一橋大学「連合寄付講座」

2009年度“現代労働組合論I”講義録
Ⅰ労働組合とは何か

第7回(5/22)

非正規雇用の現状と課題

ゲストスピーカー:鴨 桃代(全国ユニオン会長)

 こんにちは。私たちの労働組合は、誰でも一人でも入れる労働組合です。企業のなかにある労働組合ではなく、企業の外にあって地域にあるのでコミュニティ・ユニオンとも言われています。「誰でも」というのは、正社員だけでなく、パートや派遣の人も雇用形態を問わずに入れて、国籍も問わないので外国人も入れます。ですから、私たちの労働組合にはいろいろな人がいます。
  なぜこのような労働組合ができたのか。今はパートや派遣の非正規労働者を、企業内の労働組合も組合員として組織しようという取り組みがありますが、20年前は、同じ職場で働いていても、非正規労働者は組合員の対象になりませんでした。職場で問題が起きても、相談するところがなかったため、私は、1988年に千葉で、「なのはなユニオン」を結成しました。
  いま私たちの労働組合で増えている相談は、正規労働者への退職勧奨や解雇です。正規労働者であっても、職場に労働組合がある比率は全体で約20%です。圧倒的に多くの人たちの職場には、労働組合がありません。その人たちがいま、退職勧奨や解雇を突きつけられて、「労働組合をつくりたい」とユニオンに相談に来るケースが増えています。 
  労働組合は、1つの職場に2人いればつくることができます。しかし、労働組合をつくっても、つぶされてしまうケースがたくさんあります。会社には「雇ってやっているという力」があるので、労働者が労働組合をつくると、圧力をかけてつぶしてしまうのです。
  私が昨日交渉したケースは、12人の従業員のうち10人で労働組合をつくって結成届を出しました。「うちの社長はおとなしい」と言っていましたが、組合結成の通知を出した途端に、彼らの言葉で言えば、社長が「豹変」したのです。一人ひとり呼び出されて、おまえは会社と組合のどっちが大事なのかとか、賃金を2万円カットするがそれでも労働組合を続けるのかとか、そういうことを言われました。まさに不当労働行為です。組合をつくらなければいけないと思っても、一人ひとりの労働者は弱く、こういうことで気持ちが非常に萎えて、つぶされてしまうケースが多々あります。ユニオンは結成した職場支部をつぶさない、ユニオンに加入して問題を解決したいという人をつぶさないように、ユニオンの力やユニオンが加盟している全国ユニオンの力を発揮し、さらに全国ユニオンの上部団体である連合からも支援を受け、たたかいます。労働組合をつくる、労働組合に加入することで労使対等の力をつけることが、一人の労働者の問題を解決するために必要です。

1.非正規雇用の急増

 現在、非正規労働者は増え続けています。雇用労働者全体の34%、3人に1人以上です。女性の場合は、すでに2人に1人以上になっています。18~34歳の若年層でも半数近い人たちが非正規労働者です。以前、パートという働き方は、女性正社員が結婚・子育てでいったん仕事を中断し、子どもが小学校高学年ぐらいになって再び就業する条件ができたときに再就職という形で選択された働き方でした。
  しかし、今は就業の入口で正社員の仕事が狭められています。若い人たちが高校や大学を出た時点から、パートや派遣という働き方を選択せざるを得ない状況です。正社員の募集があっても、よく見ると契約社員であったりします。正社員と言っても「見かけ」正社員が増えています。

