埼玉大学「連合寄付講座」

2015年度後期「働くということと労働組合」講義要録

第2回(10/6)

「働くということ」をどうとらえるか

日本女子大学名誉教授 高木 郁朗

1.今日の課題とキーワード

 今後、労働組合のリーダーの方々が個別の課題について非常に興味深い話をされるかと思います。それぞれの経験に基づき、例えばワーク・ライフ・バランス、労働時間の短縮、仕事と生活のバランスをどうしていくか、など様々なケースについて個別具体的に話をしていただけると思います。そこで今日の僕の課題は、そういった労働組合の具体的なケースがあらかじめどんな話になるだろうかということを想定しながら、言わば次回以降の講義の案内役を務めるというものです。中身としては二つのことを考えていきたいと思います。
 まず一つは、働くということは一体どういうことか、ということを皆さんと一緒に考えてみたいというのがひとつ。それからもう一つは働くということの中で労働組合がどんな役割をしているか、どちらかというと労働組合の側に立っていろんな研究や活動を進めてきた僕の立場から、どんなふうに皆さんに理解してもらったらいいかということを話したいと思います。
 そこで、話を理解していただくためにも労働、働くということを考える上でも、キーワードを覚えていただくのがいいのではないかと思っています。中身についてはこれから申し上げますが、キーワードとしてまずは第一に、聞き慣れないかもしれませんが、「ディーセント・ワーク」という言葉を覚えていただきたいと思います。それから次に「ワークルール」という言葉です。それから「共助」、これは助け合いのことだと言って良いと思います。それから「制度・政策」、あるいは逆にして政策・制度という言葉。そして、「働くことを軸とする安心社会」。これは連合が今進めている活動の方向を総括的に示す、一種の社会ビジョンを示す言葉として覚えていただいていいと思います。最後は、「ボトムアップ(底上げ)」です。これと反対の言葉はトリクルダウン(滴り落ちる)という言葉ですが、これも覚えておいていただくといいのではないかと思います。

2.まず結論

 あまり長く話すことができませんから、最初に結論を言いたいと思います。埼玉大学とは別の大学の寄付講座の中で、ある女性の現場のリーダーの方がお話をしたレジュメからとってきたもので僕の言葉ではありませんが、僕が言おうとしていることをとてもよく表現しています。どういうことが書いてあるかというと、『働くということはとても大切なことだし、働けることは幸せなことだと思います。そして労働組合の活動は働く人との幸せを追求する活動です。みなさんも社会人になったらぜひ参加して下さい』。僕はこれを結論としてまずみなさんに示しておいた上で、その中身を考えていきたいと思っています。

3.働くことはなぜ大事で幸せなのか

(1)働くことについての経済学での考え方
 働くことは大切で幸せだと表現されているわけですが、なぜそうなのか、ということをちょっと考えてみたいと思います。普通、経済学ではどのように考えるかというと、働くことは苦痛であると考えます。これは経済学の父であるアダム・スミス以来そのように考えてきたわけです。例えば、働くことと遊んでいることを考えると、遊んでいる方は楽しい、幸せ、一方、それに比べ働くことは苦痛であるから、代償を得ないといけないと考える。例えば賃金という形での代償です。働くことと遊ぶこととどちらを選ぶか、遊ぶことの楽しさ、幸せよりも高い賃金が得られるのならば、働くことを選びますよ、というのが経済学での基本的な考え方だと言っていいと思います。今の経済学の主流である新古典派・ネオクラシックの基本的な考え方もそうでしょう。たしかに働くことは苦痛である側面もあります。現実に働いている人の中身を現場に行って調べてみると、本当に苦しい働きをしていることもいっぱいあります。いっぱいあるけれども、しかし、それだけではない。働くということは個人が苦痛であるかどうかということを超えて、むしろ働くことによりもっと違った社会的意義を発見できるというのが、僕の考え方です。

