ウルリッヒ・ベック
『ユーロ消滅? ドイツ化するヨーロッパへの警告』

岩波書店
1500円+税
2013年2月

評者:鈴木祥司(生保労連局長)

 ウルリッヒ・ベックは、環境危機、テロ、金融危機といった現代のリスク問題に取り組んでいるドイツの社会学者である。チェルノブイリ原発事故を受け、致命的な環境破壊を生み出す社会のメカニズムを分析した『リスク社会(邦訳は『危険社会』)』などで知られる。現代社会では、リスクの影響が地球規模におよび、人類に等しく不安を与えるため、リスク分配の重要性が高まってきていると警鐘を鳴らしている。
 本書は、2009年のギリシャにおける国家財政の粉飾決算公表に端を発したユーロ危機を、リスク社会論の視点から論じたものである。ベック初の本格的な金融危機論であるばかりでなく、混迷を深める欧州社会の今後のあり方についても提言している。そのコスモポリタンな福祉「国家」構想と実現のための社会運動の必要性にかんする指摘は、日本社会の現状を考えるうえでも大きな示唆を与えている。

欧州危機とは何か
 第1章では、欧州の理念と危機の所在を論ずる。欧州社会は今日、債権国である北側の国々と債務国である南側の国々に分断されるなど、重大な危機に直面している。ギリシャのユーロからの離脱が解決の道であるかのような主張も多い。しかし著者は、離脱に伴う社会的コストは計り知れず、より大きな代償を払わねばならないことを強調する。そして何より、こうした主張をする人々(著者は「欧州懐疑論者」と呼ぶ)はそもそも「社会というものを忘れている」と痛烈に批判する。欧州連合(EU)は「戦争という苦しみから生まれ」、「永遠の敵を良き隣人にするという奇蹟に成功したし、市民は政治的自由と他の地域の人々がうらやむ生活水準を享受」するなど、欧州社会の安定に大きく貢献してきた。それらを顧みずに経済的な視点だけで今日の危機が論じられていることを批判し、欧州危機がたんなる金融危機ではなく、連帯の危機、欧州社会そのものの危機であることを訴える。
 著者はまた、「国民国家」という概念がもはや通用しなくなっており、欧州社会のルール自体を変えていく必要があるにもかかわらず、各国のリーダーたちが依然として自国の利害を優先している現状を憂慮する。

ドイツ支配が進む欧州
 第2章では、欧州における権力構造の変化に注目する。著者は、欧州統合には「両義性」があるいう。債務国は債権国からの財政援助に依存しており、欧州連合の中でさまざまな援助が期待できる代わりに、自己決定権が剥奪される危機に瀕している。これはまさに主権の喪失であり、民主主義の後退に他ならないと危惧する。そして、こうした欧州内部の亀裂こそが権力のシフトを生じさせ、ドイツを欧州における超大国の立場にまで引きずり上げたとする。
 そのドイツの首相メルケルの権力の源泉について、著者は、欧州構築論者と懐疑論者のどちらにも与しない点にあるとし、『君主論』で知られる政治思想家マキャヴェッリ(15-16世紀)との親近性を指摘する。国外に対しては冷酷な新自由主義で恐れられるようにし、国内に対しては社会民主主義で愛されるようにするといったように、イエスとノーを組み合わせ、生殺与奪の権利を掌握する手法こそマキャヴェッリズムの本質であり、これによって欧州のドイツ化が進められているという。こうした中で、ドイツ主導による新自由主義的な緊縮政策が行われ、ギリシャやイタリアなどで多くの人々の生存基盤や将来が奪われていると訴える。

どのような欧州をめざすか
 第3章では、市民の視点から今後の欧州社会の青写真を描く。著者は、欧州連合を「国民国家によって支配された社会から、超国家的な社会への歴史的な転換」と捉え、これを市民一人ひとりにとって魅力的なものとする目的から「欧州のための社会契約3原則」を提唱する。
 一つ目の「自由の拡大」は、共通通貨をもつメリットをいかし、市民が他文化に触れる機会を増やすことで、より豊かに、より自由になることに、欧州統合の一つの意義を見出そうというものである。二つ目の「社会保障の拡大」は、財政危機やユーロ危機が欧州大陸を越え、あらゆる社会で不平等が拡大するなど、リスクがグローバル化する中で、超国家レベルの社会民主主義を構想しようというものである。三つ目は「民主主義の拡大」である。欧州統合には、世界を他者の目で見ることのできる力やコスモポリタン的視点が重要である。たとえば、ドイツ人がギリシャ人の立場に身を置き、ギリシャ人を苦しめているものは何か、ギリシャ人にはドイツの行為がどう映るのかに目を向ける一方、ギリシャ人はドイツ人の立場に身を置き、なぜ多くの人がギリシャ人のことを腐敗し、税のモラルが欠如していると非難するのか思い巡らすことで、民主主義の主権者である市民同士の相互理解を深めようというものである。
 こうしたビジョンの担い手として、著者は、何物にも拘束されない市民の「下からの行動とネットワーク」に期待する。ここ数年、欧州各地でも緊縮政策への抗議が行われたが、これらはまだ、各国の政府が実行に移すドイツ主導の政策への抗議という意味で国民国家のドグマに囚われているとして、よりコスモポリタン的な社会運動の必要性を訴える。

社会の安定を求めて
 本書は欧州の金融危機論であり社会論であるが、日本の経済・社会のあり方を考えるうえでも多くの示唆が得られるものとなっている。その最たるものは「金融や経済が機能するには、その基盤である社会の安定が不可欠」ということである。ベックの「欧州社会が崩壊すれば福祉国家ドイツも維持できなくなる」との洞察は、そのまま日本にも当てはまる。
 安倍政権の経済政策「アベノミクス」は、デフレマインドからの脱却に一定の効果が出ているといわれる。しかし、このアベノミクスが持続可能ととうてい思えないのは「雇用や社会が不安定化すれば経済は成り立たない」というしごく単純な理由からである。安倍政権下では、非正規労働者の増加を抑え、格差社会化の進行に真剣に歯止めをかけようとしないばかりか、雇用不安や社会の劣化をさらに助長するような政策が推し進められている。外交的にも国家主義的行動で隣国をはじめ諸外国を疑心暗鬼にさせるなど、著者のいうコスモポリタン的行動とは真逆の方向を向いている。経済の安定化と社会の不安定化を同時に進めているといわざるを得ず、短期的には機能しても持続的に機能するとは考えられない。
 本書での著者の提言には、やや楽観的な部分があるのは事実である。「予算の自律といった主権を欧州の自律に譲歩し、政治連合をつくっていく」というがどのように進めるのか、欧州各地で排外主義が台頭する中でどのようにコスモポリタニズムの重要性を共有し具体化していくのかなど、詰めるべき点が多い。とはいえ、欧州問題の本質を探り、グローバルリスクへの対応や今後の経済・社会のあり方を考えるうえで絶好の書といえよう。


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