一橋大学「連合寄付講座」

2009年度“現代労働組合論I”講義録
Ⅰ労働組合とは何か

第3回(4/24)

労働組合の組織と役割

ゲストスピーカー:山本 幸司(教育文化協会専務理事・連合副事務局長)

 皆さん、こんにちは。今日担当します山本です。すでに現場を離れましたが、20年間中学校の理科の教員で、日教組の組合員でした。その後、国家公務員や地方公務員の組合の共闘組織である公務員共闘会議の事務局長を12年間勤め、2007年10月の連合大会で連合本部に移りました。

1.連合はなぜ寄附講義にとりくむのか?

(1)連合とは・・・

 今日は、まず、連合あるいは教育文化協会が、なぜ寄附講義をやるのか、について話します。そのうえで、今われわれはどういう歴史・時代のなかに生き、何を解決していけばいいのか、連合が考える現状認識を提起します。
  日本の人口は1億2700万人で、そのうち自営業者および家族従業者が950万人です。雇用労働者は約5400万人で、そのうち正規雇用者が3510万人、非正規雇用者が1890万人です。労働組合に組織されている人の割合は18.1%で、連合の組合員は675万人という状況です。
  日本の労働組合は、主として企業別に組織されていますが、その企業別組合が産業別にまとまって産業別組織をつくっています。例えば、UIゼンセン同盟は、旭化成やスーパーのイオンで働く人や、介護労働者の組合である介護クラフトユニオンなどでつくられる組合です。連合のなかでは一番大きな加盟組合で、約100万人の組合員がいます。また、自治労という自治体職員が結集している組合もあります。自動車総連は、トヨタや日産やホンダなどの自動車関連の組合です。電機連合は、日立やパナソニックなど大手や中小の電機関連の組合で、JAMは中小・零細の多い金属機械労働者の組合です。日教組は教職員の組合です。基幹労連には、新日鐵やJFEなどの組合が入っています。生保労連は生命保険関連の組合で、情報労連はNTTやドコモなどの組合です。JP労組は郵便局職員の組合です。連合は、このような52の産業別の構成組織によって成り立っています。

 日本の労働者が労働組合に組織されている割合は18.1%、1007万人のうち、連合には12.1%、675万人が結集しています。この数については、日本の労働者全体の1割強しかいない、あるいは1割もいる、という2つの見方がありますが、675万人が結集する団体は、労働組合にかぎらず、NPOやNGOも含めて、他にはありません。今、日本で最大の団体といってもいいと思います。
 連合の最高意思決定機関は大会です。そのもとに中央委員会と中央執行委員会があります。
 連合がナショナルセンターと呼ばれるのに対して、地方連合会はローカルセンターと呼ばれています。都道府県単位につくられて、連合の下部組織という位置づけです。地方連合会は、各県内に地域協議会という組織をつくっています。将来的には全国300か所とする方針です。
 ナショナルセンターの主な仕事は、働く者にとって働きやすくするために、日本の労働市場のあり方をつくりかえていくことです。また、労働者が安心して暮らしていける年金や医療などの社会保障制度を実現させていくために、国に働きかける運動をしています。一方、地方連合会は、働く者にとって働きやすい、暮らしやすい地域づくりのために、働く者の立場に立った政策要求をとりまとめて、都道府県あるいは市区町村の行政に働きかけ、その実現をめざしています。

連合の5つの関連団体
  連合には大きく5つの関連団体があります。1つは、シンクタンクとしての「連合総研」です。課題ごとにアドホックな研究会を設置して、その道のエキスパートを主査においています。研究テーマごとに政策を形成するための基礎的な研究活動や調査などを行って、必要な政策提言をおこないます。
  「国際労働財団」は国から補助金を受けて、主として開発途上国の若手リーダーを招聘し、日本型労使関係の実態や日本の企業のなかで労働組合が果たす役割などについて研修をおこないます。彼らは自分の国に帰って労働運動のリーダーとなり、民主的な労働運動をすすめています。また、開発途上国には小学校にも行けずに家族のために働いているたくさんの子どもたちがいますので、そういう子どもたちのための学校建設や援助活動などを行っています。
  「教育文化協会」では、日本の労働組合の次代のリーダーを育てるために「Rengoアカデミー・マスターコース」を開催しています。政策をはじめとする体系的な受講カリキュラムに沿い、合宿形式で講義とゼミを行って、成果を論文にまとめます。また、本講座のように、いくつかの大学で「連合寄付講座」を開講し、労働組合が広く社会のなかでどういう役割を果たしているのか、また果たしていくべきなのか、ということを積極的に大学と連携して問題提起しています。また、連合に加入する組合員を対象に、労働法や社会保障などにかかわる基礎講座も開設しています。
  そのほかに、労働者派遣事業を行う「ワークネット」や連合のOB団体である「日本高齢・退職者連合」があります。

