埼玉大学「連合寄付講座」

2010年度前期「働くということと労働組合」講義要録

第9回(6/16)

政策実現活動の取り組み①
国際労働運動とディーセント・ワーク

ゲストスピーカー:高木 郁朗(教育文化協会理事)

1.ワークルール~これまでの講義から

 これまで8回の講義が行われました。それらの内容をまとめると、日本では、企業に雇用されて働く人々(=雇用労働者)が人口の多数派です。そういうなかでもっとも大切なことは、雇用労働者の働く上でのルール(=ワークルール)を、きちんと決めていかなければいけないということです。
 このワークルールには、雇用の安定、賃金、労働時間、キャリア形成など労働に関わるすべての分野が含まれています。ワークルールは誰がつくるというものではなく、皆さん自身が社会に出て労働組合に参加して、経営者側との交渉をつうじてつくりだすものである、このようなことがこれまでの講義のなかで話されてきました。
 ワークルールを企業レベルでつくることになると、労働組合と経営者側で交渉をすることになります。その時に、労働組合ができるだけ労働者の立場を積極的に反映させるには、交渉力が不可欠になってきます。交渉力を強めるということをやらないと、ルールはつくられたとしても、労働者側は、結局不利益を被ることになってしまいます。交渉力の基本はやはり組織力であるということで、労働組合は組織拡大をはかる必要があるということです。ここから先の講義では、こういったことをさらに深く議論していきたいと思います。

2.今日のテーマ

 今申したように、ワークルールをつくっていくことの基本は交渉です。日本では企業レベル、ヨーロッパでは産業レベルの労働組合と経営者あるいは経営者団体とが交渉をして、ルールを決めます。しかし、交渉だけでルールをつくっていくことには、あきらかに限界があります。つまり、企業あるいは産業の中で交渉するだけではなくて、政治の分野での活動が、大変重要であるということです。
 現実に労働組合は、政治活動をとても重視します。たとえば、昨年8月の総選挙で政権交代が行われました。従来の自民党内閣に代わって、民主党内閣が誕生しましたが、このときに連合は民主党を支持して、とても大きな活動をしてきました。
 ここで大切なのは、労働組合は、なぜ、政治・政策を重視するのかということです。労働組合が政党を支持する場合には、きちんとした理由があります。まず、その理由を知っておく必要があります。それからもう一つは、どういうやり方・活動で、労働組合は自分たちの政策実現をはかっていくのか、というところを、国際的な経験を踏まえて検証していく必要があります。こうしたことが今日のテーマになります。

3.国際的には多様な労働運動

 労働組合の活動は多様です。収斂理論と拡散理論というものがあって、産業化が進むと一定の方向へ収斂していく方向にあるのか、それとも違いが拡大していく傾向にあるのかいつも論議されます。
 現実に労働組合の在り方をみると、国ごとにいろいろな違いがあると思います。したがって、日本の労働組合の在り方が、ヨーロッパの労働組合の在り方と比べてよくないと議論しても、仕方がないことです。
 たとえば、日本では、解雇を未然に防ぐということが、企業の中で労働組合が交渉する場合に最大の課題になります。法規制もそうですし、裁判例をみても、解雇に関する規制というものを、企業レベルで日本の労働組合は求めてきました。
 しかし、デンマークの例をあげると、法律上解雇は比較的自由にやってよいということになっています。ところが、失業した時には非常に手厚い生活保障があります。それから、再就職するための手厚い支援措置もあります。このように企業レベルでの解雇については、少なくとも法律上では緩やかだけれども、解雇後の生活保障はしっかりしているのです。このように、経営側がいつでも解雇ができるという弾力性(フレキシブル)と解雇されたときのしっかりとした生活保障(セキュリティ)を合わせたものを「フレキシュキュリティ」といっています。
 このように同じ「雇用」という問題を取り上げても、労働組合がどういうものを実現しているかに関していうと、それぞれに違いがあるわけです。

