小池和男
『高品質日本の起源』

日本経済新聞出版社
2012年1月
定価3600円+税

評者:逢見直人(UIゼンセン同盟副会長)


これまで無視されてきた「地道な労働組合」の活動
小池和男氏は、これまでの現場の丁寧な観察を通じて「知的熟練論」「現場力」をはじめとする多くの知見を創出してきた経済学者である。「日本企業の強みが、エリート人材でも先端をいく研究開発でもなく、職場の中堅層の働きにある」(はしがき)と説く著者が、今回分析の対象としたのは、戦前昭和期の労働組合である。この時期は「暗い谷間の労働運動」と呼ばれているが、著者はこうした時代に、「仕事と生産にきちんと発言する労働組合が少ないながら存在した」ことを明らかにする。
序章の最後で、著者はこう述べている。「いま、労働組合は、はなはだ不人気の組織である。賃金の高い既得権益層の利のみ守って他を顧みない組織とあざけられる。だが、その真価はもっともきびしい時期、環境にこそあらわれよう。戦前、きわめてつらい時期に、地道に活動し組合員のくらしを助けてきた労働組合をとりあげ、その発言、その活動をじっくりと説明したい。そうすれば、組合の働きは既得権益層にかぎらず、そのうみだす効率が広く国民経済を高め、人々のくらしに寄与することがわかるであろう。これまで、戦前の労働組合の研究はもっぱら「左翼急進派」、玉砕こそ尊しとする組合にのみ注目してきた。地道な労働組合はほとんど無視されてきた。それをこの本の第3部は追跡したい」。
労働組合法もなく、労働者保護も十分でなかった時代に、地味ながら、まっとうな労働運動をしてきた組合に共鳴し、光を当てたのが本書である。

品質の良さを支えた日本の職場
本書は三部構成になっている。第1部は、綿紡績業を取り上げている。1930年代前半ごろには日本綿業が、英国綿業を追い越していたのだが、それは低賃金によってではなく、製品の品質が劣っていなかったこと、そしてその品質の良さが、職場の生産労働者のやや高度な技能、それに基づく発言にあったのではないかとの仮説を提示し、いくつかの証拠を示している。
第2部は、定期昇給制の出現である。定期昇給は、生活保障のためにエスカレーター式に上っていくものと思われがちであるが、著者が検証しているのは、技能形成の指標としての査定つきの定昇である。著者は、日本では、生産労働者への定期昇給制の適用が西欧よりはるかに早く、産業化の初期から実施されていたことを明らかにしている。
第3部は、東京製綱株式会社という当時従業員数2000人余の大企業を組織した「製綱労働組合」を取り上げている。この組合は、1926年から40年までの間、毎年団体交渉を行い、労働協約を締結し、組合員の暮らしを守る共済活動を地道に展開してきた。世界恐慌から戦時経済に移行する時期、東京製綱でも労働条件の切り下げや解雇の提案が組合になされたが、労働組合の活動で労働者への被害を最小限にとどめた。
著者は、この時期の労働運動についての先行研究が、市場経済を無視し、現実離れした分析基準を用いていることを批判し、「製綱労働組合」のとった方策が組合員の雇用と暮らしを守る点で、当時の状況としてはむしろ最善を尽くしたものと結論づける。
共済については、戦前の日本の社会保障制度がきわめて乏しかった時期に、組合が持っていた「養老給与金」(定年退職者に対する年金)など、各種共済を紹介している。不時の出費への融資や、住宅ローン、消費生協も持っていた。労働会館も所有していた。戦前昭和期というきびしい時代に、働く人の自助努力の仕組みが労働組合によって整備されていたことを紹介している。
労働争議についても、戦前の大争議であった日本楽器(評議会系)、野田醤油(総同盟系)の2つの争議を比較し、解決までの経過を詳細に追い、その差がどこから来たのかを分析する。
最後に著者が取り上げたのが、「産業報国会」(産報)をめぐる問題である。日中戦争とともに、労働組合は、「産報」に 飲み込まれてしまうわけであるが、その時労働組合は、[1]時流に抵抗し「産報」への参加を拒むグループ、[2]壊滅し一部が方向転換して「産報」に参加するグループ、[3]なだれを打って「産報」に参加するグループに分かれた。総同盟は第1のグループで、最後まで「産報」には参加しないとがんばったが、強制解散命令を受けて1940年7月に自主的に解散した。

「協働的団体交渉モデル」
終章で、著者は「共働的団体交渉モデル」というのを提起する。そして、今日の国際競争力においても、ますます品質の高さとそれを支える「発言する」職場が重要になると指摘する。著者のこうした主張に対して、このやり方では新興国との価格競争に勝てないという批判や反論もあろうが、私は著者の主張に賛意を示したい。
競争というのは、相手と比較して、自分の強いところはさらに伸ばし、弱いところをカバーすることによって勝つことができる。日本の強みが、どこにあるのかを、戦前昭和期に遡って分析したのが本書である。本書のサブタイトルが「発言する職場はこうして生まれた」となっており、この現場力が品質を支えてきたことが見事に実証されている。
本書「はしがき」で著者は、このようなメッセージを残している。「人の真価はもっともきびしいときこそあらわれよう。その状況を描いたこの本が、将来の日本の行方を思い定める一助にでもなれば、老残の身にとって望外のしあわせである」。労働運動に携わる人に、ぜひ一読を薦めたい。


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