国際組織
  「ICFTU(国際自由労連)」は、2006年に「WCL(国際労連)」と合併して、「ITUC(国際労働組合総連合)」という国際組織をつくりました。それぞれの産業別組織には国際組織があります。例えば、金属機械労働者の組合であればIMF、教育労働者の組合であればEI、公務員組合であればPSIというように、産業別の国際組織があります。その産業別の違いを超えて、各国ナショナルセンターが結集して、国際的な規模で統一した労働組織としてITUCがあり、そこに連合は加入しています。

(2)連合結成から現在に至る背景と経緯

 連合が結成されたのは1989年の、今からちょうど20年前です。ベルリンの壁や東欧社会主義国の崩壊という国際的にも大きな激動期に、結成大会が開かれました。このときの大会結成のスローガンは、「平和 幸せ 道ひらく」でした。
  日本の労働組合のナショナルセンターはそれまで、大きく4つありました。総評と同盟、中立労連、新産別の4つです。この4つがまとまって、連合という新しいナショナルセンターをつくりました。ただその際に、総評は分裂し、全労連や全労協ができました。その結果、連合667万人(最新の数字では675万人)、全労連95万人、全労協16万人となっています。
  連合は何を掲げて、どんなことをやってきたのでしょうか--。連合は、1989年の第1回から2年ごとに大会を開いています。注目していただきたいのは、小泉政権が誕生した2001年です。新自由主義と言われる政策理念が次々と具体化され、象徴的なのは郵政民営化です。「官から民へ」「民でできることは民に」「改革なくして成長なし」など、小さな政府という政治スローガンのもとに、規制緩和政策が強烈に進行していきました。
  それは、労働市場にかかわる政策にも現れます。労働者派遣法がつくられたのは1985年、その後2004年には製造業における派遣が解禁されました。正直言って、当時私たち連合は、一部の官から民への規制緩和や小さな政府は、あながち間違いではないのではないかと、賛成する部分もありました。当時、連合のなかでそれはおかしい、という意見もありましたが、全体としては規制緩和が時代の流れに合致しているのではないか、という趣がありました。
  ところが目の前で社会がメルトダウンを起こし、社会そのものが崩壊していくという深刻な事態に直面します。そうした中で、第8回大会(2003年)では、「組合が変わる、社会を変える、安心・公正な社会を求めて」というスローガンを採択しました。
  このスローガンの意味は、当時の日本社会が安心の社会ではない、公正な社会ではない、働く者にとって決して住みやすい世の中ではない。そこで安心で公正な社会をみんなで力を合わせて求めよう、そのためには今までのような組合運動を続けていては実現しない、という思いがありました。
  そこで、組合が変わらない限り社会を変えることはできないし、社会を変えることができるような組合運動に変えるということをめざしたのです。今までの組合運動のどこを引き続き堅持し、どこを直すのか、そういう議論が起きました。そして、2005年第9回大会でも、同じスローガンを提起します。ただ、サブスローガンは「つくろう格差のない社会、職場・地域から」に変わりました。ここには、安心・公正ではない社会が、さらに悲劇的に世の中がおかしくなってしまった、という連合としての認識があります。

