柴田悠
『子育て支援が日本を救う―政策効果の統計分析』

子育て支援が日本を救う―政策効果の統計分析

勁草書房
2016年6月
2,500円+税

評者:村杉直美(教育文化協会常任理事)

 今の日本で「子育て支援」の重要性を否定する人はほとんどいないだろう。そうであるにもかかわらず、毎年のように保育所の待機児童数が話題に上っている。昨年2月の「保育園落ちた日本死ね!」に対して、「誰が言ったかわからないから対応のしようがない」という安倍総理の素っ気ない国会答弁が保活に疲れ果てた世の親(とりわけ母親)たちの怒りを買い、大炎上となったあげくに、ようやく政府が重い腰を上げたように見えた。がしかし、それですぐに予算措置が図られるかといえば、すでに財政は硬直化して、義務的経費を除けば、新たに拡充できる余裕はほとんどない。そのうえ、ほかにも喫緊の課題はたくさんある。
 本書は、そうした現状において、今こそ子育て支援策を、国を挙げて行うことが、将来の日本の幸せにつながるのだということを、客観的なデータに基づいて統計分析することで明らかにしている。具体的には、「経済成長率」「労働生産性」「出生率」「子どもの貧困率」「自殺率」などの重要な社会指標に対して、子育て支援などのさまざまな社会保障政策がどのように影響するのか相関関係を分析し、その結果から「子育て支援が日本を救う」という結論を導いている。

 第1章では、現在の日本の最も重要な課題である「財政を健全化する」「自殺率を下げる」「子どもの貧困を減らす」にはどのような政策が有効なのか、を出発点に、本書の射程の全体を示している。
 第2章では、本書で用いられた統計分析について、どういう前提や手法で推計を行ったのか、「データ」と「方法」を明らかにしつつ、丁寧に解説する。
第3~8章は、1章で提示した「財政余裕」「労働生産性」「女性労働力率」「出生率」「自殺率」「子どもの貧困率」に対して社会保障政策がどのような効果を示すのか、順次推計する。
 それによれば、財政を健全化させる(「税・社会保険料-社会保障支出」を増やす)には、「労働生産性を高める」ことと「失業率を下げる」ことが有効である。さらに、労働生産性を高めるには、「女性の労働参加」「保育サービス」「労働時間の短縮」「起業支援」「高等教育支援」「個人税の累進性強化」「失業給付」「高齢化の抑制」が有効である。そして、女性の労働参加を促すためには、「保育サービス・産休育休・高等教育支援の拡充」「女性の労働移民をより多く受け入れる」といった対策が有効だと結論付ける。また、高齢化を抑制するには、根本的には出生率を高める必要があり、そのためには、「保育サービス」が最も有効だとする。
 次に、日本社会が抱えるもうひとつの重要な課題である、自殺率を下げる政策については、「職業訓練(就職活動サポートや休職期間中の生活保障も含む」)「結婚支援」「女性就労支援(保育サービス、産休育休など)」「雇用奨励」が有効であるとする。
 さらに、「子どもの貧困」は機会の不平等を発生させているだけでなく、日本社会全体にとっても大きな損失であるとし、その対策として効果的な政策を検証している。その結果、子どもの相対的貧困をなくすには「保育サービス」「児童手当」「ワークシェアリング」「失業給付」が有効である。
 第9章では、子育て支援と就労支援による波及効果を予測するとともに、そのために必要な財源を試算する。具体的には、単年度予算において、保育サービス1.8兆円、児童手当2.5兆円、起業支援0.2兆円分、合計4.5兆円の追加予算が必要になると推計し、ここからすでに消費増税5%によって確保される0.7兆円を除き、合計3.8兆円(2015年名目GDPの0.8%)が必要であると試算する。
 この結果、潜在的待機児童(就学前保育100万人+学童保育40万人)は完全に解消され、労働生産性の成長率(と経済成長率)は2.9%増加し、子どもの貧困率(2012年16.3%)は先進諸国平均(OECD平均2010年ごろ10.5%)にまで減り、財政余裕(2009年GDP比4.56%)は10年後にOECD平均(2009年GDP比11.41%)にまで増え、合計特殊出生率は約0.02ポイント増え、年間の自殺者数は約500人減少すると推計する。
 第10章では、これらの政策を実施するための財源確保策として、現行の税や社会保険料の改革による可能性を各々検討したうえで、有権者からの抵抗を小さくし、合意形成を容易にする最適な方法として、「相続税の拡大」「資産税・所得税の累進化」「被扶養配偶者優遇制度の(低所得世帯への)限定」などを小規模ずつ組み合わせる「小規模ミックス財源」を提案する。
 最後の第11章では、10章までの議論をまとめ、「これからの日本にはどのような選択肢があるのか」を整理し、今後の日本社会の可能性を展望する。