図表3  労働法制の新設・改正

1947 労基法制定。1日8時間・週48時間
85 派遣法制定/適用13業務に限定(86年施行時に16業務に拡大)。均等法制定
87 労基法改正/1ヶ月・3ヶ月、1週間単位の変形労働時間制、フレックスタイム制、専門業務型裁量労働制導入
92 労基法改正、1年単位の変形労働時間制導入。時短促進法制定、年間労働時間1800時間目標に
95 総理府行政改革委員会・規制緩和小委員会発足。日経連「新時代の日本的経営」発表
96 派遣法/対象業務を26業務に拡大
97 専門業務型裁量労働の対象業務を5から11に拡大。均等法改正/18歳以上の女性の残業規制撤廃
98 規制緩和委員会発足。企画業務型裁量労働制導入
99 派遣法改正/原則自由(ネガティブリスト化)
2001 内閣府経済財政諮問会議、総合規制改革会議、小泉政権発足
02 専門業務型裁量労働制の対象業務を19に拡大。
03 労基法改正/有期雇用契約の期間上限を原則3年、一部5年に。企画業務型裁量労働制の要件緩和。派遣法改正/製造業派遣解禁、派遣期間の上限を1年から3年に
07 労働契約法案、パート労働法、最低賃金法、雇用対策法などの改正案を国会に提出。ホワイト・カラー・エグゼンプションを盛り込む労基法改正は見送り
08 労働契約法施行、改正パート法施行、派遣法改正案

 図表3は労働法制の新設・改正の一覧です。この図表を見ると、労働者が非正規という働き方を選択してきたのではなく、国の労働政策と経済界の動きに連動して、非正規労働者が増えてきている、といえます。95年に、図表2の日経連の「新時代の『日本的経営』」は、雇用のあり方を提言しました。正社員の働き方は、賃金は月給制、一時金や退職金があり、雇用期限がないので入社したら基本的には定年まで働く、というものでした。しかし、この正社員の働き方は幹部社員に限るとしました。「高度専門能力活用型」は有期雇用です。「雇用柔軟型」は、賃金は時給で一時金や退職金はなく、有期契約です。この報告書は、これからの働き方をこの3つの型に類型化することで、総パート化の時代の始まりを宣言しました。
  図表1で明らかなように、95年のこの提言以降、非正規化は進み、圧倒的に多数を占めているのはパート労働者です。派遣労働者は、派遣法の規制緩和の流れにそって増えてきました。85年の派遣法の制定後、99年に派遣対象業務が原則
自由化されました。この99年を機に派遣労働者
は増え、さらに2003年の製造業派遣の解禁をへて急増しました。

2.低賃金

 非正規労働者の大きな問題は、低賃金と雇用の不安定です。各都道府県には、これ以下で働かせてはならないという、最低賃金があります。東京都の最低賃金は766円です。この賃金を下回らなければ、法律的には違法ではありません。この最低賃金に張り付いている低賃金が、パートの時給です。

 図表4は、月収20万円を超える者の割合です。月収20万というのは、年間で一時金を除いて240万円です。この240万円を超えるのは、パート労働者のうち6.7%しかいません。圧倒的多数の93%の人が240万円以下の賃金で働いています。
  派遣のなかで一番多い登録型派遣は、20万円を超える人が36.2%、年収240万に届かない人たちが63.8%もいます。年収240万円は、一人で生活ができる額とはいえません。
  東京都の最低生活保障、いわゆる最低の生活ができる額の目安は240万円です。全国ユニオンは春闘のときに、「どこでも誰でも時給1200円以上」を要求していますが、時給1200円は年収240万円を2000時間で割った時間当たりの賃金です。つまり、最低生活のできる賃金という意味で、「1200円」と言っているのです。圧倒的多数の非正規労働者は働いているのに1200円に届かない、生活できない、ワーキングプア状態です。憲法25条は、国民が文化的生活を営む権利があるとしています。現状の非正規労働者の賃金は、憲法25条に抵触しているといえるでしょう。
  この低賃金は、民間の非正規労働者だけでなく、いわゆる「官製ワーキングプア」と言われている市役所などの公務の職場で働く人たちにもあてはまります。官製ワーキングプアの年収は、05年で平均166万円と言われています。いま公務部門にも非正規労働者が増え続けて、40万~45万人とも言われています。 
  40万とも45万ともの「とも」は、何を表しているのでしょうか。公務には非常勤や臨時と言われる非正規の人たちがたくさんいますが、その人たちの賃金は物件費などの扱いとなっています。人件費として数えられていないために、明確な人数が出ていません。2007年、総務省が初めて出したのが、40万人という数字でした。
  派遣の賃金は、全国平均でいま時給1,288円、年収で230万8,251円です。派遣労働者の賃金はパートに比べて高いと言われていますが、それでも、年収で平均230万円です。