小泉政治の弊害
  当時、小泉総理は国会で「格差がなぜだめなのか。格差があって当然じゃないか。それが活力を生み出し、人生いろいろ、会社もいろいろ、人もいろいろ」と言いました。覚えていますか。そのとき連合は、「いや、格差社会はダメだ。われわれは認めない」と言いました。しかし、社会では、格差がなぜだめなのか、という議論が堂々と行われていました。そういうなかで連合は、「ストップ・ザ・格差社会」というスローガンを掲げて、全国でキャンペーンを行ってきました。
  この成果のひとつとして、今国会で「公共サービス基本法」という法律が、超党派で成立する運びとなりました。これは、国の責任や個人が引き受けるべき責任のすべてを、自己責任に帰することはできない、ということを基本認識とした法律です。個人では引き受けることのできない問題が山ほどあります。その中心的なものの1つが公共サービスです。
  公共サービスをもっぱら市場に出回る商品として提供する社会は、富を持たない労働者にとって非常に住みにくい世の中です。したがって、最終責任は国が負うというのが憲法25条の「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」、憲法が国民に保障している権利です。次に、その2項で「国は、すべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という義務を規定しています。
  つまり、人が人として誇りをもって生活していく最低限の健康で文化的な生活について、国がその責任を負うと書かれています。しかし、小泉さんは「負わない」と言ったのです。小さな政府では、そういう責任を国は負いません。国が負うのは、市場にだれもが平等にアクセスする機会、そしてフェアなルールに基づいて競争することだと言いました。市場において競争は不可欠で、競争において勝者と敗者が出ます。しかし、敗者は、公正なルールで平等な機会が保障された結果であるならば、その結果を受け入れろ、これが小さな政府だと、言い放ったわけです。そして、その後の政策の帰結がどこに至ったのかは、皆さんにご案内のとおりです。
  少々脱線しますが、自民党政治には保守本流の政治の特徴が多々ありました。その特徴のひとつが、田中角栄という総理大臣に代表されます。彼はコンピュータ式ブルドーザーと言われました。彼は自民党の政治について、兄弟が5人いたら、そのうちの1人はアカに走るのが健全な社会である、と言いました。アカとは左翼思想のことです。そのアカに走った放蕩息子も含めて、最終的に面倒をみるのが長男の仕事、つまり自民党の政治だと言いました。非常に懐が深いわけです。金権政治と言われましたが、自民党の保守本流と言われた政治の軸は、常にこれをおさえていました。これは憲法25条です。70年代までのリーダーは戦争で吐嘆の苦しみを経験しているために、このことが信念としてあったのです。
  もう一つの軸は、憲法25条の別の言い方であるユニバーサルサービスです。評価は分かれますが、均衡ある国土の発展論に基づいたものです。日本のどんな山間僻地でも、そこに人が住んでいたら役場と学校と郵便局をつくりました。つまり、人が人として生きていくために必要最小限のものは、国の責任としてつくられました。
  例えば、いま葉書は日本のどこから出しても50円で着きます。しかし、これは市場原理の採算論では説明がつきません。北海道から鹿児島に宛てて葉書を出したら、どう考えても50円では着きません。ところが、採算原理や市場原理を度外視して、公共サービスの基本にかかわるものについては、ユニバーサルサービスということで全国一律の料金にしました。
  電気料金もそうです。例えば、沖縄本島で1キロワットの電力を消費するのに必要なコストと、沖縄の離島でのコストは6倍の開きがあるといわれています。ところが、沖縄県全域で電力料金は一律です。これがユニバーサルサービスです。この考え方が、小泉政権では事実上捨てられたのです。人が住む山間僻地につくられた役場や郵便局、学校・分校は、今や統廃合です。
  小泉さんは、伝統的に保守本流が大事にしてきた政策を根底から変えました。その結果、社会的にある意味において活力は出ましたが、その一方で、ものすごいひずみが生まれました。

