山口二郎
『政権交代とは何だったのか』

岩波新書
定価800円+税
2012年1月

評者:麻生裕子(連合総研主任研究員)


 本書は、2009年9月の政権交代により誕生した民主党政権の意義と限界について検証し、今後の日本の民主政治にとっての教訓を得ることをねらいとしている。この意味では時宜にかなった出版である。結論的には「まだ絶望を語るときではない」、「政権交代によって何を変えることができ、どこに誤りがあったのかを検証することが、今の政治学に課せられた使命である」という言葉のとおり、著者は、今回の政権交代には意義があったという立場をとっている。そのうえで、民主党政権を厳しく点検しているのが本書の特徴である。

著者は、政権交代がもつ二つの次元から、民主党政権の成否とその要因を検証している。一つは、政権の担い手が変わる、あるいは統治システムのあり方が変わるという意味での統治形式レベルでの交代、もう一つは、政府による資源再分配を変更させるという意味での実体政策レベルでの交代である。

統治形式レベルにおいては、民主党は政治主導を実現するために何をめざし、なぜ失敗したかという点について論議している。民主党は従来から、二大政党制のもとで内閣が実質的権限をもち、トップダウン型の意思決定をおこなうイギリスのウェストミンスターモデルを志向していた。このモデルを手本にした政治主導が失敗した原因として、著者は三点あげている。
第一に、政治指導者と官僚との適切な役割分担や距離感をはかれなかったこと、すなわち政務三役の指導体制に問題があるとする。第二は、内閣主導の失敗である。国家戦略局の未設置が内閣総合調整機能を欠くことになった。第三は、政府与党の一元化の失敗である。政調会と事前審査制の廃止が、与党としての意思決定手続きのあいまいさを生み、閣外の与党議員の不満の増大を生んだ。

一方、実体政策レベルにおいては、民主党政権による政策転換の成功と失敗、それらの原因を考察している。具体例を示すと、税制分野では、NPO寄付税制改正は成功したが、環境税については利害対立が大きく失敗した。沖縄基地問題では、鳩山政権内部の乱れ、政府方針を骨抜きにする官僚、日米合意の厚い壁など、さまざまな要因が錯綜した。マニフェストについては、民主党の政治家がその理念や方向性を共有していないうえに、マニフェスト自体が未熟であるという事実からも、その形成過程に失敗したということになる。
著者は、政党与党のリーダーシップ、与党内での意思の共有、社会運動のエネルギーの結合が、政策形成の成功に必要な条件であると主張する。結局のところ、民主党は実体政策の理念を共有しておらず、いわば政権を取るための「方便政党」であるという。

興味深いのは、こうした検証をふまえたうえで、著者が、政官業の鉄の三角形、臨調型政治学(21世紀臨調に集まる政治学者が展開する政治学をさす)、およびローカルポピュリズムをとりあげ、これらの政官学業がもつ民主政治へのシニシズム(冷笑主義)に対して痛烈な批判をしていることである。
2011年3月の原発事故によって、原子力村ともよばれる政官業の鉄の三角形が、学者や専門家、メディアも巻き込み、異論は徹底的に無視、封殺していることがより一層明確になった。このような官僚主義の宿業を断ち切ることが必要であると著者は訴える。
そのためにも本来、政治学はこうした民主政治の空洞化の課題に取り組まなければならないが、臨調型政治学は、これについて沈黙を保っているという。それだけでなく、臨調型政治学は、統治形式レベルの議論に偏重し、実体政策レベルでの議論はない。市民が政治に参加するためには、一定水準の知的・経済的生活の確保が民主主義の持続に不可欠な条件であるにもかかわらず、政治学者が社会経済の現実的問題に無関心でよいのかと、著者は疑問を投げかける。
著者によれば、橋下大阪府知事(当時)などローカルポピュリズムのリーダーも、民主政治へのシニシズムという点で共通する。彼らは、異なる考え方をもつ者との議論は無駄と考え、選挙で多数の支持を得られれば何をしてもよいと開き直る。大阪の教育政策を例にとれば、上意下達の官僚型統制、市場型競争原理の導入といった点で、実は、ローカルポピュリストは官僚主義の宿業をより一層悪化させると著者は批判する。

著者が本書全体をつうじ、読者に対して最も強調したかったのは、一度の政権交代ですべてが変わると考えるのは非現実的であり、政権交代時代に入ったという段階での長い時間軸で物事を見極めるべきだというメッセージであろう。こうしたメッセージには強い共感を覚える。
ただ、ローカルポピュリズムに流されやすい市民を、著者のいう「成熟した市民」に育てていくには、社会的にどのような仕組みが必要となるのかという問題が残る。また、育成が必要とされるのは市民だけでなく、政治家も同じである。現在の政治家たちには失われがちな社会ビジョンや政策理念について、徹底的に議論し、政治家を育てる何らかの仕組みが必要なのではないか。市民と政治家がともに成長することによって、政策転換を実現するための連携・結合が可能になると思われる。 


戻る