(2)なぜ就職をするのか
 みなさんもこれから大学を卒業したら就職しようということで就職活動をしていると思いますが、何のために就職するのでしょうか。何度か授業に来ていますが、最初のころ聴講している皆さんに手を挙げてもらって一種のアンケート調査を行いました。今日の皆さんからも予測される答えですが、第1位は生活するための所得を得る、自分が暮らしていく、あるいは家族と一緒に暮らしていく、そういう生活していくための所得を得るために就職する、という答えが実際に一番多かったです。2番目に、ただそれだけではないですよ、という答えがありました。仕事をすることによって自分の能力を発揮すること、です。人間というものは発達するという特権を持っていますが、今まで学校などでずっと培ってきた自分の能力、伸ばしてきた自分の能力を発揮していく、こういうために就職する、という答えがかなりありました。第1の答え、所得を得るということに比べると少ないですけど、こういう答えが出てくるのも当然だと僕は思います。この2つに共通している特徴は何であるかというと、お金を得るにしても自分の能力を発揮するにしても、自分のために就職する、ということで共通していると思います。でも、重要なことはこの働くということには、ただ自分のためだけではなくそれを超える社会的な意義がありますよ、ということ。これが働くということについて僕が今日言いたいことの一番大きなポイントです。働くということは、自分のためということを超えて社会的意義を持っているということをしっかり理解してもらうことが大切だと思います。

(3)働くことの社会的意義
 みなさんに考えてもらいたいのですが、人類にとって働くということ、労働するということ以上に大切なことはないということです。言ってみると、人間が働く、労働するということは、人間社会が存立していくための絶対条件だということです。もし人がすべて働くことをやめてしまったら、人間社会は必要とするものを何も得ることができなくなってしまって崩壊してしまうということが、すぐわかってもらえると思います。つまり働くということは、人間社会を成り立たせている根本的な条件だと理解していただけるでしょう。苦痛であるという以前に、働かないと人間は人間社会を成り立たせていくことができないという社会的意義があるということを、皆さんにぜひ理解しておいていただきたいと思います。

(4)社会的分業
 それからもうひとつ重要なことは、社会的分業も人間的な特徴ですね。動物の世界の中でもアリやハチのように分業しているものがないこともないですが、人間社会ではもっと広い、世界的に繋がったと現在は言ってもいい社会的分業で成り立っている。社会的分業というのは、全体として人間に必要なものを作っているけれどもそれぞれの個人の働きはその部分であるということです。例えば、お米にしても、農家の方がお米を作る際に耕耘機を使う、その耕耘機は機械を作る労働者が作っている、機械の材料である鉄は鉄鋼労働者が仕上げ、鉄の原料となる鉄鉱石は鉱山労働者が掘削し、それを運搬するのはトラックの労働者…とそれぞれの仕事をする人たちが存在しています。お米ひとつを考えてみても、分業が社会的に成立しているということがわかると思います。それぞれの人がそれぞれの分野を担当しながら人間に必要なもの、経済学では財といいますが、この財を供給するという形に繋がっているわけです。このようなあり方を社会的分業といいます。
 皆さんにも少し考えてもらわないといけないと思いますが、現代は競争社会だと言う人が非常に多い。経済学者の中でも多いですが、労働、働くということが人間社会に役立つということを考えますと、それは競争の前にみんな分業している人たちがお互いに協力し合わないと社会が成り立ってはいかない、ということを示しています。つまり、人間社会は働くということを通じて協働しているという社会でなければならない。競争、競争という人たちもいますが、働くということからみると、人間社会というのは本来、協働とか連帯とかいうようなことを軸にしてものを考えていかなければならないということが示されていると思います。