「非正規労働センター」のスタート
  「連合というのは、民間の正社員+公務員の勝ち組クラブでしょ」と世の中から言われることが多くあります。どういうことかというと、労働者が正社員と非社員に分かれて格差が生まれ、非正規の人たちがものすごく増えました。すると、連合に結集する組合員は、大手企業の会社員または公務員、教員など、いわば労働者の勝ち組であり、この勝ち組は、非正規または非常に低い労働条件のもとで働いている人たちの犠牲のうえにあるというのです。連合に対して、このようなレッテルが貼られました。
  そこで、連合は2007年第10回大会で「非正規労働センター」を立ち上げました。組合員からもらう組合費を、組合員のための活動だけに使っているのでは、組合員の中期的な利益は守れません。労働者のなかに不当な格差があるのなら、それを解消するために組合員以外の人のためにも手をさしのべた運動をやらないとだめだ、ということで非正規労働センターを立ち上げました。その時の大会スローガンは、「すべての働く者の連帯で共に働き暮らす社会をつくろう」です。そこには、675万人だけでは、すべての働く人たちが共に働き、公正で安心な社会をつくることはできない、という意味が含まれています。675万人が軸になって、5400万の雇用労働者が大きく手を取り合えるような運動をつくり出さない限り、社会を根底から変える力にはなりません。それをしっかりとやろう、という思いがスローガンに現れています。

これまでに実現した制度と政策
  連合は、育児休業法の制定や介護休業の制度化、パート労働法の制定、解雇権濫用法理の実定法化、介護保険法の制定、医療機関の領収証発行の義務付けなど、働く人にとって切実なさまざまな要求を掲げて、その実現のために努力をしてきました。現在、麻生総理のもとに設置され、与謝野財務大臣が責任者を務める「安心社会実現会議」という政策会議があります。連合の高木剛会長はこの会議の委員をしています。
  また、各種の労働政策をとりまとめる労働政策審議会があります。これには連合あるいは連合傘下の組合の代表が委員として参加をし、具体的な国の労働政策の決定プロセスに関与しています。このほか、各省の審議会等にも、多数の組合の代表が委員として参加しています。国の予算編成期に合わせて毎年、連合の求める政策・制度を整理して、各省に要請書を提出し意見交換をします。

連合がめざす社会
  私たちがめざす社会は、「労働を中心とした福祉型社会」です。労働は、生活していくために必要なモノやお金を獲得するための手段と考えられがちです。しかし、働くことは単に生活の糧を得る手段にとどまらず、積極的に社会に関わって自己実現をしていくという基本的な人間の営みです。それを言い変えると、人間の尊厳が保障された「ディーセントワーク」と言います。そうしたものを軸にした社会のシステムをつくる必要があるだろうと考えます。

労働市場の歪みを正す
  日本の労働者の賃金は非常にゆがんでいると思います。同じ仕事をしても、男女の正社員で賃金に格差があります。さらに同じ男であっても、正社員と非正社員で賃金格差がものすごくあります。雇用形態によって、同じ仕事で賃金に違いがあるのです。
  例えば、企業別組合では、どんなに優れたリーダーがこのような労働者の使い方はおかしいと思っても、現在の日本の労働市場のルールを所与の前提条件にせざるを得ません。それは、賃金の安い非正規やパートを労働力として使わなければ、他社との競争に負けて、倒産してしまうことがあり得るからです。そのため、現在の日本の労働市場のルールのなかで、組合員にとって少しでもいいものを獲得し、要求を実現するという問題のたて方をせざるを得ません。つまり、企業別組合からは、現在の労働市場のルールを変える力は出しにくいのです。そのため日本の労働市場の歪みを正すのは、ナショナルセンターの仕事だと私は思います。 