4.日本政府の用語になった「ディーセント・ワーク」

 では、日本の労働組合が、これからどういうことを求めていくのかを考えてみたいと思います。民主党政権では、労働組合がこれまで使ってきた用語が政府方針のなかにはいっています。これは、労働組合の影響力の強さを非常に端的に表していると思います。この用語とは、今日の課題である「ディーセント・ワーク」です。こういうなかに、実は政権交代ということが大きな意味をもつのではないかと思っています。
 ディーセント・ワークが日本政府にどのように使われているかというと、2009年12月30日に政府は「新成長戦略基本方針」をつくりました。これは、菅内閣のもとでもう一度見直すということになっていますが、昨年の「新成長戦略基本方針」をみると、「地域雇用創造と『ディーセント・ワーク』の実現」という項目があります。これは、政府の戦略的な基本方針のなかで、一つの方法として使われているわけです。
 具体的には、「成長分野を中心として、地域に根差した雇用創造を推進する」、また、「ディーセント・ワーク(人間らしい働きがいのある仕事)の実現に向けて、『同一価値労働同一賃金』に向けた均等・均衡待遇の推進、給付付き税額控除の検討、最低賃金の引き上げ、ワーク・ライフ・バランスの実現(年次有給休暇の取得促進、労働時間短縮、育児休業等の取得促進)に取り組む」と書いてあります。
 今までの8回の講義で聞いてきたことの内容が、この政府の成長戦略のなかに非常に多く含まれていることがわかると思います。

5.共通の目標としてのディーセント・ワーク

  「ディーセント・ワーク」という言葉が登場したのは、そんなに古いことではありません。1999年のファン・ソマビアILO事務局長の報告以来、ディーセント・ワークはILOの活動の指針として急速に普及し、各国の共通の目標として広まったわけです。
 ディーセント(decent)は、日本語に翻訳しようとすると、なかなか難しい言葉です。僕自身は「人間的な労働」と訳していますが、政府では「人間らしい働きがいのある」と訳しています。連合では「人間の尊厳に値する」と訳しています。つまり、働くうえで人間らしく取り扱われる仕事というものをきちんと保障していくということが、ディーセント・ワークという言葉で説明されていると思っていいと思います。
 ILOとは、International Labour Organizationの頭文字をとったもので、日本語では、国際労働機関と訳されています。1919年に第一次世界大戦後のベルサイユ講和会議で設立されました。国際的にきちんと協調して労働者の権利を保護していかないと平和というのは実現しない、労働条件をきちんと確立していかないと平和は維持できない、という考え方に立って設立されたわけです。
 ILOでは年に1回、総会が行われます。そこで、世界各国が守るべき条約をつくったり、勧告をおこなったりします。基本原則は1944年のフィラデルフィア宣言です。このなかで、「労働は商品ではない」と宣言されました。労働は人間が行うものであり、勝手に売買される商品ではないということです。
 組織の特徴ですが、ILOは国際機関の中で、唯一三者構成になっています。三者構成というのは、政府の代表、経営者団体の代表、労働組合・労働者側の代表と、各国の政労使三者の代表が1票ずつもって参加している組織です。OECD(経済協力開発機構)もこれに近い形をとっていますが、参加しているのは先進国といわれる30ヵ国のみです。183ヵ国が加盟しているILOは、国際機関では唯一の三者構成をとっているといえます。
 日本は、第2次世界大戦期にはILOを脱退していたのですが、1951年に再加盟し、1954年には重要な決議を行う常任理事国に復帰しました。しかし、日本がILOを尊重しているかどうかは別問題です。なぜならば、ILO条約のうち日本が批准しているのは4分の1程度です。特に批准していないのは労働時間関係の条約です。ILO第1号条約は、週48時間労働(現在は40時間労働)ですが、日本政府は現在に至るまで批准していません。
 何が一番ネックになって批准できないのかというと、残業の上限規制を設けなさいというところです。残業の規制は、過半数組合である労働組合または従業員代表と協定を結ぶことで実現できます。しかし、残業時間の限度を設けるという労働基準法による規制が抜けているため、ILO第1号条約を批准できないのです。また、差別待遇を規制する条約も批准していません。これも国内法がきちんと整備されていないため、批准できないのです。
 ということで、常任理事国であり、お金をたくさん出しているわりには、日本はILOとの関係はよいとはいえないと考えられます。