3.雇用の不安

 なにゆえに雇用が不安定なのか。非正規労働者だから切ってもよいわけではありません。にも関わらず、「雇用の調整弁」と言われ続けてきました。非正規労働者の多くは契約期間のある有期雇用です。会社に入ったときに、あなたは○ヵ月の契約です、と契約期間が示されます。有期契約を切る優位性は使用者にあります。使用者がいらないと思ったら、いつでも更新のときに切ることができる仕組みです。そのため、何回更新を重ねても、次の更新の時に切られるかもしれないという不安感をぬぐうことができません。弱い立場の労働者は、使用者にとって都合のよい労働者になることで、更新をクリアしようとします。
  年次有給休暇を取ると、権利を行使する生意気な人と思われ、次の更新をしてもらえないのではと思うと、年休の取得を我慢します。有期契約は労働者に自己規制させ、ものを言わせません。 
  ヨーロッパでは、仕事が一時的・臨時的である、季節的業務である、産休や育休の代替である、などの仕事をする人に限ってのみ、有期契約であってよいとされています。日本の場合は、仕事が一時的ではなく恒常的なものであるにもかかわらず、派遣やパートであることで、有期契約であってもよいとなっています。全国ユニオンは、理由のない有期雇用は入り口で規制すべきだ、とずっと主張しています。

  図表6を見てください。2001年に3ヵ月契約は約30%でしたが、2008年には40%に増えています。6ヵ月以下の3ヵ月や1ヵ月といった細切れの契約が、増えています。
契約期間の平均では、2001年の5.34ヵ月が、2008年には6.20ヵ月に延びています。仕事自体は一時的・臨時的ではないということです。恒常的な仕事にもかかわらず使用者にとって扱いやすい働かせ方ということで、細切れ契約にしています。今、有期契約は、非正規労働者にとって大きな問題です。「派遣切り」はまさにその典型的問題でしたが、法的にも使用者側が契約を切る権利を持っている、契約を切っても問われないといわざるを得ず、裁判でもなかなか勝つことができません。
東芝柳町事件判例では、何回も契約更新をくり返したときに、契約上は有期雇用であっても実態的に契約期間はない状態といえるので、客観的・合理的理由がなければ雇い止めできない、となっています。しかし、この判例には、契約更新の手続きが文書によるものでなかった上に、3ヵ月毎にきちんと更新契約がされていなかったという手続きのルーズさがあったがゆえに、となっています。現在、使用者は更新手続きを文書できちんと交わすようになってきましたので、交渉の時にこの判例をストレートに適用して主張するのは、困難になっています。
このため、私たちは、有期契約労働者の雇い止め交渉の時に、次のように主張します。1つは「雇い止めの理由」です。客観的・合理的にみて、雇い止めをしなければいけない理由があるのかどうか、ということです。もう1つは、これまでの判例で認められている「期待権」です。契約期間は3ヵ月と短くても、「あなたにはこれから長く働いてもらいたい」といった言葉が面接時にあったとか、一時的・臨時的な仕事ではないということが具体的な言葉としてあったなど。こういったやり取りが口頭であってもあれば、雇用の継続を期待できる権利がある(期待権)として、雇い止めに歯止めをかけています。
いずれにしても、低賃金と雇用不安定の問題はコインの裏・表の関係です。非正規労働者は低賃金を問題にしたくとも問題にした途端に契約解除される、均等待遇に近づけても契約更新で簡単に不利益変更されるなど、がんじがらめ状態にさらされています。