組合による労働市場への影響力~「春闘」
  1970年代までは労働組合の有無にかかわらず、企業間の賃金にあまり差がありませんでした。「春闘」という賃金改善交渉の闘いを通じて、日本の賃金労働者の相場がつくられたのです。最初に、鉄鋼産業、次に電機や機械、重化学工業の労使が交渉して、春闘の回答を出します。その回答は、私鉄や電力などの公益産業を含めた大手産業の賃金相場に跳ね返ります。さらに、電電公社の労働者や郵政労働者、国鉄労働者などの公務員の現業と言われる人たちの賃金相場に跳ね返りました。それから、労働基本権を剥奪されている、つまり労働組合として交渉する権利を持たずに、労働協約を結ぶ権限を認められていない公務員の賃金である人事院勧告の水準に跳ね返るわけです。この跳ね返った水準が、労働組合のない中小零細企業で働く人たちの賃金相場を下支えしていました。このようにして、日本全体の賃金相場がつくられました。
  かつて、ジョージ・バーナード・ショーが資本主義の矛盾について、次のように言いました。「資本家というのは、できるだけ安い賃金で労働者を雇いたがるものである。しかし同時に資本家は、その安い賃金で働かせて品物をつくるが、それらをできるだけたくさん買ってもらいたい、という衝動を持っている。」つまり、生産と消費の主体が、国民国家の枠組みのなかで共存していたわけです。一国的規模で、ある一定の範囲で賃金相場を収斂する条件がありました。
 ところが、今はグローバリズムの時代です。ヒト、モノ、カネ、情報が国境を越えて全世界を動きます。そうすると生産と消費の主体が一致しなくなるのです。具体的な例で言うと、資本家ができるだけ安い賃金で雇いたいと思えば、日本でモノをつくらずに、例えば中国に行きます。人件費は10分の1だからです。そこでできた品物は、別の国の豊かな人が買います。外資依存の産業と内需型の産業では、支払い能力に大きな差が生じます。こうしたこともあり、現在では、春闘による賃金相場の波及効果は、かつてほど影響力を持たなくなってきています。
 東京都産業労働局が出している『中小企業の賃金・退職金事情』という調査があります。都内の従業員10~300人未満の中小企業に限定して、初任給、平均賃金、賞与、諸手当などを調べています。2008年12月の結果によれば、常用労働者の平均賃金は、労働組合の有無によって、所定内賃金で2万1559円の差が生じました。ボーナス、一時金については、組合のある企業122万3846円に対して、組合のない企業95万4000円です。年間で約27万円の開きがありました。
  これは当たり前の結果です。経営者はできるだけ安く人件費をおさえたいと思うからです。労働組合があれば、労働者は当然、自分の利益の配分を経営者に要求します。一方、経営者からすれば、要求がない限り、慈善事業ではないので、従業員の賃金を上げようとしません。

日本の未来はフランス型またはスウェーデン型?
  日本の労働運動には今、フランス型またはスウェーデン型という客観的な選択肢があると私は思います。日本の労働組合の組織率は18.1%、それに比べて、フランスの労働組合の組織率はわずかに8%です。ところがフランスの場合、この8%の人たちが産業界の代表と交渉して労働協約を結びます。結んだ労働協約は拡張適用されて、労働組合の有無にかかわらず、その産業のすべての人たちに適用されます。したがって、8%の人たちが交渉する結果は、フランスの労働市場全体のありようを決定する強烈な力を持っています。ここが日本とは全然違います。
  スウェーデンは労働組合の組織率が80%です。どのような組織形態であろうと、そこで決まったことがスウェーデンの労働市場のありようを決めます。一方、日本の場合は悲劇的です。組織率は18.1%ですが、日本の労働組合は企業内の内部労働市場に対する影響力を持っていても、会社の門を一歩出た途端に、外部労働市場に対しては何ら影響力を持っていません。そのため、日本の労働市場の歪みを正さない限り、働く者にとってはきわめて働きにくいルールになっています。
  フランスのように、産業別の労働協約が日本の産業全体に拡張適用されるような方向をめざすのか、それともスウェーデンのように組織率を8割ぐらいまでにあげるという道をめざすのか。今、大きな選択が迫られています。
  1ヵ月前にフランスの公務員担当大臣が連合に来て、意見交換をする機会がありました。フランスの失業率は二桁で、日本は4.4%という数字です。フランスの公務員担当大臣は、なぜ日本ではそれほど失業率が低いのか、と不思議そうでした。フランスの場合、企業業績が悪ければ、経営者は労働者を自由に解雇できるため、失業率が高いのです。その背景として、フランスでは、失業した時点の賃金の80%が失業保険として2年間支給されます。再教育期間として国が保障するのです。
  日本の場合は失業したら路頭に迷っても、それは自己責任という風潮が蔓延しています。また企業側も首を切れないから、できるだけ最後まで頑張るという、日本とフランスでは労働市場における圧倒的な違いがあります。つまり日本とフランスでは、雇用にかかわる公的なセーフティネットの整備に差があります。しかし、フランスの産業の国際競争力が極端に低いのかと言えば、そんなことはありません。その国の国民がどのような社会のありようを求めるのか、という選択の問題です。その限りにおいて言えば、日本の労働運動は求められる役割を果たせていないと思います。

2.われわれはどういう時代を生きているのか?

