平田オリザ
『下り坂をそろそろと下る』

下り坂をそろそろと下る

講談社現代新書
760円+税
2016年4月

評者:柳宏志(連合総研研究員)

 この20年で、スキー人口は3分の1以下に減った。観光学者は「少子化だからスキー人口が減った」とみる。だが、著者は「スキー人口が減ったから少子化になった」とみる。男性が女性を一泊旅行に誘える手段だったスキーの人口が減れば、少子化になるのも当然というわけだ。それと同じで、地方で映画館もライブハウスもなくしてしまったら、若者が「地方はつまらない」といって出ていくのも当たり前。だったら、面白い街をつくればいい。
 本書は、こうしたいかにも劇作家らしいユニークな発想をする著者が、「成長の止まった、長く緩やかな衰退の時間に耐え」ていく日本社会、とりわけ地方のいまとこれからを、経済や労働ではなく「文化」という切り口から考えた1冊である。

 著者は、劇作家として活躍しながら大学で教鞭をとり、ワークショップや文化政策の支援のために国内外を飛び回っている。たとえば、瀬戸内の小豆島、但馬の豊岡、讃岐の善通寺、そして東北の女川、双葉。いずれも少子高齢化と過疎化に直面する地方の小さな市や町で、小学校での演劇を使ったコミュニケーション教育に協力したり、自治体の「お荷物」だった大会議場を宿泊施設完備の舞台芸術スペースに改築して劇団に貸し出す事業に助言したりする。
 本書で紹介されるこうした取り組みは、必ずしもすべてが「まちづくり」や「地域の活性化」を目的として始められたものではないけれども、文化や芸術こそ、地方が「ここから長く続く後退戦」を「勝てないまでも負けない」ようにするための鍵になることを示す。
 ほんの一例をあげれば、大会議場を改築した城崎国際アートセンターは、設備や条件の良さに加えて城崎温泉での滞在という利点もあって、世界から最高水準の芸術家が集い、成果発表会や小中学校への出前授業で地域還元を行うなど成功を収め、城崎に新たな魅力を生んでいる。小豆島でIターンが増加しているのも、多くは瀬戸内国際芸術祭で島を訪れたことがきっかけになっていて、ここにも「アート」の力がある。

 著者はいう、「自分たちの誇りに思う文化や自然は何か。そして、そこにどんな付加価値をつければ、よそからも人が来てくれるかを自分たちで判断できる能力がなければ、地方はあっけなく中央資本に収奪されていく。私はこのような能力を『文化の自己決定能力』と呼んでいる。現代社会は、資本家が労働者をむち打って搾取するような時代ではない。巨大資本は、もっと巧妙に、文化的搾取を行っていく。『文化の自己決定能力』を持たずに、付加価値を自ら生み出せない地域は、簡単に東京資本(あるいはグローバル資本)に騙されてしまうと。
 筆者の考えでは、「文化の自己決定能力」や個々人の文化資本は、本物の芸術・文化に触れることでしか育たない。ところが、現在の日本では、東京の子どもたちの方が、世界水準にある本物の芸術・文化に触れる機会が圧倒的に多い。また、親の経済状況によって、子どもを劇場や美術館に連れていく習慣の有無が決まる面もある。こうした、地域間格差と経済格差が文化資本の格差を生む現状を放置すれば、日本社会に大きな断絶をもたらしてしまうと指摘する。

 では、「真の地方創生に必要な施策」は、どのようなものか。本書で語られる考え方は、地域の基幹産業に付加価値をつけて売り出し、農産品だけでなく「ソフト」の地産地消を心がけ、お金が地域の中でまわるように使う、といったオーソドックスなものではあるが、その根底にある「文化による社会包摂や都市再生」という視点は、やはり注目すべきものだと思う。
 たとえば、著者の経営する劇場では、雇用保険の失業給付の受給者に対する割引を行っている。ヨーロッパでは、美術館や劇場などの公共文化施設の失業者割引は一般的なものらしい。しかし、いまの日本で、失業給付や生活保護の受給者が平日の昼間に劇場に来たら、どうなるか。「求職活動を怠っている」といわれて給付が打ち切られてしまうだろう。
 けれども筆者は、そういう人たちに対して、「失業中なのに、あるいは生活がたいへんなのに、劇場に来てくれてありがとう」「貧困の中でも孤立せず、社会とつながっていてくれてありがとう」といえる社会をつくりたい、という。失業者や生活困窮者が、閉塞感や社会から必要とされていないという疎外感を抱いても、やがて犯罪や孤立死を招き、結果的に社会全体のリスクとコストを増大させるだけなのだ。
 あるいは、子育て中の母親が子どもを保育所に預けて芝居や映画を見ても後ろ指をさされない社会をつくりたい、という。女性だけが、結婚・出産後に経済・労働面ばかりか精神・文化面の犠牲をも強いられる不条理を変えるという視点こそ、いまの少子化対策に最も欠けているものだ、と。
 そんなふうに、競争と排除の論理から抜け出し、寛容と包摂の社会をつくることができれば、経済的にも文化的にも成熟した社会のあり方として最も望ましいものといえるだろう。もちろん、文化から少子化を克服するということは、実証されているわけではない。長い時間がかかるが、地方のなかの先進的な地域で、この視点での施策の実証が行われることを期待したい。
 労働組合も、自治体や経営者団体などと連携しながら地方の再生と雇用確保に取り組んできた。そこに「文化」という視点を加えれば、運動はいっそう幅広くなり、さまざまなフィールドと可能性を手に入れられるはずだ。従来の取り組みでは思いもよらぬアイディアと実践にみちた、教えられるところの多い1冊である。


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