4.派遣切り

 「派遣切り」は、派遣労働者の問題を可視化しました。派遣の働き方は図表7にあるように、派遣労働者は、派遣先企業の指揮命令のもと派遣先で働きます。雇用契約は、派遣元である派遣会社と結ぶので、賃金や社会保険、雇用保険、年次有給休暇など労働条件に関することは、派遣元との関係において発生します。
  この三角関係のなかで、一番力を持っているのは派遣先です。なぜかというと、派遣先は派遣元に仕事を発注するお客様なので、お客様(派遣先)に対して派遣元はものが言えません。ものを言ったとき、派遣先が「他の派遣会社に変えます」といえば労働者派遣契約は終了です。08年末の派遣切りも、派遣先が「景気が悪い。減産します」といった途端に始まりました。派遣元は何も言えず、労働者を切ったのです。
  派遣法が85年に制定されたとき、この三角関係のなかで派遣先がいちばん力を持っているにもかかわらず雇用責任がない、という法律の枠組みについて、労働側は問題であると指摘しました。
  また、中間搾取率について規制がないため、派遣元が中間搾取をやろうと思ったらできることも問題だと指摘しました。派遣先は仕事を派遣元に発注して、派遣料金を派遣元に支払います。この派遣料金は1日当たり平均して1万5000円で、派遣労働者に賃金として平均1万円が支払われ、派遣元には約30%、5000円が残ると言われています。この派遣元に残る金額が30%以上であれば、派遣労働者の賃金は1万円以下になります。マージン率について規制がないため、グッドウィルやフルキャストなど多くの日雇い派遣会社のマージン率は50~60%だと言われていました。その結果、日雇派遣労働者の日給は6000~7000円、1日の拘束時間12~13時間で割ると時給600円以下で最低賃金以下でした。さらに、1日一稼働についてデーター装備費など呼ばれる不透明なものが200~500円引かれていました。まさに日雇い派遣はワーキングプアの温床でした。
  こうしたリスクは、派遣労働者が負わざるをえません。85年の派遣法制定時からこうした問題点が指摘されてきましたが、企業のニーズに応じた規制緩和の流れのなかで、99年には対象業務が原則的自由化され、専門業務だけでなく一般業務も派遣で働かせることができるようになり、物流などで日雇い派遣が広がりました。03年には製造業派遣が解禁され、派遣労働者は急増し、事業所の数も5万ヵ所に増え、売上げも6兆円超に伸びていきました。その結果が「派遣切り」の横行です。ゆえに、この流れは、企業にとって扱いやすい、解雇しやすい労働者を作る過程であったと言えます。