(5)限界生産性と経済成長
 次は現実的な問題になります。今、安倍総理大臣がアベノミクスといって経済成長をしていかなければならないといろんなことをやっていますが、一番肝心なことはこの経済成長の基本は何であるかというと人の問題である、ということです。限界生産性、経済学で限界という言い方はお分かりかと思いますが、今までに比べて1人多く入った場合、1人入れば生産が上向くと、この1人によって上向いた分を限界生産性と言います。中には足を引っ張る人がいるにはいるけれど、そういう人もきちんと働けるようにしていけばマイナスになることはないと思います。人間というのは、すべての人(いろんなハンデキャップを持つ人たちも含めたすべて)がプラスの限界生産性を持っていると思います。プラスの限界生産性を持っていますから、1人でも多くの人が働くということが経済成長につながる、と考えていいと思います。社会的分業ということは自分の働きが役立ち、他人の働きが自分に役立つということですが、それが具体的になると経済成長を生みます。1人でも多くの人がきちんと働けるようにすることが経済成長を生み出す、できるだけ多くの人が働けるようにするということが経済成長の一番基本だ、と考える必要があると思います。
 日本経済はすごく停滞しています。政府・日銀は「成長している」と言っていますが嘘ですね。この20年間、日本経済はGDPの伸びなどを見ましても完全に停滞しています。停滞している理由は何であるか、統計を見てみると非常にはっきりしています。就業者数が減っている。これは先進国で唯一日本だけです。では働ける人がもういないのかというとそんなことはありません。例えばヨーロッパ諸国と比較して女性の就業率などを比較してみますと、スウェーデンの70%台と比較して日本は50%台ぎりぎり、20%ポイントもの差があります。きちんとこれらの人たちを働けるようにすれば経済成長はできるはずですが、そうなっていないということがこの日本の20年間に及ぶ停滞の非常にはっきりとした原因である、と僕は考えています。そういう意味で、働くということと経済成長が非常に強く結びついているということも大切なこととして覚えていただきたいと思います。

(6)高齢社会と労働
 さらに現実的な問題として、日本は高齢社会、若い人たちがだんだん減ってきて、高齢者が増えている。例えば、年金で高齢者の生活を支えることが皆さんの世代にどうなるかということも非常に大きな問題ですが、これを解決するためにどうしたらいいのか。安倍内閣は財政上のことから、いかに年金を減らすかと考えていますが、これも間違いです。原理的に解決の方法は何かといえば、働く人を多くして年金を受給する人を減らせばいいでしょう。例えば、日本の今の制度の中では専業主婦あるいは主婦パートのような被扶養者である年収130万円以下の人の場合、国民年金は、第3号被保険者ということで保険料を取らない、ということになっています。しかしこれらの人にもきちんと働いて保険料を払ってもらえば、この非常に現実的な問題も解決することができると言っていいと思います。受給者を減らして負担者を増やせばいい、ということで理解をしていただけるでしょう。
 つまり働くということは人間活動の基本なのです。経済的にも社会的にも基本だし、働くことがすべての基本になっているといっていい。僕の不満はそういう社会の一番根本にある労働ということが、いつもメディアを含めいろんな議論の的になっていないということです。最も人間社会で基本的なことが、働くということにあるということを、ぜひ皆さんには思い起こしていただきたいと思います。

4.ディーセント・ワークとは
 今まで労働、働くということはまさに人間的な活動だと申し上げてきたわけですが、次の問題は、人間労働の本質が最も人間的であるにも関わらず、実際に働くということが人間的なものになっているかどうかということを考えなければいけない、ということです。次回以降の講義の中でも出て来るのですが、この中身はキーワードにもありました、「ディーセント・ワーク」という言葉で象徴されると言っていいと思います。ディーセント・ワークという言葉は、今では日本だけではなく国際的に労働をめぐる共通の言葉になっています。これはおよそ1990年代の後半、20年ほど前から、ILOという国際的な労働基準を作っている組織が使い、国際的に普及した用語です。英語のよくできる人はわかると思いますが、Decent(ディーセント)というのは難しい英語ではありません。非常に普通に使われる言葉で、日本語に訳すと気持ちがいいとか心地いいとか快適なとかになりますが、その訳語だとディーセント・ワークというのがよくわからなくなるので、僕が「人間の尊厳に値する」とか「人間的な労働」というように訳しました。要するに本来最も人間的な活動である労働の内容が人間的なものでなければならない、ということを表現する言葉がディーセント・ワークだと言っていいと思います。その内容がどういうものかというのはILOの文章の中に英語でそのまま示されています。皆さん英語はよくできると思いますが、下に一応翻訳をつけておきました。

ディーセントワークとは?

