいし、NPO法人であってもよい。とにかく、企業外部にそのような窓口があることが肝要と考える。
 企業側には、病気を抱えながらも労働を継続できる制度の拡充を求める。これまで通りの労働負荷を継続することが困難な場合、本人が就労を継続できる労務の種類の部署へ異動ができるような制度や、現行のままの部署であっても、時短勤務や労働日数を減らす措置、労務負荷の軽減、などを本人が希望すればそれを実現できる、病気サポート制度のようなものがあれば、病気があっても退職せずに済む。そして、時短などで労務負荷を軽減する以上、軽減された労務分は給与がそれまでよりも減るという公正な仕組みにすれば、企業側にも損はなく、また労働者本人にとっても周囲に対する遠慮の気持ちも生まれずに堂々と労務を減らして働くことができる。やはり、やっかいなのは人間関係であり、週3日勤務や、16時に帰宅などの時短勤務や、当人の労務負荷を減らすため周囲に労務負担を振り分けた場合に、当人の給与がそれまでと変わらなければ、周囲の労働者で快く思わない者が出てくるのが必定である。そうなれば、本人も当然職場に居辛くなってしまう。職場で働き続ける事のメリットの一つの社会的つながりが損なわれしまっては意味がないので、周囲との関係を良好に保つ意味でも、労務負荷を軽減した分は当人の給与から減額したり、もしくはその労務負荷を分担して請け負った周囲の人間にサポート補助手当などの名目で補償が支払われるようになれば、公平な制度として本人も周囲も納得して使用できる。
 急な風邪やインフルエンザで数日~1週間休んで周りに仕事を助けてもらう場合とはわけが違い、時短勤務や労務負荷を長期、病気の種類によっては定年までずっと、ということも考えられるわけであるから、継続可能な制度にしなければならない。
 企業側に用意してもらいたい制度としてもう一つは、病気になった人が今後の事について相談できる窓口の設置である。先ほど述べたような、時短や部署移動などによる労務負荷軽減制度を企業が設けていればその制度の説明をしてくれるであるとか、一時的に休職する場合に健康保険の傷病手当という制度が利用できるという説明であるとか、当人が利用できる制度の説明をしてくれたり、心理カウンセラーの設置により病気になった人の心の問題のケアをしてくれる部署の設置が望ましい。特に肝要なのは、病気になると大抵の場合周囲の人間は「身体が一番だから仕事は辞めるように」とアドバイスし、本人もそうしなければいけないのではないかという考えに陥ってしまうことがあるため、本当に当人が仕事を辞めたいと思っているのか、辞めた後の生活で困ることはないのか、それらを具体的に一緒に考えてもらえるような相談員がいてくれることで、安易な退職をして後で後悔するということを防げる。この相談員は、自分の意見を述べたりアドバイスするようなことはせずに、病気になった当人が自分の考えや気持ちを整理するのを手伝ってあげるだけにとどめる。おそらく、病気になった当人は、不安や焦りで自分の気持ちが整理できない状態になっており混乱している。考えを整理するのを手伝うという作業は非常に本人にとって助かることである。そして、退職後に生活を維持するのに必要な生活費や治療費を具体的に一緒に計算してみたり、退職後に必要な国民年金、国民健康保険の支払額を一緒に計算してみたり、抽象的ではなく、「具体的に」実際に計算して退職後の生活を考え、本人がそれらの結果を元に自分で判断できるように、考える元となる材料を提供する。そうすることで、病気になった当人は、自分のごちゃごちゃになった考えを整理して、今の仕事を続けるべきか辞めるべきか判断をしやすくなる。
 私自身は、病気になり退職を余儀なくされ、退職後に非常に支出がかさむ事を退職して初めて知り、経済的に困窮し、非常に辛い思いをした。また、職場以外に人間関係がなく、誰とも話さない日が続き、気持ちが落ち込むだけではなく、病気で色々と自分でできないことが増えるなか、誰も頼ることができる人がおらず困った。病気になった時に、「身体が一番だから仕事を辞めるべき」とアドバイスした人達は、実際に退職すると、連絡をしてくれたり何か助けてくれるという事もなかった。自分の身内の一人は、仕事を辞める前は「身体が一番だから仕事を辞めるべき」と何度も助言してきたが、実際に辞めたことを知ると「今後どうやって生活するつもりなのか。自分は経済的に一切援助できないからあてにしないで。」とわざわざ電話をしてきた。
 病気になった当人にアドバイスをしている人は、特に当人が仕事を辞めた後の具体的な事を考えてアドバイスしているわけではないのである。病気の当人は自分の事を心配してくれていると思うかもしれないが、その人が退職後にあなたを助けてくれるわけではないのである。そして、経済的な問題というのは非常に大きなものなので、その点をしっかり考えなければならない。
 このような辛い経験から、病気があっても働き続けられる社会が実現されれば良い、と強く思う。私にとっては、仕事はストレスではなく、やりがいのあるもので、仕事も楽しかった。もちろん、辛いという時もあったが、それはどんな仕事でも辛いと一度も思わなかった人はいないのではないだろうか。仕事を辞めることで私は全てを失った。他の人に同じような体験をしてもらいたくない。自分の経験から、病気になっても働き続けられる社会の実現に向けて、あったらよかったと思う制度を提案させてもらった。



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