6.ディーセント・ワークの内容

 ILOの公式の文書のなかには、ディーセント・ワークがどういうものであるか記してあり、そこには4つのポイントが書かれています。
 第一に、労働権です。労働権というのは、労働者が団結をして、交渉をして、自分たちでルールをつくっていくという権利を持っているということです。一方的に経営者がルールをつくったり、専制的なやり方で命令したりするのは、ディーセント・ワークとはいえません。
 第二に、雇用・所得機会がきちんと与えられているということです。一生懸命働いても、年収が200万円以下のワーキングプアを生み出すような状況は、ディーセント・ワークとはいえません。安定した雇用と自立して暮らしていけるだけの所得の保障が、ディーセント・ワークということです。
 第三に、社会的保護と社会保障ということです。人間は暮らしていく上で、いろいろなリスクに遭遇します。病気になることもあるし、失業することもあるし、仕事中に怪我をすることもあります。皆さんも就職がなかなか決まらないということがありうるかもしれません。そういうリスクがあっても、人間としてちゃんと暮らしていける状態であるということが社会的保護であるし、社会保障であるということです。これがディーセント・ワークではとても重要なわけです。
 第四に、三者構成主義を大切にしようということです。政治界、労働界、経済界の三者が、労働条件を決めていくうえでしっかり相談していきなさいということです。
 このようなILOの文書の中身をみると、先ほど紹介した日本政府の「新成長戦略方針」のディーセント・ワークの捉え方は、地域雇用に限定しすぎていてちょっと狭いかなという気もします。それでも、ディーセント・ワークということを「新成長戦略」のなかに入れたということは、それだけでも政権交代の意味は大きかったと考えてよいと思います。

7.日本でもディーセント・ワークはテーマに

 2008年から「人間らしい仕事と生活の実現を求めるディーセント・ワーク集会」を世界各国の労働組合が合同で行っています。日本の労働組合も参加しています。各国の労働組合の活動は多様ですが、ディーセント・ワークについては、今日ではこういう形で世界の労働組合の中心的な共通のテーマになっています。
 ディーセント・ワークをもっと広げて使おうという考え方があります。連合のシンクタンクである連合総研が新しい報告書として『参加と連帯のセーフティネット』を出版しました。ここでのキーワードは、ディーセントな社会をつくるというものです。競争して負けた者は仕方がないという社会ではなくて、もっと人間的な社会をつくるんだという意味で、ディーセントな社会をつくるということをいっています。そういう使われ方を含めて、この「ディーセント」という言葉は、国際的な取り組みのテーマとなっていると思います。
 現在、ディーセント・ワークの国際的な運動を推進しているのは、ITUC(国際労働組合総連合)という組織です。ここが世界の労働組合の大部分を統合しています。日本からは連合が加盟しています。
 ITUCの具体的な課題は、中核的労働基準の適用の実現です。この基準のなかで一番大きいのは、団結する権利、団体交渉をする権利です。また、人権・労働組合権の確保、労働災害防止もあります。労災防止はILOの中でもディーセント・ワークの中心的な課題となっています。児童労働は、最近日本でも結構ありますが、よく問題になるのは開発途上国ということになります。それから、エイズ対策、貧困撲滅などです。
 ディーセント・ワークの考え方に基づいて、ディーセント・ワークを実現していくための具体的な活動が、すでに始まっているということです。

8.グローバル・ジョブズ・パクト

 2009年6月のILO総会で「グローバル・ジョブズ・パクト」が採決されました。これは「仕事に関する世界協定」ということで、リーマンショック以降のグローバル経済危機の対処として、仕事と労働をどうするかという方針を決めたものです。
 この協定の中心は雇用の維持です。雇用を維持するためには多様なことをやらなければならないのですが、中小・零細企業もふくめて環境をよくするための仕事として、グリーン・ジョブを含む雇用集約型部門への投資を促進するとしています。やはり、皆が働ける状態をつくっていくということを、世界各国の共通する目標としていくことがグローバル・ジョブズ・パクトの鍵になっています。
 批判するわけではないのですが、昨年の12月につくられた「新成長戦略」では、「経済成長の結果、雇用が生み出される」と書いてあります。これはほぼ間違いです。グローバル・ジョブズ・パクトでは、「雇用をたくさん生みだすことによって成長を維持する」と考えています。まず、雇用・就業を拡大するということがあって、経済の成長をはかっていくということです。
 以前の自民党政権のときも、経済が成長することによって雇用を維持するとしていました。その点では、まだそういった考えが残っているといえます。また、雇用が中心だといっても、失業する人はいるわけですから、そういう人に対するしっかりした生活の保障が必要です。
 グローバル・ジョブズ・パクトは、「ディーセント・ワークの実現に向けた取組みに基づき、労働における基本的原則と権利の尊重、男女平等の推進、発言の促進、社会対話もまた回復と開発に欠かすことのできないものである」ともいっています。つまり、ディーセント・ワークの取り組みでは、開発や成長よりも、雇用がまず先にくるということが重要だということです。

9.ディーセント・ワークの中心的課題=雇用

雇用問題の5つのレベル
 ディーセント・ワークの中心的な課題には、①雇用にかかわる平等を実現する、②できるだけ失業させない、③失業したさいにも人間的な生活ができる、④もう一度労働の場に復帰する、(そのためには)⑤雇用・就業の機会を創出する、という5つのレベルがあります。こういう5つのレベルの政策が、労働運動あるいはグローバル・ジョブズ・パクトに見られるような国際的な共通の目標の中身です。