 FRB(アメリカの中央銀行)のグリーンスパン前議長は、リーマンショック以降の事態をとらえて「100年に一度あるかないかの危機」と言いました。これに関して、次のような指摘があります。
  「戦後日本社会は、福祉国家路線を選択し、『一億総中流』社会を実現した。しかし、重化学工業を基軸とする産業構造を基盤とした福祉国家は行き詰まり、これに対する批判として新自由主義的・市場原理主義的改革、小さな政府路線は登場した。福祉国家の行き詰まりとは、福祉国家に集約されていた経済システム、政治システム、社会システムという相互補完関係が崩壊したことを意味する。重化学工業を機軸とする古き時代が、軽化学工業から重化学工業へと基軸産業を移行させる第2次産業革命に導かれていたとすれば、新しき時代は基軸産業を知識集約産業へと移行させる第3次産業革命によって先導されていく」(神野直彦東京大学教授『希望の構想』から)。
  リーマンショックが起きる前から、私たちは100年に一度あるかないかの非常に大きな歴史的転換期に生きているという指摘です。これまでの社会モデルは、重厚長大の重化学工業を基軸産業とした経済・産業構造のうえに社会システムができていました。男女の性別役割分担に基づいて、男は外で働き、女は家を守る。男性は正社員で終身雇用、年功賃金、女性は家で育児や介護をするというモデルです。こういう社会モデルのもとに、さまざまな制度ができました。だから賃金は、仕事賃金でなくて扶養手当が付きます。同じ仕事でも結婚して家庭を持っている人と持っていない人で賃金が違うというのは、純粋賃金論でいえばおかしな話です。しかし、これまでそれは当たり前でした。健康保険や公的年金は家族単位です。
  しかし、社会構造の変化によって、このような社会モデルでは対応できなくなりました。その一番良い例が、介護保険の創設です。介護という仕事は、これまではもっぱら家族によってなされてきました。しかし、もはや家族による自己責任では背負うことができないことがはっきりした結果、社会の共同事業としての介護保険制度ができました。

知識集約型産業への移行~4つの軸
  現在は、第2次産業革命に匹敵する第3次産業革命のまっただ中にあります。知識集約型産業への移行の軸は4つあります。コンピュータ、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、そして航空宇宙産業です。
  コンピュータが登場することによって、生産過程が根本的に変わりました。今までの産業革命は、労働の中心に人間がいました。しかし、コンピュータは全自動です。生産過程に対して人間が並存する根本的な変化が起きました。そしてインターネットで世界が一瞬のうちにつながりました。
  ナノメートルというのは10の-9乗メートルです。原子の大きさは、10のマイナス10乗。技術がすべての分子と原子を並べ替えることによって物をつくり出すことができるという世界に入ってきました。例えば、ガン細胞をやっつけるのに、抗ガン剤を飲むと人間の全部の細胞を侵します。しかし、ガン細胞の大きさに合致した小さなキャリアをつくり、そこに薬を入れて血管に入れると、ほかには一切吸収されないでガン細胞にだけ吸収されるという非常に効果的な抗ガン剤を実用化しています。
  カーボンナノチューブというものをご存知ですか。同じ炭素原子でも、並べ方によっては炭やダイヤモンド、カーボンナノチューブにもなります。これが操作できるようになりました。アメリカの国会図書館にあるすべての本を、角砂糖1個のなかに保存できるという記憶媒体が、いまつくられようとしています。 
  携帯電話はナノテクノロジーを結集したものです。1平方センチの基盤のうえに10億のトランジスタが入っている超集積回路です。世界中に何億という携帯電話があるとすると、何十億種類の電波が飛んでいることになります。その中で、自分のところ飛んできた電波だけを受信することができるというすごい技術です。
  バイオテクノロジーについては、遺伝子レベルで操作できるようになりました。
  航空宇宙産業も含めたこれらの4つが、人と人の関係や労働のあり方、時間の感覚、距離の感覚を一変させました。こうした変化に照合した新しい社会モデルが求められていますが、われわれはまだそれに成功していません。これをやるのが皆さんです。
  市場経済は循環的な恐慌を避けることができません。何年かに1回は必ず来ることを経験のなかで知っています。一国的な国民経済を基盤とした経済のなかでは、市場をなんとかコントロールする知恵を人類はつくってきました。ところが、1991年のソ連の崩壊以降、一気に世界は単一の市場になりました。その市場とは、かつてのレッセフェール、原初状態の何も手が加わっていないむき出しの自由な市場です。その行き着いた先が現在です。世界規模に広がった市場をどのようにコントロールしていくのか、お金の流れやシステムをどのようにつくっていくのか、という新たな模索が行われています。私たちはいま、新たな局面に立たされています。