 本書で提案されている政策の中身は決して新しいものではなく、これまでも個別にはその必要性が主張されてきたものである。また、取り上げている政策はかなり大まかな項目で、現実的に実行する詳細なレベルのものではない。個別に言及している政策について、異論がないわけでもない(たとえば保育におけるバウチャー制など)。
 しかし、本書が注目に値するのは、政策効果を数値化して示すことで、より子育て支援策への予算充当にコンセンサスを得やすくする客観的な根拠を提示したことである。その手法は、仮説に基づき想定する数多くのケースについてシンプルに統計分析を重ね、示される結果はあくまでも○%プラス、とか○%マイナスという数値によって提示される。わけだが、そこには、「政策は、日本で生きるすべての人々に影響するからこそ、『主観的な印象だけでなく、できるだけ客観的なデータに基づいて、政策を検討してほしい』という、著者の強い思いが反映されている。また、データの種類や分析方法、またそれを選択した根拠を明らかにすることで、誰でもその結果を再現することもできるという点は、こうした手法は労働組合が政策立案を行ううえでも、大いに参考になるだろう。
 また、これらの子育て政策が、今の日本を救う戦略として相互の関連性を明確にして提示されていることも重要である。財源の水準についても、政策効果が一定程度得られ、かつ十分実現可能だと思われるレベルを想定しており、その確保策(小規模ミックス財源)についても説得力が感じられる。
 しかし、いわずと知れた縦割り行政の現状においては、その実現はなかなか簡単なことではないだろう。たとえば、家計内での赤字対策ということなら、財布を握る人の強力なリーダーシップでもって、今月は交際費と外食代、洋服代を節約しようとか、いろいろな費目から少しずつ削る、というのはしごく現実的、実際的な発想だと思う。しかし、国の財政においては、いかに小規模であったとしても、一つひとつの政策ごとに利害調整を行うのはやはり膨大なエネルギーを費やすことになるのではないだろうか。全体的な視点から課題を捉え、利害調整を行い、財源確保を実現させるのは、やはり政治の役割であろう。
 一方で、保育所建設に対する近隣からの反対運動しかり、子どもの遊び声の騒音問題化しかりで、予算さえ確保できればすべては丸く収まるということでもないのが今の日本社会の実情である。筆者は、日本において、子育て支援や就労支援が先進諸国に比べて乏しいのは経済的背景が原因なのではなく、むしろ社会的背景(筆者は代表的な例として「人口構造」「宗教」「民主主義」の歴史を取り上げている)が原因なのだと指摘している。各地で発生しているトラブルはそのような社会的背景を反映しているとも考えられる。しかし、それは決定的で変更不可能なものではなく、有権者の今後の「選択」により乗り越えることができる、という。
 本書で提言されている政策を実現へと動かし、選択する原動力は、まさに子育て世代を中心とした世論にこそある。本書の提言は労働組合としても大いに検討に値するものであると思うし、少子高齢化で、働きながら子どもを育てる世帯がますます増加することが予測される中で、本書の提言で示された分析結果(の数値)と、実際の暮らしをつなぐのは、労働組合の役割であると思う。議論を行い、コンセンサスへと導く機会を提供するという意味で、労働組合に求められる役割は大きい。

 最後に、本書の本質的な問題点として、統計的な回帰分析は、あくまでも各項目間の相関関係を示しているにすぎず、その結果のみを持って政策誘導できるということにはならないし、決してそうあってはならないとさえ思う。やはり、生活実態や実感と丁寧にすり合わせ、データが事実を裏打ちしていることを検証したうえで、結果として求められている政策の意義が客観的に補強されて説得力を増し、実現可能性へのコンセンサスに導くことができる、というふうにあるべきであろう。
 また上述したとおり、本書では、あくまで各政策の財政規模の拡充という提案にとどまり、具体的な政策の中身についてまで深く検討されていない。より本質的に重要なのは、個別の政策として具体的に何を実施するかであり、それによって実際の政策効果が大きく異なってくるのは言うまでもない。たとえば、保育サービスについて、現在緊急避難的に行われているように、とにかく待機児童を減らすために(これが非常に重要な政策であることに異論はないが)受け入れ児童を増やすという量の拡大だけが優先されることなく、同時に保育の質の確保が不可欠であるという視点もあわせて強調されるべきである。また、児童手当と保育サービス、育児休業などの政策が並列に分析されているが、それぞれの政策の持つ意味の相違について厳密に区別されたうえで提案されているとはいえない。
 紙幅の関係で他の問題とすべき点についてさらにここで指摘はしないが、以上のような問題点や限界はあるにせよ、そのことが、本書で提起されたことの意義を小さくしているわけではない、ということは強調しておきたい。
 欲を言えば、日本のいくつかの自治体において、すでに子育て支援策の拡充によって、高い出生率を維持していたり、人口を回復させている事例が散見される。こうした事例についても分析されることによって、今回の提言がいっそう説得力を増すことができたのではないだろうか。


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