①雇用の平等を実現
 雇用の平等を実現することは、労働組合が、現在に至るまで要求し続けているものですが、日本ではまだ実現していません。
 このことを端的に示すのが、男女別の労働力率の差です。たとえばスウェーデンでは、男性が75.6%、女性が72.8%就業していて、その差はたったの3ポイントです。日本では男性は79.8%で、女性が53.8%とかなり差がみられます。このように、男女の雇用の平等が実現されていないということが、数値でしっかり示されています。
 もう一つ重要なのは、いわゆる正規労働者と非正規労働者の間にある不平等です。これらの均等化は、賃金だけの問題ではありません。ILOのパート労働条約を日本では批准していないのですが、この条約では、「均等」は賃金だけではなく、団結権、団体交渉権、賃金、労働時間を平等にしなければいけないことになっています。
 このように雇用の平等が、ジェンダーと正規・非正規のところで実現されていないということです。

②失業を最大限防止する
 できるだけ失業を出さないようにすることは、日本の労働組合では非常によくやってきました。ただ、日本では労使協議は慣行であり、法制化はされていません。国際的な経験からいいますと、失業を最大限防止するためには労使協議をきっちりやること、そして、経営側の情報を労働者が知るようにしていかなければなりません。それにはやはり労働者側の経営参加の法制化が必要です。
 それから、これはヨーロッパの労働組合がよくやってきたことですが、ワークシェアリングです。労働時間を短縮して、失業を防ぐ。これは日本でもワーク・ライフ・バランスを含めて進められていくだろうと思われます。

③失業時の生活保障
 日本では、失業者のなかで政府のいろいろな保護政策の対象となれるのは、失業者全体の20%ほどです。ドイツでは80%ですから、この数字はものすごく低いといえます。これはなぜかというと、日本の場合は、ヨーロッパのような社会手当がないということが、理由の一つといえます。たとえば、ヨーロッパでは、失業して雇用保険がなくなると、すぐに生活保護というのではなく、そこにいくまでに住宅手当、医療手当など様々な扶助制度があり、それによって生活を保障していくようになっています。
 それから、ヨーロッパでは、失業したら失業保険をうければいい、生活保護をうければいいというものではなくて、もう一度きちんと仕事に復帰することを目指すというのが、基本的な考え方です。
 日本政府の「新成長戦略」でも、「働くことを基本にして生活保障をしていく」ことが、方針として出されています。これをさらに進めていく必要があります。

④職業訓練による就職復帰及び雇用機会の創出
 仕事に復帰するための職業訓練がなされたとしても、実際に就職をする機会がなければ意味がありません。そこで、現在の労働運動では、たんにお金をわたすことで生活を保障するということではなくて、働く機会を創り出すことで、生活を保障していくことに力を注いでいます。これをワークフェア型といい、現代福祉国家の基本的な考え方です。
 雇用機会拡大の方法としては、労働組合と政府が協力をして行うということもありますが、カナダ・ケベック州の労働組合では、雇用機会拡大のために保有する年金基金などの資源を活用しています。

10.まとめ

 以上のことをまとめますと、労働組合は、経営者(経営者団体)を相手にして労働条件の確保をはかると同時に、政治面でソーシャル・セーフティネット、適切な経済・社会政策と発言権の強化(参加)を内容とする制度・政策の実現を課題として活動してきました。そういう意味では、ヨーロッパに見られるような福祉国家の実現を求めてきたのは、労働組合でしたし、今もその実現を目指して活動を続けていることが重要です。
 結論的に私見を述べますと、今の労働組合というのは、やはり変わらなければなりません。経営者にただ反対する、要求する、ということではなくて、たとえば、雇用機会をNPOと協力してつくる、場合によっては政府と協力してつくる、というように「共に創る」という観点が必要となってくると考えています。
 連合が支持していた民主党がはじめて政権与党になりました。その政権与党と協力をして、ディーセント・ワークのなかの中心的な課題である「安定した雇用と所得を保障する就業機会をつくる」という観点がどうしても必要になってくる、と私は考えています。
 政権交代の本当の意義は、政策意思決定の主役交代にあります。労働組合は、こうした意義を実現するための重要な手段といえます。そして、連合がリーダーシップをとることによって、政策実現活動の取り組みを進めることが大切です。
 これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。

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