 まずどんなことが必要か。『生産的で公正な賃金を保障する機会を得る』ですが、公正な賃金を保障されなければならない。それからきちんと雇用をされる機会が保障されなければならない。『職場の安全』や『家族に対する社会的保障』がきちんとしていなければいけない。個人の発達の展望、これは先ほど申し上げたように非常に人間的な特権ですけれど『教育や訓練の保障』が行われていなければいけない。『社会的統合』は少しわかりにくいかもしれないですが、英語ではIntegration(インテグレーション)、どんな人でも、高齢者とか女性とか障がいを持った人も、みんな働くという人間的な機会に統合されていること、それに参加できるようにしておくということです。つまり働くということへみんな参加することができるようにするのが、社会的統合です。そしてその次が一番大切ですが『自らの人生に影響を与える物事の決定への参加の自由』、つまり自分の運命を決定することについてはきちんと自分も参加する自由を持っているということ。最後に『機会と処遇の男女平等』、ジェンダー平等を実現していないといけないということ。これらがディーセント・ワークの中身ということになります。働くということが人間的な活動なら、その働くというあり方が人間的なものであるように、今申し上げた内容を含むディーセント・ワークというものが実現されなければならないということを、ILOは述べているわけです。

5.ワークルールと労働組合

(1)ワークルールの必要性
 ではどうやってこのディーセント・ワークを実現していくのかというのが、次の問題になると思います。具体的には、次回以降の講義でまさにこのことが論ぜられると言っていいと思いますが、第1が次のキーワードであります「ワークルール」ということであります。これは働く上でのルールがきっちりしていなければならない、ということです。
 日本は雇用社会ですが、いろんな形がありますが営利企業、つまり市場競争の中で最大限の利潤を獲得するということを目的とする企業の中で働いている労働者が就業人口の中で言いますと86%、さらに役員まで含めますと90%近くになります。つまり雇われて働いている人が圧倒的多数である社会、こういう社会を雇用社会といいます。
 経済学で勉強していると思いますが、企業の一番主な目的は何であるかというと利潤の極大化、または利潤の最大化といっていいと思います。そのためいろいろなことをしますが、企業にとって例えば賃金はコストですからこれを引き下げようとする、あるいは危ないところでも働かせる、出産で休みを取りたい女性を辞めさせようとする。これはマタニティハラスメント(マタハラ)ですが、こういうことも行われる。つまり利潤の最大化のために企業がいろんな勝手なことをやる、何でもアリでやってしまうような企業はブラック企業といわれていますが、ブラック企業と言われない企業でもいろんな形で労働者の人間的な活動を阻害する、ということが起こっています。
 そうならないためにどうするか、つまりディーセント・ワークのために何が必要かというと、労働組合が関わってしっかりしたルールを作る、ということが必要になります。仕事に関わるルールをしっかり築いていくというのが重要です。つまりディーセント・ワークとは、決して自然に存在するものではなく基本的には労働組合の活動を通じて作られている。例えば、賃金がいくらになるかとか労働時間がどれだけなのかというようなルールは、労働組合の活動を通じて作られているということになってきます。

(2)ミニマム規制とボトムアップ
 日本は他国とは違うところがあり、そこをどうしていくのかというのも問題なのですが、先進国、とくにヨーロッパの方が非常にはっきりしていますが、ヨーロッパの労働組合のあり方というのはここから下はありませんよ、という決め方です。例えばイギリスの運輸一般労働組合(今は合併してもっと大きな組合になっていますが)では、経営者側と話し合って何を決めるかというと、トラックの運転手についてはどんな企業で働いても一時間当たりこの金額以下の賃金はありませんよということを決めていくわけです。これをミニマム規制(最低規制)といいます。つまり天国に行くには頑張って自分でどうにかすればいいのですが、労働組合としては地獄に行く人がないようにきちんと最低規制していく。ルールというのは最低規制をきっちり積み上げていくことです。そしてその上にさらに努力して上積み、ボトムアップをしていく。
 競争というのは逆ですね。「僕の方が低い賃金で働けます」と企業に売り込むということになりますが、こういうことをRace to the bottom、つまり底に向かって競争していくということになります。僕は地獄への競争、と言っています。しかし労働組合の役割というのは、ここから下はないですよというものを作り上げていくというのが、ルールを考える場合の基本であったといえると思います。日本は平均を上げていくという考え方で、例えば春季生活闘争などでずっとやってきてはいるものの、なかなか地獄へ行かないようにというようにはなりませんが、国際的基準から言えば労働組合にはそういう役割があると言っていいと思います。ボトムアップというのはそういうことです。