5.生存権が脅かされている

 全国ユニオンは「派遣切りホットライン」を2008年11月29・30日に開催し、472件の相談を受けました。一番多かった相談内容は、契約中途解除です。2月または3月までの雇用契約を文書で結んでいたにもかかわらず、11月半ばに突然、12月15~31日の間での契約の打ち切りを通告されていました。会社は、契約満了による雇止めという言い方をしました。労働者の多くは製造業現場で働いていて、会社の寮や会社が借り上げたアパートに住んでいました。仕事が切られ、同時に住んでいるところも出て行ってくださいと言われました。しかも3日後ないし1ヵ月以内でした。こういう状況で、どうしたらいいのか、という相談でした。雇用契約期間が残っている場合、残りの契約期間について賃金相当分を保障しなければいけません。しかも、本来は1ヵ月以上前に労働者に通告をしなければいけません。派遣法においても、途中で契約を解除する場合には、派遣先企業と派遣会社が協力して、労働者に次の仕事を紹介しなければいけない、となっています。しかし、労働者には一切説明もなく、突然契約が打ち切られたのです。
  彼らの多くが住んでいた会社の寮費や借り上げのアパート代は、本来は福利厚生という性格からいえば、会社が多くを負担すべきです。しかし、毎月家賃として賃金から4、5万円、最も多かった人で7万円が引かれていました。普通のアパートを借りるのと同程度の家賃を支払っていたのです。借地借家法では、退去の場合は6ヵ月前に通告しなければならないとなっています。逆に言えば、出て行ってくださいと言われた場合、通告の日から6ヵ月間は今まで住んでいた所にいる権利、つまり居住権があります。その説明も一切ありませんでした。
  しかも、通告と同時に、自己都合の退職願を書かされていました。多くの人たちが不安をぶつけてきました。彼らの時給は約1000~1200円、月収で15~17万円です。シフトで24時間体制ですが時給1200円位です。この15~17万円の月収から家賃が引かれ、さらに、多くの人たちがテレビや冷蔵庫、布団などのリース代を引かれると、残りの手取りは10~12万円です。なかには家族に毎月仕送りをする人もいるので、ほとんど手元に残りません。蓄えもないため、明日からの生活をどうしたらいいのかわからないという状態でした。
  相談を受けていて切なく感じたのは、労働者がバラバラで孤独なことでした。相談するところがないのです。家族とのつながりが見えない。友人・知人もいないという状態です。20~30代の人たちに「この先どうしますか」と聞くと、「実家へ帰ります」と言いましたが、地元に仕事があるわけではありません。40~50代の男性たちは「帰れるわけがない」と言いました。この年代になると、住まいがない、仕事がない、貯金がない、こんな状態で家に帰れますか、と言うのです。本来ならば、自分の父親や母親の面倒を見なければいけない。妻や子ども、家族を養わなければいけないのに、と言いました。
  彼らは、行政の窓口に行っています。ハローワークに行ったけれど仕事はないと言われ、生活に困って福祉事務所で生活保護を申請しても、「あなたは働ける身体でしょう」と言われ、受け付けてもらえませんでした。派遣を切った企業には、労働組合があるところもありました。しかし、彼らは労働組合に相談に行きませんでした。企業内労働組合は彼らにとって、無縁の存在でした。
  全国ユニオンは、この機に「日産ディーゼルユニオン」を立ち上げました。ユニオンを立ち上げた人たちは、たまたまホットラインに電話をかけてきた人たちで、派遣先は日産ディーゼルでした。派遣先は同じでも、派遣会社は日研総業や日総工産などとバラバラです。この3人は職場では喫煙所で顔を合わせていたので顔見知りでしたが、話しをしたことはなかったそうです。労働者同士の横の関係がない状態です。そのために、「派遣切り」という言葉を生むような乱暴なやり方ができたのだと思います。

