橘木俊詔
『新しい幸福論』

新しい幸福論

岩波書店
820円+税
2016年5月

評者:柳宏志(連合総研研究員)

 少子高齢化が急速に進む日本で、これまでのように大きな経済成長を続けることは可能なのだろうか。経済成長率が上がれば、人は幸せになれるのだろうか。本書は、格差問題の代表的な論客として知られ、とくに貧困者の数が増えている現実を重大な問題ととらえて格差の拡大に警鐘を鳴らし続けてきた著者が、こうした問いに向き合い、経済成長の追求は必ずしも人々の幸福感や格差是正にはつながらず、限界や弊害も少なくないことなどを論じたうえで、「脱成長路線」の立場から、本当に心豊かで幸せな生活とそれを実現できる社会のあり方を考えた1冊である。

 本書ははじめに、格差社会の現状を、要点がひと目でわかる明快なデータを用いて整理していく。近年、一部の高額所得者の富裕度が極端に高くなる一方で、単身高齢者や母子世帯を中心に貧困者が増えており、国民の16%が貧困状態にある(相対的貧困に該当する)という深刻な事態にあることを示し、かかる格差は、経済や社会の変化の帰結であるだけではなく、女性差別や親の所得格差から生じる子の教育格差といった「機会の不平等」が影響していることを指摘する。いずれもこれまで語られてきたことではあるが、著者が「本書は私のいままでの研究や主張してきたことの、一つの集大成である」というとおり、格差問題の全体像が平易かつコンパクトにまとめられている。
 格差がこれほどの社会問題になっているにもかかわらず、一向に是正されず、それどころか、政府は経済界の意向を受けて、税と社会保障による再分配政策や労働に関する規制を弱めている。これについて著者が、「国会議員を選ぶのは国民なので、政府の意向は国民の後押し、ないし希望を反映したものなので、ここでは政府と国民は一体とみなす」として、「日本人は所得分配の不平等はやむを得ない、あるいは強力な再分配政策は不必要と判断している」などと述べている点については、「ただし格差問題以外の他の要因による政権交代ということがあるので、政府と国民の意向が常に一致しない場合もある」との断り書きがあるにせよ、やや違和感を抱くところではあるが、現在の政府の政策が、勝者と敗者を生む「競争」を重視し、格差是正や平等性の確保よりも経済効率性を優先する傾向が強いことは明らかであろう。
 では、格差を放置したまま経済成長を追求することの是非をどう考えるのか。一部の論者が主張するように、経済成長率が高まれば格差は縮小するというのは本当なのだろうか。
 著者の見方では、少子高齢化で貯蓄率が低下している現在の日本では、資本成長率が負になる可能性が高い。こうしたなかで正の経済成長を得るには、労働成長率をかなり高くする必要があるが、教育訓練で一人ひとりの労働生産性を向上させるのは時間がかかるし、労働時間を長くしてカバーするというのも望ましい方法ではない。また、たとえ経済成長を高くすることができても、日本では「所得分配の不平等はやむを得ない」との考え方が強く、格差是正政策への支持が低いために、成長の果実の大半を勝者が手にし、敗者には恩恵が及ばず、格差がより拡大する、と考える。
 したがって著者は、「脱成長路線」を支持し、経済成長率を上げることよりも、国民が心豊かで幸せを感じられる政策を考えることのほうが重要であると説く。もっとも、そうは言っても、少子高齢化で経済成長率がマイナスになるのを放置しては生活水準が低下してしまうので、ゼロ成長(定常状態)まで引き上げることが望ましいと考えており、「私の主張も成長路線、あるいは成長戦略の一つの姿である、と言えなくもない」としている。
 このような考え方には異論もあるだろう。たとえば、ゼロ成長で労働者の処遇改善と格差是正をはかることが本当に可能なのか、経済成長でパイを増やしてこそ、より平等な再分配が可能になるのではないか、といったように。
 よく語られるように、欧州では、不平等の是正や質の高い雇用を求める労働運動の側が経済成長の必要性を強く主張しているし、日本でも同様に、成長の果実を暮らしの底上げにつなげていくという視点から、労働組合は経済成長を重視している。著者がとる「脱成長路線」の考え方は、そうした日本や欧州の労働運動とは立場を異にするものではある。それでも、本書で指摘されている経済成長の追求に伴う問題や再分配政策のあり方について議論を深める意味は大きく、本書は格好の素材になるだろう。
 また、本書はその名のとおり、1章分の紙幅を費やして、働くことの意義や幸せな生活について論じている点にも特色がある。著者は、「働くことで人生が充実するのだから、自ら働くことの意義を探し、自己実現の努力をすべきだ」などとは決していわない。ほとんどの人は食べるために働かなければならないのだけれども、大半の人は希望した仕事にはつけず、働くことが苦痛だと感じているという現実を素直にみつめるところからはじめて、労働時間を抑制することの大切さと幸福で有意義な自由時間の過ごし方を検討しており、共感を抱く人も多いと思う。
 ただ一方では、非正規労働者を中心に、賃金・労働条件が低劣で長時間働かざるをえなかったり、意欲があるのに人間的な仕事に就く機会に恵まれなかったりするために、日々の暮らしを維持するのが精一杯で、労働時間の短縮や心豊かな生活どころではないという人も大勢いる。もちろん、著者がそうした人々のことを見過ごしているはずはないが、本書で中心的に論じている「心豊かで幸せな生活」は、著者が問題視している貧困層の生活実態とあまりにも乖離しているのではないかという印象は拭えない。正規労働者の長時間労働を是正すれば、非正規労働者を中心とした貧困層の就労機会の増加や賃金・労働条件の改善につながるという見方もできるとはいえ、ゼロ成長を前提としたときに、それが貧困層の賃金・労働条件の改善にどれだけ結びつくのかも考えておく必要がある。
 本書には、上に述べたような多少の疑問があるものの、一人ひとりの幸福を大切にして、望ましい社会をつくろうという強い思いが伝わってくる。幸福という視点から長時間労働の抑制と豊かな自由時間の重要性を論じた部分などは、「労働組合は本当に労働者の幸せを考えてきただろうか、本音では深刻な長時間労働を黙認してきたのではないか」と労働組合に問うているかのようでもある。それどころか、より直接的な言い方で、格差是正が進まないのは、労働組合(連合)が正規雇用で高賃金の恵まれた労働者の既得権益を守ろうとするのが一因だ、と労働組合を厳しく批判しているところもある。経済成長の追求の是非については、労働組合の見方とは違いが大きいかもしれない。しかし、だからこそ、多くの人に読んでほしい、さまざまな論点と示唆にみちた1冊である。


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