本田由紀
『もじれる社会―戦後日本型循環モデルを超えて』

もじれる社会―戦後日本型循環モデルを超えて 表紙

ちくま新書
820円+税
2014年10月

評者:畠中亨(帝京平成大学地域医療学部助教)

 現代の日本は生きにくい社会になった。そう言われることが多い。労働や社会の問題に関心がある人なら、多くの人が「生きにくい」と感じる理由も、いくつか思い浮かぶだろう。非正規雇用の増加による不安感、企業による賃上げの停滞、介護施設や保育施設の待機問題、学校でのいじめや不登校、進まない女性の社会進出など、具体的な現象を挙げればきりがないほどだ。そうした問題それぞれについて、既に多く研究がされていて、具体的な改善策も十分すぎるほど提案されている。それなのになぜ「問題」は解決に至らないのか?
 かりに、目の前に一つの社会問題だけしか存在しないのなら、社会は一致団結して問題の解決に取り組むかもしれない。だが社会問題が同時多発的に起こり、複雑に絡み合っている現状を前にして、ある人は絶望し、ある人は怒り、またある人は冷淡に見放している。本書は、こうした社会問題が多重に発生し、それを取り巻く人々の思考や感情が複雑に絡み合いながら悪化している社会状況を「もじれる社会」と表現している。

 筆者は、この複雑な社会問題の全体像を「戦後日本型循環モデル」の終焉ととらえている。戦後日本型循環モデルとは、教育・仕事・家族の3つの領域が、循環するように強い結びつきを持つ社会構造である。「教育」は新規学卒一括採用により労働力を「仕事」へ提供する。「仕事」では主な働き手である父親が、長期安定雇用と年功賃金を前提に賃金を「家族」にもたらす。「家族」では消費の主体である母親が、子どもに対して「教育」の費用と意欲を注ぎ込む。1950年代後半から70年代前半の高度成長期、70年代後半から80年代の安定成長期の日本は、この戦後日本型循環モデルに覆われ依存していた。
 戦後日本型循環モデルは、確かに効率的に見える。だが、3つの領域の結びつきが強すぎるがゆえ、それぞれの領域の本質的な意義が見落とされがちとなるという問題を内包していた。例えば教育は、いい仕事に就くためという目的が強く意識され、受験戦争が激化する一方で、「学ぶこと」の本来の意味が見失われてしまう。
 さらにバブル崩壊後の長期不況のなか、仕事の領域で格差が顕在化し、それが教育、家族へと波及して、循環構造全体が崩壊を始めている。格差により人々が階層に分断され、それぞれが困難に直面し、それを自分たちの力で克服しようとあがいている。すると、地位や収入は、各々の能力により決められるべきものだとする能力主義が強まってくる。能力主義は、社会の構造的な問題点を問う方向には向かわず、個人の力で何とか生き残るしかないという発想を深めてしまう。

 以上のような今の日本社会をめぐる社会問題群の全体像を第2章「戦後日本型循環モデルの終焉」までに描いたのち、第3章「若者と雇用」から第5章「母親・家族への圧力」で、仕事、教育、家族の各領域別の問題分析と、それを克服する提言が述べられている。提言の枢要を成すのが教育の「垂直的多様化」から「水平的多様化」への転換だ。そのためには「教育の職業的意義」を問い直し、「柔軟な専門性」を身に着けることができる教育を構築することにあるとしている。
 この提案は、能力主義がもたらす弊害を緩和する上でとくに効果があると思われるが、経済学を専攻してきた評者から見て、それだけで十分であるのかについては、やや疑問を感じる。戦後日本型循環モデルの崩壊は、長期の景気低迷という経済環境の変化に起因している。そうであれば教育の水平的多様化が、現在および今後の経済環境に適合するか、どのように作用してゆくのかについても、検討する必要があるのではないか。また、垂直的多様化から水平的多様化への転換と並行して、垂直的多様化の圧縮、つまるところ、経済格差の抑制も必要なのではないだろうか。「職業別生涯年収」などのデータが、メディアで大っぴらに取り上げられる昨今において、広がりすぎた経済格差に対して受動的なまま、教育のみ方向転換が可能とは思われないのである。
 本書は新書として出版されている図書であるが、分析パートは統計データを用いた回帰分析など研究書に相当する内容もあり、初学者には難解に感じられる部分も少なくないだろう。また、対談形式や講演録を随所に組み込んでいるため、章節によってトーンが異なっている点も、読み辛さを感じるかもしれない。それでも、随所に筆者の日本社会に対する鋭い批判や発見が散りばめられた本書は、じっくりと深く読み込む価値のある一冊となっている。

 研究書になじみのない読者も、まず第1章だけでも読んでみることをお勧めする。第1章「社会の『悲惨』と『希望』」は、筆者が日々の活動の中で感じている、日本社会の憂うべき点、期待できる点が自由闊達に論じられている。この第1章を読んで感じるのは、筆者の今の日本社会で困難に直面する人々への共感と、問題を何とか解決に導きたいという強い意志だ。
 経済学や社会学、教育学など実践的な社会科学はそれぞれの専門領域で、非正規雇用の増加や、家族機能の変化、いじめや不登校など、目に見える1つ1つの社会問題をテーマに研究する。だが、社会全体を俯瞰して、どのような変化が起こっているのかを描き出さなければ、今の日本の生きにくさの正体はつかめない。
 自分の専門領域に絶対の自信を持つ社会科学者も、専門領域から一歩出るととたんに意気地がなくなってしまう。日本社会に通底する能力主義の呪縛は、研究者も例外ではない。効率よく実績を積み上げたいなら、自身の守備範囲をしっかり維持し、専門外に余計な口出しをしないのが賢いやり方だ。筆者のように専門領域を超えて、幅広く議論できる研究者は、今では稀有な存在だろう。それは、ただ見識の広さによるものだけでなく、なにより強い意志がなせるものではないか。そうした筆者の姿勢を、本書からぜひ感じ取ってもらいたい。


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