水町勇一郎
『労働法入門』新版

『労働法入門』新版

岩波新書
860円+税
2019年6月

評者:長谷川裕子

 著者は政府の「働き方改革」に影響を与えた労働法研究者である。主な著書として『個人か集団化? 変わる労働と法』『差別禁止法の新展開』『労働時間改革』『非正規雇用改革』『労働法改革――参加による公正・効率社会の実現』等がある。著者は労働法改革に関して積極的に意見を述べ労働法の世界に改革という風を送り続けてきた。また、厚生労働省の労働政策審議会委員、公益通報制度検討会委員として、積極的に意見を述べ労働政策に取り組んできた。集団的労使関係にも精通し、東京都労働委員会の公益委員として不当労働行為の救済制度の実務経験も豊富である。働く者への優しい視点、企業の生産性への配慮等バランス感覚の良い研究者でもある。このような著者の労働政策理論は今、これからの労働法の姿を考察する提言として注目されている。本書は今回、既刊『労働法入門』を改訂したものである。「新版」として世に出すこととしたとする著者の意気込みが各章からくみ取れるであろう。

 『労働法入門』新版の意図は、今後「労働法はどこへいくのか」を著者と共に考えることにあるのではないか?
 「働き方改革」は労働界、研究者、弁護士の間で評価が割れる。著者水町勇一郎東大教授は、「はしがき」で「2018年6月、働き方改革が成立し、2019年4月から施行されはじめた。この『働き方改革』は日本労働法としては、終戦後の労働三法制定以来の『70年ぶりの大改革』とも言われるものであり、日本の働き方や働く人の意識そのものを変えることを目指した改革である。その主な内容は、時間外労働に法律上罰則付きで上限を設定すること、会社に年休を付与する義務を罰則付きで課すこと、正社員と非正社員『パートタイム労働者、有期雇用労働者、派遣労働者』との間の待遇格差の是正を図ることにある。」、「法律改正や判例の展開状況を盛り込みながら、近年大きく発展している労働法の背景とその基盤・特徴を描き出すというねらいで、本書を改訂し、新版をだすことにした。」と述べている。ここには本書に対する著者の強い思いが込められている。 
 労働者を保護する労働関係の法律として労働法がある。例えば、労働基準法、労働契約法、労働安全衛生法、最低賃金法、男女雇用機会均等法、パートタイム・有期雇用労働法、高年齢者雇用安定法、障害者雇用促進法、労働契約承継法などである。また、解雇権濫用法理、採用内定法理、配置転換法理など民法上のルールが、労働を巡る裁判の判決のなかで判例法理として発展・定着してきた。
 労働法は、民法、商法、倒産法などとも深く関わる法律であるが、本書の労働法の解説を読み進む中でそれら関連する諸法律を学ぶことができる。さらに著者は、いま現場で起きている様々な労働問題についても、労働法は適切に「法の役割」を果たしているのかを検討しており、その評価は読者にとっては大変参考になる。
 本書は第1章・労働法の歴史、第2章・労働法の法源、第3章と第5章・労働契約法、労働基準法、労働安全衛生法、第4章・労働者の人権、第6章・労働組合に関する法律と続く。このなかで著者は「労働組合の存在する理由は決して時代遅れではない」と労働組合の役割を評価している。第7章で労働者派遣など労働市場の問題、第8章で「労働者」と「使用者」が取り上げられている。最後の点は現在、セブンイレブン事件等労組法上の「労働者とは何か」を巡って論議が活発におこなわれ、政府の検討会などでも議論されているホットな内容である。また、労働時間規制や正規・非正規労働者間の待遇格差禁止に関する内容は働き方改革関連法律の理解のために必読である。
 著者は労働法を解説しているだけではない。第10章では、労働法の背景にある変化とこれからの改革に向けての課題を提起している。その前提として、日本の労働法を巡っては、一つには「個人」としての労働者に視点を移して個別の労働契約をサポートする方向に進むべきであるということと、二つに、人間らしい労働条件実現のためには「国家」による法規制が重要であるという二つの点が主張されている。
 その上で著者は、社会の多様化・複雑化が進むなか、国家には、多様な問題をきめ細かく把握・認識して実態に応じた適切な解決を図っていく能力やそのために必要な資源の点で限界があると述べる。また国家や役所がルールを法令で定めたとしても、労働の現場実態の急速な変化に合わず、法は守られないで法と実態が乖離したまま終わる可能性が高いと指摘している。この問題を解決するためには、「国家」と「個人」の中間に「集団」的な組織やネットワークの存在が必要であるという。問題の認識と解決・予防を図っていくためのそうした制度的な基盤をつくりあげていくことが、これからの重要な課題だという。これからの労働法においても「国家」「個人」「集団」の適切な組み合わせ形で構成されるものになるという著者の見解は非常に興味深い。
 ここで提起されている「集団」のなかには、労働組合も含まれるであろうが、著者は「従来の『集団』的な労使関係に場合によっては透明性と解放性という新しい風を入れて息を吹き返させることが必要」だとする。しかし「集団」は労働組合を超える。著者は「法律によって新たな『集団』的制度を作り出していくこと」を提唱する。これはまさに労働者(従業員)代表制、労働者代表法制定のことを指しているとしか考えられない。この提起も真摯に論議する必要があろう。
 最後になるが、労働法の未来は如何なるものか。著者も述べるように、人びとはずっと昔から働いていた。そして、働くことについての認識やルールは、歴史の中で、人びとの意識や社会のあり方に応じて変わってきた。そしていま、大きな社会変化のなかで、労働法もまた大きな変革のときを迎えている。これからの労働法のあり方を決めるのは、「私たち」なのだとの思いを強くする。
 本書は「労働法入門」と称しながら「入門」の書ではない。労働現場の実態に触れ、適応する労働法を紹介・説明・解釈し、その上で社会の変化と現場実態を適切に捉え、現行の労働法が内包する問題と検討課題を明確に提起して、解決方策を考えさせるという豊富で高度な内容をもつ教科書である。


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