3.一橋大学の学生に期待する3つのこと

 近代法あるいは近代民法では、個人の自由意思と契約の自由が大原則です。この大原則を思想的・理論的に徹底すると、労働組合をつくることは、それに反します。集団的労使関係というのは団結して、労働者と経営者の自由な契約に圧力をかけるということです。そのため労働組合は、自由主義国において社会的な市民権を得るまでに、ものすごく時間がかかりました。そして第二次世界大戦後に、労働組合は社会と不可分のものとして成立したという経緯があります。労働者は、本来団結をしなければ、使用者との間で対等の立場がつくれません。したがって、団結権というのは決定的に必要な基本的人権であり、憲法28条に保障されています。
  2つめは、具体的進路と労働組合とのかかわりについてです。皆さんのなかには、民間会社に就職する人、または自分で企業を経営する人もいるでしょう。ユニオンショップといって、会社に入ったとたんに組合員になる人もいます。そこで、組合役員をやってほしいと言われる人がいるかもしれません。人事部に配属になり、組合側との労使交渉のための基礎資料をつくることになるかもしれません。経営者になって、自分の会社に労働組合がつくられるかもしれません。そうした意味で、皆さんには、労働組合とは何か、働くとは何か、雇用法制はどうなっているのか、についてしっかりと学んでいただきたい。連合は、そのための機会を提供したいと思います。
  最後に、社会の公器としての労働組合・労働運動について話します。ILOのフィラデルフィア宣言を引用するまでもなく、この世の中で物質的な富を生産しているのは、原初形態としての企業です。そこに必要なのは、主要な担い手としての経営者と労働者です。それぞれの代表がしっかりと発言し、そこで社会のありようを決めていくことを、制度として保障しなければ、社会は非常にゆがんだものになります。その意味で、労働組合が果たさなければいけない役割は、働く者がより人間的に保障される労働市場あるいは社会保障制度をしっかりとつくっていくことだと思います。
  かつて竹中平蔵さんは、日本で市場原理主義を突き進めました。彼は2000年に、「経済格差を認めるか否かについて、現実の問題として、もうわれわれに選択肢はないと思っています。みんなで平等に貧しくなるか、がんばれる人に引っ張ってもらって少しでも底上げをねらうのか、道は後者しかない。アメリカでは一部の成功者が全体を引っ張ることによって、全体が底上げされて人びとは満足しています。実質賃金はあまり伸びないけれども、それなりに満足しているのです」と言いました。
  最後に、民主党の議員が政府に質問趣意書を出して、出てきたデータを紹介します。2002~2007年までの間に、日本のGDPは22兆円増えました。それに対して労働者の賃金総額は、マイナス5兆円です。この間の税金負担は5兆円増え、社会保険料負担は4兆円増えました。
  つまり、会社の利益が上がったときに、行き場所は主に4つです。1つは労働者に富が配分される。2つめは経営者に配分される。3つめは株主に、4つめは国家の税金です。基本的にはこの4つしかありません。あともう1つは、内部留保です。いざなみ景気で22兆円の富が増えたにもかかわらず、働く人の手取りは大きく減りました。経営者と株主に行きました。その間に正規労働者が100万人減り、非正規労働者が320万人増えたという、富の分配の歪みが日本社会の歪みをつくっています。これを正すために、働く者が束になって、適正な分配率を保障する力を持たなければいけないと思います。
  その意味で、日本社会の歪みを正していくためには労働運動が必要な力を持たなければいけない、ということをみなさんにご理解をいただいて、時代をつくっていただければ大変にありがたいと思います。次回以降の講義で、具体的な姿を学んでいただきたい。ご清聴ありがとうございました。

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