塩田武士
『ともにがんばりましょう』

ともにがんばりましょう

講談社
1,500円+税
(kindle版あり)
2012年7月 (※2017年3月15日講談社文庫から文庫版が発売予定)

評者:木村裕士(連合副事務局長)

 新聞社の労働組合を舞台に、一時金や手当をめぐる交渉をリアルに描いた小説。読者が労使交渉の経験者であれば特に、団体交渉における労使のつばぜり合いの場面では、自分の経験が脳裏によみがえり、手に汗握ることであろう。「ともにがんばりましょう」は、労働組合の集会などであいさつを締めくくる時によく使われる言葉。どの労働組合でも民主的な手続きの下、組合員の思いを受け止めながら、真剣勝負で経営側との交渉にのぞんでいる。この小説はそうした場面と共通する。
 著者は新進気鋭の小説家、塩田武士。神戸新聞社の記者として活躍、将棋担当として在職中にプロ棋士を目指す男を主人公にした『盤上のアルファ』で小説現代長編新人賞を受賞しデビュー、2016年に『罪の声』で山田風太郎賞を受賞している。2012年に同社を退職し、その後すぐに、新聞社在職中の労働組合執行部の経験をもとに、この小説を書き上げたという。
 すでに初版から4年以上が過ぎているが、今の労働組合を描写した小説としては、極めて貴重な存在。これまでも山崎豊子の『仮装学園』『沈まぬ太陽』、高杉良の『労働貴族』など労働組合が登場する小説はあるが、いずれも時代背景は相当古い。この小説は、労使それぞれの人物描写、団体交渉のリアルさという点では群を抜いている。また、ただリアルさだけではなく、エンターテイメント作品としても十分に読めるところもお奨めしたいポイントの一つである。

 【あらすじ】
 大阪府内で地方紙を発行する「上方新聞」に勤める武井涼が主人公。彼は入社6年目の社会部に所属する若手記者で、労働組合のことなど考えたこともない。人前であがってしまい、自分をうまく表現できなくなってしまうようなあがり症の武井が、なぜか同社の労働組合の委員長の寺内に目を付けられ、酒を飲みながらその場で「お前は教育宣伝部長だ」と言い渡される。そしてとうとう1ヶ月後の定期大会で執行部入りすることになってしまう。組合役員を引き受ける人間はお人好しが多いのかもしれない。寺内はもとより個性豊かな、あくの強い執行部の面々に面食らいながら、武井は組合役員生活をスタートさせる。折しも会社からは深夜労働手当の引き下げが提案され、一時金要求とハラスメント対策も併せ、職場の思いを受けながら、経営陣と熾烈な交渉が始まる。労働組合委員長経験者の労務担当(以下、労担)の専務取締役をはじめとする曲者揃いの経営側とのお互い一歩も引かない交渉、職場から突き上げられる要求の声、執行部の踏ん張り、そしてついに決着する。その間、労働組合書記の女性に好意を寄せはじめるエピソードも。労使双方の対立の後に達した合意は、共に頭に血を上らせたり、冷静に思考したりしながらの駆け引きで真剣勝負した成果。労担からは最後、「ありがとう」の言葉が。著者が付けたタイトル、『ともにがんばりましょう』は、組合役員同士、組合役員と組合員との間の決意表明のみならず、実は経営側に対しても意味を持ったエールなのではないかと思えてくる。

【労働組合の本質に迫る】
 労働組合の組織率は、17.4%、日本の雇用労働者の8割以上が労働組合の庇護下にない。労働組合に加入していることのメリットを享受できないどころか、会社と交渉すらできない。さらに、組合員でさえ中には労働組合やワークルールのことをよく知らない人が多い。このような日本の状況にあって、著者が労働組合を取り上げて小説に仕立てたのは、彼自身の執行部経験が強烈だが意義あるものであったからであろう。
 主人公の武井は、本当はクラシック音楽が趣味で文化部に憧れていた。会社からは文化部への異動もチラつかせられるが、結局、労働組合執行部へ入ってしまうのである。労働組合役員になるきっかけは千差万別、こうしたエピソードもかなりリアルだ。「~やっと会社全体のことを考える若獅子が現れたがな」と委員長の寺内に言われるシーンは、交渉が収束した後に寺内が「おまえの収拾見解聞いて、こいつは二十八でここまで会社を客観視できるんかって感心したで」と武井を褒める場面に通底する。新人が交渉情報をたちまちのうちに書き上げるのは新聞記者だからお手の物なのだろう。
 組合執行部は自分の所属する部署だけ知っていればいいものではない。会社全体、経営の状況、内外の情勢などについても把握していなければ交渉にもならない。活動を通じて知らずと会社全体を見るようになることも本書ではしっかり描いている。新聞労連の名前が出てきて、産業政策の取り組みをにおわせる場面もある。
 そして激烈な交渉を経て達した妥結後の、寺内と武井の二人のシーンでは次のような描写がある。「そして、武井は導かれるように理解した。労使関係において最も重要なことは信頼関係である、と」。委員長の寺内がぽそりと漏らす。「敵は倒すためにあるんやない」「何のためにあるんですか?」寺内は「歩み寄るためや」と当たり前のように答える。昨今、政府や与党が経済界に賃上げ要請している。マスコミはこれを官製春闘と揶揄する。お上が指示すれば賃金は上がるのか。そんなことはない。この物語のように、各労使は真剣勝負で交渉しているのである。ニュースメディアより4年前に書かれた小説の方が真実を語っている。

 本書は、労働組合に馴染みのない人にとっても、読んでいくうちに労働組合の知識も身につく内容となっている。執行部とか三役とか言われても、なんのことかわからない。委員長が新人の武井に、執行部、委員長、副委員長、書記長、賃対部長、財政部長、青女部長、中央委員などを事細かに説明する場面を通じて読者も理解できるようになっている。また、労働組合がある会社に勤めている人であれば、うちの組合はどうなのかと関心を持つだろう。労働組合がないところに働く人たちにとっては、「やっぱり労働組合は必要だよな」と思ってくれるかもしれない。楽しんでもらいながら労働教育にもなる。近く文庫版も発売されるとのこと、労働組合関係者のみならず労働組合のない職場で働く人たちや学生にも読んでいただきたい。


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