カール・ポランニー
『市場社会と人間の自由 -社会哲学論選』

大月書店
3800円+税
2012年5月

評者:鈴木祥司(生保労連局長)

著者について
カール・ポランニーは、ジャーナリスト、教師、経済史家、経済人類学者など多様な顔をもつが、とくに経済人類学の開拓者、市場社会を痛烈に批判した『大転換』の著者として名高い。1886年のハンガリー生まれで、2度にわたる世界大戦やファシズムの台頭など激動する時代に、ウィーン、イギリス、アメリカへと移り住みながら、1964年に死去するまで常に時代の問題と関わり続けた。
本書は、ポランニーの思想と行動の根底にある社会哲学に関する論稿を編集したものであり、その問題意識は多岐にわたる。「市場経済と社会主義」「市場社会の危機、ファシズム、民主主義」「市場社会を超えて-産業文明と人間の自由」の3部から構成され、大恐慌下の1930年代から晩年にかけて執筆された論稿が配置されているが、中でも市場社会と民主主義に関する考察は問題意識の核心といってよい。

市場社会とは何か
ポランニーは、19世紀市場社会を「経済的利己心に依存していた」社会、「市場に基礎を置く社会が、あらゆる進歩の到達点のように思われた」社会と表現する。そのうえで、19世紀以前に「市場が社会において支配的な地位を占めることはけっしてなかった」と、19世紀市場社会の特殊性を指摘する。
その根拠としてポランニーは、経済人類学における初期(原始)社会の研究成果を挙げる。それによると、「初期社会における個人は、共同体全体が飢饉的状況にない限り、けっして飢えの脅威にさらされることがなかった」「未開人は粗野なエゴイストではないし、物々交換や交換の性向もなければ、何より自分自身のために料理をまかなうという傾向もなかった」とし、その理由として「援助が必要な者は誰でも無条件に援助を受けることができた」からだとする。すなわち、個人が飢えに脅かされないことが、個人的な利得や報酬を得るための欲求を希薄化し、初期社会をより人間的なものにしていたという。そして、初期社会のこうした特徴は、その後も19世紀まで途切れることがなく、「経済システムは常に社会システムの中に埋め込まれていた」とするのである。

市場社会を超えて
このように、人間社会の本質は人と人とのいわば「連帯」にあるにもかかわらず、市場社会においては「効率」や「競争」が連帯にもとづく社会システムを吸収してしまう。たとえ道徳的にすぐれたことを望んだとしても、市場社会の下では、「あなたの財を市場価格より安く売れば…あなたの隣人の事業を破産させ、…あなたの工場や会社で働く人々の雇用を喪失させる」といったように、相反する結果を招いてしまうのである。ポランニーの基本的な問題意識は、これをどのように克服するかというところにあり、そのために、そもそも「良き生活」とは何かを考察することや、民主主義を適切に機能させることの重要性を説く。
「良き生活」を考察するうえでは、アリストテレスの社会論を取り上げる。ポランニーによると、アリストテレスは「貨幣がひとたび多くの享楽品を獲得するための手段となるなら、良き生活は歪められてしまう」として、商業的交易(金儲け)をポリス(都市国家)における良き生活に反するものと批判する。しかもその思想は、アリステトレスが生きていた時代だけでなく、その後数世紀にわたってポリスにおける生活の重要な規範となったとされる。古代ギリシャは奴隷制を基盤としており、現代とは社会構造がまったく異なるものの、あくまでも共同体や社会の理念にもとづいて経済行動が規定されていたことがわかる。
アリストテレスは「手段は目的によって制限される」ともいう。これを受けてポランニーは、手段に他ならない「効率」を社会の最高規範から降格させなければならないと主張する。「われわれが求めている文明は、人間生活の基本的欲求が充足される文明である」にもかかわらず、西欧は「なぜ、より人間的な生活を、効率に代わる目的として設定しないのか」「自分たちがすでに達成した物質的豊かさを必要としている新興諸国と、なぜ効率を競うのか」と疑問を投げかけ、効率ばかりを追い求めてきた社会や文明からのパラダイム転換を訴える。
このような転換を担う主体として、ポランニーは労働運動に期待する。その際、労働運動に対して、たんなる階級的利益ではなく、社会全体の利益の担い手としての役割を求めている点は、今日の労働運動のあり方を考えるうえでも重要な視点であるといえよう。

市場経済と民主主義
民主主義の重要性を論じる箇所は、まさにポランニー自身の体験にもとづく。第一次世界大戦後の大陸ヨーロッパにおけるファシズムや軍事独裁の出現は、経済(産業資本家)と民主主義(社会主義の多数派が占める議会)の対立が背景にあるとし、産業資本家の利害が議会の多数派を圧倒したところでは、民主的な政治プロセスが窮地に追い込まれたと指摘する。経済の論理を優先し民主主義を後退させることがいかなる悲劇をもたらすかを、私たちは十分に認識し歴史の教訓としていく必要がある。

現代社会への示唆
ポランニーは、19世紀市場社会は歴史の一コマに過ぎないが、その経験はあまりにも決定的かつ暴力的であったため、現代人の考え方に大きく影響しているという。一方で、「市場経済は世界の大部分で消滅しつつある」「市場システムは労働、土地、貨幣を含まなくなるだろう」と、市場社会の行方についてかなり楽観的な見方をしていた面もある。たしかに、20世紀以降市場社会は大きく修正を加えられたが、現在の日本社会においても市場化は、コミュニティの崩壊が危惧されるほど社会の隅々にまで及んでいる状況にある。
このように私たちは、市場社会の中で常に生活不安や雇用不安を抱え、効率の追求を絶えず迫られながら働いているが、市場社会とは19世紀以降の高々200年程度の、人類の歴史から見れば極々最近の現象に過ぎないことをポランニーは気づかせてくれる。そういう意味で本書は、現代社会を広い視野から相対化し、効率や競争を絶対視することなく、より人間的な働き方を追求するきっかけを与えてくれるものといえよう。
また、今日の日本社会においても、グローバル化やIT化の進行を背景に市場経済と民主主義は緊張関係にあるといってよい。企業経営もスピードがより重視されるからといって、民主的なプロセスをないがしろにしてはならず、むしろ労使による熟議こそが働く者の力を引き出し企業や社会への貢献を最大化するとの認識に立つべきである。労働組合は民主主義を体現し支える組織として、今後も当事者同士の話し合いを軽視するような風潮には断固として異議を唱えていく必要がある。

以上のように本書は、人類の長い歴史の中で現代社会がいかに特殊であるか、市場社会の中で民主主義を機能させることがいかに重要であるかを再認識させてくれる。ポランニーの市場経済批判は、現在にそのままあてはまる部分もある。私たちが生きている社会や時代について立ち止まって深く考えてみたい人に一読を薦めたい。

以上


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