(3)労働組合の先行性
 次に先行性についてですが、先行性はそうやって作ったルールが実は社会的にもルールになっていくということがよくある、という大事なことですね。具体的な例でいうと1960年代の初めに今のNTT(日本電信電話株式会社)の労働組合が、当時は公共企業体だった電電公社との協約で育児休暇の制度を作ります。そしてそれがだんだん広まっていって、まず育児休業法が制定され、それが育児・介護休業法に発展している。つまり、企業との交渉でルールを作ったものが社会的なルールになっていくという意味では、交渉というのは先行性を持っていると言えると思います。
 どんなことでルールを作っていかなければいけないか。これはずいぶん議論しなければいけないと思いますが、ディーセント・ワークの中身で、先ほどのILOの定義を思い出していただければわかると思います。雇用社会ですから、雇用されるということはすべて働く源であり、雇用機会というのはきちんと保障されなければいけないし、一度きちんと雇用される機会を得た場合に、そう簡単に解雇されたり辞めさせられたりしないようにさせなければならないですね。それから賃金はきちんと生活できるもので、しかも公正でなければいけない。公正であるということは、同じ仕事をしていてもある人は高い賃金、ある人は低い賃金なんていうことが起きたら非常に困るということです。それから労働時間も非常に大切です。また、危ない環境で働くことのないよう職場環境を安全にする。ILOのディーセント・ワークを繰り返してきましたが、こういうことに対してきちんとルールを作っていくのが労働組合の基本的な役割である。具体的にどんな形で作っていくのがいいのかについては、次回以降の講義をまた聞いていただければいいかと思います。

(4)集団的労使関係の必要性
 ルールについて大事なことは、集団的なルールでなければいけないということです。労使関係というのは、仕事をめぐるルールの束、ルールがいっぱいあってそれが一つになり大きな仕組みになっているのが労使関係といいます。その労使関係について最近の流行りは何かというと、個別的な労使関係でよろしいという議論が非常に多くなってきています。個別的労使関係というのは何かというと、雇う方と雇われる方は対等なのだから、対等な両者の間で個別に結んだのがルールですというものです。個別に契約を結べばこれでいいですよ。これが今非常に流行りになっている。こういうものを個別的労使関係といいますが、これには嘘が2つ含まれています。
 1つは、労働者と経営者が本当に対等かということ。就職活動をしていてもそういうことがよくお分かりになるかと思いますが、経営者の方が優位です。経営者は労働者を一人雇わなくても企業が潰れるということはない、優秀な人材がいないと大変は大変ですが、まあ一人ぐらい雇わなくてもいい。でも労働者の方からすると、雇われなければ所得を得られない、これはまさに死活問題です。つまり弱みはどちらにあるかというと、労働者の側にあるわけです。ですから、個人としての労働者が経営者との間で対等だというのは、全く間違った考え方であり、嘘だと言っていいと思います。
 またもう1つは、個別に契約を結べばきちんとしたルールとして働きますよということも嘘だということです。競争ということを考えると、ルールというものを段々悪くしていく、こういう傾向があります。例えば就職活動をやる時に「僕は金持ちの家の子どもだからそんなに賃金はいりません。初任給は17万円でもいいですよ」と言いますと、同じ能力を持っている労働者なら初任給が20万円の方よりも17万円の方が企業にとって得ですから、17万円で働く労働者を雇います。つまり個別のルールを競争でやっていくと、ルールの中身が段々悪くなっていく。競争の結果悪くなっていくということがあります。要するに、基本はあくまでも集団的ルールでなければいけないわけです。集団的労使関係といいますが、こういうものを通して、多少個別の違いはあっても、誰もが適応される基本的ルールをきちんと作っていかないといけない、というわけです。