6.「年越し派遣村」の開設

 11月末に相談を受けたとき、仕事と住まいを失った人たちはこれから先どうなるのだろう、と私たちは不安に駆られました。「日産ディーゼルユニオン」のようにユニオンを立ち上げた人たちは、それぞれの派遣会社や派遣企業に対して、雇用の継続と当面の賃金や住まいを保障するように交渉をし、賃金保障や寮に残れるなど勝ち取りました。しかし、多くの人たちは、明日からの生活をどうしたらいいかわからず、このままでは野宿するしかないという状況でした。
  相談者の多くの人は「東京に出る」と言いました。当てはないが、東京に行けば、まだ気温が高いから野宿ができる、東京には山谷や新宿中央公園、上野で越冬の炊き出しがあるので、そこに行けばいいと言いました。また、東京に行けば仕事があるかもしれない、と。すべてが「かもしれない」というだけです。
  私たちは、08年12月31日から09年1月5日、日比谷公園で「年越し派遣村」を開設しました。東京に出てきた人たちの年末年始が不安だったからです。労働組合として、目の前に困っている労働者がいれば何かをしなければいけない、と思ったからです。生活の問題があったので、自立生活支援の活動をしている「もやい」の湯浅さんに村長になっていただきました。
  私たちはこの派遣村を「命をつなぐ派遣村」と呼びました。皆さんは大げさだと思われるかもしれませんが。村民として登録した505人に派遣村に至った経緯をうかがったところ、派遣切りで仕事・住居を喪失した人たちが20.6%、日雇い派遣で仕事がなくなった人16.1%、派遣ではないが不況の影響で失業した人19.8%でした。
  「昨日どこで寝ていましたか?」と聞いたところ、野宿をしていたと答えた人が57.9%でした。静岡県から10日間歩き続けてきた人、新宿中央公園で派遣村のチラシを見て日比谷公園まで歩いてきた人、派遣切りにあって娘夫婦のところに居候していたが、娘の夫も派遣切りにあって居候できなくなり群馬から自転車で走りついできた人、リストラされて家族とうまくいかなくなり自殺をしようと山梨に向かい、駅のテレビで派遣村のことを見て来た人、神奈川県でウロウロしていて、お巡りさんが派遣村まで連れてきた人など、まさに、「命をつなぐ村」でした。たどり着いた人のうち10人は、その場ですぐに救急車で病院に運びました。3日3晩、飲まず食わず状態で野宿を続けると、意識が朦朧としてくると言っていました。
私たちは当初、200人程を予想していました。200人分の食べ物や寝る場所を用意しておけば足りると思っていました。ところが、1月1日の夜に200人を超えて、せっかくたどり着いてもテントで寝かせてあげることができなく、外のストーブの周りで一夜を明かしてもらうしかない、という状況でした。このままでは凍死させてしまうという不安感に襲われました。私たちだけでは、命を守れない、企業のニーズに応じた派遣法の規制緩和によって、派遣労働者がモノのように扱われ切られるという状況をつくった責任は国・政治にもある、その責任を問おうと考えました。1月2日朝から、派遣村実行委員会として、厚生労働省に対して政治災害だと訴え、まずは寝るところの確保を求めました。
  その日の夜8時過ぎに、厚生労働省の講堂が開放されました。講堂が開放されたとき、私自身がその場にいて感じたのは、講堂がとても暖かかったことです。冬の夜、テントで寝たことがありますか。一人に布団1組と毛布4枚を配りましたが、それでも寒くて寝られません。「毛布をあと1枚」と言われても、レンタル屋が正月休みで、その1枚すら配れない限界に来ていました。厚生労働省の講堂に入った途端に「あったかい」と皆が言いました。この講堂開放は、人として生き返らせた、考える気力を取り戻させたという意味で、村民を自立に踏み出させる役割を果たしたと思いました。

