イエスタ・エスピン=アンデルセン
『平等と効率の福祉革命 ―新しい女性の役割』

岩波書店
定価3,800円+税
2011年11月

評者:柳宏志(連合男女平等局部長)


 女性の労働参加の意義は、もはや異論のないところだろう。だが、男女の平等が地位の高い女性だけにとどまり、女性の役割の変化が社会全体にまで行き渡らないと、かえって社会の二極化や所得の不平等が広がってしまうことは見落とされがちである。
エスピン=アンデルセンの『平等と効率の福祉革命』は、この問題を解き明かしたうえで、現実に不均衡が生じている、家族、子ども、高齢者をめぐる課題への解決策を示した本である。

男女平等の不徹底が生む貧困の世代間連鎖
本書を読み進めていくと、私たちの稼ぎも結婚相手も、さては健康や寿命までもが、元をたどってみれば、子どもの頃のごく早い時期に、どれだけ文化的な家庭で、知的な親にお金と時間をかけて育てられたかに大きく左右されていることがわかる。学校はもちろん、仕事を得て社会で働いていくうえでも、知識がものをいう社会で私たちはくらしている。そしてそのよりどころとなる、ものを考える力やふるまい方の素地は、学校教育が始まるはるか前に決まってしまうというのである。
ありていに言えば、金持ちの子は育ちがよくて金持ちになり、貧しい者の子は貧しくなるということであって、医者や政治家になれるのはその子どもばかりという私たちの国のことを考えても、べつに新味のある話でもないのだが、著者はこうした格差が生まれる原因を、男女平等や女性の役割の変化が不徹底であることに見いだす。
すなわち、キャリアを追求して経済的な自立をめざす動きは高学歴の中流女性から始まり、彼女たちは、自分に釣り合う高学歴・高収入の男性と結婚する。かたや社会の底辺では低学歴・低収入のカップルができ、失業や離婚が集中する。キャリアカップル世帯の所得が、その他の世帯を引き離してしまうのは当然だ。より問題なのは、所得や家庭環境の格差が、子どもにかけられるお金、時間とその質にも格差をもたらしまうことである。それは将来の学歴や所得の格差となり、やがて高齢期の貧富、健康や寿命の格差となって現れるばかりか、次の世代へと引き継がれてしまうことは周知のとおりである。

早期の保育サービスが機会平等の鍵
この解釈をもってすれば、不平等をなくし、人生のスタートから平等な機会を用意するために必要なのは、女性の役割の変化を社会の底辺にまで広げていくことと、それを後押しする政策を進めていくことになる。
ここで著者が注目するのが、質の高い早期の保育サービスである。良質な保育は、子どもを産める環境を整え、母親の雇用を促す。とくに低所得の母親が収入を得るのは、子どもの貧困をなくすうえで効果が大きい。のみならず、貧しい家庭の子どもを文化的に恵まれない生育環境から解きはなち、恵まれた子どもたちのなかで学ばせることは、発育に良い刺激になり、家庭内での親のかかわりの不平等を緩和することが期待できるという。
本書の切り口の特徴をあげるとすれば、日本語版のタイトルにもなっているとおり、公平だけではなく効率も追求していることだろう。保育サービスを投資ととらえると、年齢が低く、恵まれない条件の子どもほど、投資に対する収益は大きくなる。十分な投資は、子どもに平等な機会を与えることに寄与し、優れた子どもたちが多く育てば、社会・経済への貢献となって返ってくる。保育サービスに支えられて母親が働けるようになると、生涯所得と国の税収も増えるから、女性の高齢期の貧困リスクを減らせると同時に、国の財政にもプラス効果がある。
これだけの収益があれば、投資は容易に回収できるし、子どもの貧困を放置することで払わなければならないコストよりも、よほど安上がりで効率的だということを著者は論証していく。また、費用と効果、受益と負担、幅広い支持などを考えると、サービスは普遍的であるべきだという主張も重要な論点だろう。

世代間・世代内ともに公平な高齢者政策
高齢期をめぐる提言も、公平と効率をつきつめる著者の手にかかると、ひときわユニークだ。人口統計をみれば、年金制度の大改革は避けられない。そこで、高齢化に応じて保険料率を上げて給付額を下げることで、負担の増加を世代間で公平に分担し、現役労働者と年金受給者が同じ割合の手取りを失う制度に改革することを提案し、あわせて、拠出期間の延長と受給期間の短縮をはかれる、引退年齢の引き上げの有効性を指摘する。
ところが、これでは、世代間の公平は保てても、高齢者世代の中での不平等の問題には手が届かない。というのは、容易に想像がつくことだが、専門職労働者は肉体労働者よりも健康で長生きできる。余命の長短にかかわらず引退を一律に延長してしまうと、余命が短い人のこうむる損失は相対的に大きくなってしまうのだ。
健康や寿命が富や社会的地位に相関するのなら、それまでの稼ぎに応じて引退年齢を決め、寿命に応じて累進的な課税をするのが公平だと著者はいう。稼ぎの多い人は、年金受給者としては最も高くつく人だが、労働者としては最も生産性が高い人でもある。そういう人ほど長く働いてもらえば、年金給付を節約でき、税収も増やせる。また、長寿であるために医療や介護の主な利用者にもなるのだから、それだけ多く税の負担を求めなければならないというわけである。
ただし、繰り返していえば、高齢期の世代内の不平等は児童期の不平等の帰結であり、だから著者はこう強調する、「あらゆるよい改革は、赤ちゃんから始まる」と。

問題点と労働組合への示唆
本書には違和感が残る部分もある。たとえば、北欧の社会政策を手放しで賞賛する一方で、社会保険制度で運営するドイツの介護モデルなどは公平性が低いとしている点は議論のあるところだろう。また、「福祉国家が持続可能であることを保証していくために、現在の若者の潜在的生産力にたいして最大限の投資をおこなう必要がある」と述べながら、効率を気づかうあまり「成人のスキルの不足を改善するのは難しく費用もかかる。したがって真の目標は、次の世代が知識経済の要求にかなうスキルをもつように保証することだ」として、「非効率的」な成人についての政策はほとんど語っていないことにも疑問が残る。
このようないくつかの違和感にもかかわらず、ジェンダーを切り口として、福祉国家的な社会政策の再編成を進めようとする著者の考え方は、とりわけ女性の就業率の低さがめだつ日本において、社会制度改革の方向性に大きな示唆を与えるものとなっている。
本書は、大胆かつ刺激的な提案で、労働組合の政策にも多くの問いとヒントを投げかける。これからの女性の活躍と望ましい社会像を展望するうえで、重要な基礎文献となるにちがいない。


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