6.労働者の福祉と日本国憲法

(1)個人としての権利と保障
 話を広げ、労働者の福祉ということを考えてみましょう。福祉というのは幸せですが、労働者の幸せはどのように実現できるかということを少し考えてみたいと思います。つまり、ディーセント・ワークが実現される筋道を少し考えてみたいのですが、日本国憲法はこの点で非常に良くできておりまして、2つのことを言っています。
 ひとつは、まず憲法第13条ですが、幸福追求権といいまして、要するに個人が幸福を追求する権利は誰にも妨げられない、ということがあります。そして憲法第25条で、国は最低生存権だけは保障しましょうという仕組みになっています。最低生存権と個人の幸福追求権、この両方を言っているのです。要するに、本人が一生懸命努力しても最低限の生活が維持できないときは国が保障することとしています。

(2)集団としての共助
 しかし憲法は言っていないですが、強いて言うと、憲法第28条で、労働者が団結して団体行動する権利が保障されています。労働組合の形での団結も大切です。どのように団体行動していくかというと、ルールを作る、それから助け合いの組織を作る。特に今大切なのは、人と人の関係というものをきちんと作っていかないと精神的な健康が侵されていくということもある。こういうことも含めて助け合いの組織を作る。共助ですね。そして、もうひとつ大変重要なのは政策・制度ということになります。
 今ある社会保険、健康保険とか雇用保険、これらも最初は労働組合が作ったものです。賃金の高い労働者だけが入っていればうまく行きますが、賃金の低い労働者も入ってくるようになってくると限界がありますので、国の制度としてきっちりしていく必要があります。
 しかし難しい問題もあります。ルールを作ったり助け合いの組織を作ったりしても、メンバーシップといって、労働組合に入っている人、つまり組合員には適用されるけどそれ以外の人には適用されないという問題が起きています。
 組合員以外にも適用されることもありますが、これもフリーライダー問題、タダ乗りといいますが、誰にでも適用されるようになると、別に組合費を払って労働組合に入らなくてもいいじゃないかということが起こるので、労働組合に入ることによってより大きな利益を得るというのが、メンバーシップとしては大切になります。
 でも労働組合員にだけ適用されてその他の人には適用されないということは、社会的な正義に反するということが起きかねません。生活協同組合でもそうですが、ワークルールとか共助といったものを組合員だけに適用されるとやはり困ることが起きてくる。現実の日本では、例えば組合員である人々には賃上げをやるけど、日本の労働者の中で約40%も占めるようになっている非正規労働者には適用されない。こういうことでは社会的正義に反する。それでまた社会的正義に反することが起こると、そちらの低い方に合わせようということで、結局組合員も苦しんでいくことになってしまう。
 これをどうするかというと、頑張って政策や制度をしっかり作っていく。例えば企業との交渉で労働協約というのを作りますが、それを全体に広めていくためには、労働基準法という形で、最低限の労働条件については日本の労働者全員に適用しましょう。賃金については最低賃金法という形で、最低限の水準をきちんと保障しましょう。あるいは失業した時には雇用保険法という形で、お互いに助け合いましょう。病気をしたら健康保険法という形で助け合いましょう。こういった制度化をきちんとしていくことも大切です。

7.まとめ

 労働組合としては、労働者の幸せを守る、つまり個人の幸せについては最終的に自分で努力するけれども、その基礎を作るために、ルールをつくる、助け合いをする(共助)、政策・制度の活動をする、こういう3つのしくみを作っていく、というのを理解していただきたいと思います。労働組合が果たしてきた、そして今もまた果たしている役割は何かということをまとめてみますと、ワークルールを作る、共助のしくみを作る、それから共助の中にある人と人の関わり、仲間ですね。それからワークルールを基にして制度・政策を作っていく。この全体を通じて経済の底上げ、ボトムアップを図っていくというのが労働組合の基本的な活動です。そういう意味では労働組合というのは企業の中にありますが、社会的な運動体ということですね。現在では、そういった運動をもっと強化するために労働金庫や全労済というような労働者福祉事業や生活協同組合、NPOなどとネットワークを作っていくというのが重要である。そういう様々なことを全体としてまとめたものが、現在『働くことを軸とする安心社会』という連合のスローガンになっています。


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