7.年越し派遣村のその後

 派遣村は1週間のみの開設でした。1週間後のことを考えなければいけない、一人ひとりが自立することを考えなければいけませんでした。派遣村には、労働組合や生活相談を受けている団体や、ホームレス支援の団体、弁護士、医療関係者などいろいろな人たちが集まっていたので、「総合相談窓口」を設置しました。これからの仕事や住まい、身体のこと、抱えている多重債務の問題など、具体的に改善するための相談ができるようにしました。
短期間で自立をするために、まずは住まいを確保しないと仕事を探すことができないということで、生活保護を活用しました。住所は千代田区日比谷公園ということで、千代田区に、一斉に280人の生活保護を申請しました。その結果、2月5日までに住まいを得ることができました。仕事はこの段階では2割の人たちしか決まっていませんでしたが、自立に踏み出すことができました。
  もう一つ明らかになったのは「雇用保険」の問題です。雇用保険は、自己都合で会社を辞める、あるいは会社から解雇されたとき、失業中の生活を心配することなく新しい仕事を探して、再就職することができるようにするための給付を行う制度です。ところが、雇用保険は正社員を想定して「1年以上引き続き雇用されることが見込まれること」という加入要件になっていたので、派遣労働者の多くは適用対象外にされ、雇用保険に未加入でした。雇用保険に入っていても、雇用保険を申請するときに、住まいが特定されていなければいけないので雇用保険を活用できませんでした。
  雇用保険を申請できたとしても、派遣労働者の場合は、離職票が出るまでに1ヵ月の待機期間があります。自己都合退職願を書かされている場合は、さらに3ヵ月間待機しなければなりません。この4ヶ月間を派遣切りにあった労働者はしのぐことができません。派遣切りに遭った労働者に、雇用保険は無力でした。リスクある働き方に対して、活用できるセーフティネットがほとんどないのです。生活するために、仕事するために、生活保護しか活用できませんでした。
  年越し派遣村は、派遣切りに遭った人の救済の場でしたが、派遣切り自体に対しては、何ら対策できていません。今もって派遣労働者は切られ続けています。厚労省は、6月末で20万人が離職すると発表しています。そのうち63.9%は派遣労働者です。派遣切りは、零細企業でというより、トヨタやキャノンなど日本の大手自動車会社や電機会社で横行しました。
トヨタはカンバン方式といって、部品や材料の在庫は置かないやり方を一貫してやってきました。派遣切りは、派遣労働者を在庫同様にモノとして扱い、在庫は置かない、とばかりに切りました。11月中頃まで残業につぐ残業をさせ、直後から一斉に切ったのです。
  共同通信によれば、大手の企業は33兆円もの内部留保を抱えています。派遣労働者の雇用継続等に要するお金は、ある試算によれば、約20万人と想定しても4800億円で、33兆円の内部留保からすれば微々たる額です。労働組合は、切っている企業に対して、“切るな”と行動しなければなりません。
  同時に、派遣労働者の雇用安定を実現するために、派遣法の抜本改正は急務です。改正の柱は第一に登録型派遣を原則禁止とし、常用型派遣、つまり期間の定めのない派遣とすべきです。第二に派遣先の雇用責任を強めるために、法違反があった場合、派遣先との直接雇用が成立するみなし雇用規定を導入すべきです。第三にマージン率を規制すべきです。第四に派遣先の労働者との均等待遇を図るべきです。全国ユニオンは、他の労働組合、団体などと協力して、派遣法の抜本改正実現に向け、取り組みを強めてきました。院内集会を重ね、12月4日には日比谷公園で集会を行いました。派遣切りに遭った労働者が壇上から「ホームレスにしないでください」と参加者2000人の前で訴えました。5月14日にも日比谷公園で1000人が集い、今国会に野党共同で派遣法抜本改正案を提出して下さいと訴えました。
  現在、正規労働者の働き方も大変厳しくなっています。非正規労働者や派遣労働者を切る企業は、正規労働者であっても必要なくなれば切ります。正規労働者が、正規労働者であらんがために長時間労働や会社に対してノーと言えないような働き方をしたとしても、正社員だから、賃金、労働条件、雇用が守られるという状況ではなくなっています。労働者全体の雇用劣化が進行しています。
  すべての労働者のディーセントワーク(人として尊厳ある労働)の実現に向け、労働組合は全力を傾注すべきです。正規・非正規にかかわらず、男性も女性も、中高年も若年層も、日本人も外国人も、日本で働くすべての人たちが、人間として生きることができる、働くことができるために、均等待遇の実現、合理的理由のない有期雇用の禁止、最低賃金の底上げ、などの取り組みを強めるときです。
  年越し派遣村にはボランティアが1,700人集まりました。カンパは5,000万円を超えました。ボランティアやカンパに支えられて、派遣村は開設できました。村民だった人はいま、いろいろな集会に参加しています。春の派遣村や相談会を開けば、そこに来て、新しく不安を抱えて相談に来た人たちに対して、自分たちの経験をアドバイスしています。自己責任がはびこりましたが、人としてありたい、生きたい、働きたい、という思いがつながっています。すべての人が“おたがいさま”で支えあえる社会の実現にむけて、まずは労働組合から、正規・非正規の壁をのりこえていきたいと思います。

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