山口二郎編著『民主党政権は何をなすべきか-政治学からの提言』

岩波書店
定価:1,600円+税
2010年1月

 2009年9月の歴史的な政権交代から約半年。政権交代当時は民主党に対して大きな期待が寄せられたが、それ以降、政治への市民の信頼は高まらず、民主党支持率は低下し続けている。その背景には、メディアを通じて、首相のリーダーシップ、マニフェストで掲げた政策の実行能力などの問題が取り沙汰されていることがあるだろう。
そのような世論が形成されるなか、本書が出版された意味は何か。編者である山口が述べているように、民意が政治の変化を求め、政権交代を実現したが、学界としての政治学をみると、「科学としての純粋性を追求するあまり、現実政治との連関性を失っ」ており、「現実の政治をどうするかという関心が政治学者の間に希薄になっ」ている。そこで、10人の気鋭の政治・行政・経済学者が集まり、政策転換や新しい政治システムの創造について、現実にどう取り組むべきなのかをそれぞれ提言したのが本書である。
政治学における規範的論議の重要性を説いているのと同時に、本書で示された提言は、市民、有権者のみならず、労働組合をはじめとする政策形成にかかわる当事者たちにとっても、この政治大転換の時期に、いかに政策の意思決定プロセスに参加し、めざす社会を実現するかという点できわめて意義深いものである。
むろん10人の学者がそれぞれの論稿を執筆したときから、政治の動きに進展があらわれている事態もある。バックベンチの与党議員の不満が噴出し、政調復活論議が巻きおこったことはその一例である。そうしたタイムラグはあるかもしれないが、10人それぞれの主張は、民主党政権の核心を衝くものである。すべての主張を総括し整理すると、いくつかの論点を見いだすことができる。
第一に、政権交代によって、政治システムがどのように変化しているのかという点である。村上信一郎(「一党優位体制の崩壊」)は、今回の政権交代を通常の意味での政権交代ではなく、自民党支配の残滓を取り除く体制変革であると位置付ける。ただ、その場合、自民党支配の残滓を除去した後、どのような新しい体制を構築するかが問題となる。野田昌吾(「『政策決定の一元化』を超えて」)は、現在の民主党が自民党政治の呪縛にしばられすぎるあまり、自民党とは反対の方向に向かおうとしている、すなわち利害代表の集合体である党を政策決定過程に関与させると政治的統合が危うくなるという前提に立っていると指摘する。このままでは党の弱体化を招くため、自民党とは異なる、新しい政党、政権のあり方を追求することの必要性を説く。
民主党政権が現在進めている政治主導、政策決定の一元化は、イギリス議院内閣制をモデルにしているとされるが、さらに野田はこれが適切であるのかと疑問を投げかける。イギリスモデルに固執することなく、日本の新たなモデルを開発すべきとするのは、山口二郎(「民主党政権のガバナンス」)も同様である。山口は、民主党は内閣に政治的指導力を集中させることで政治主導を実現しようとしているが、行政府だけでなく立法府にも目を向け、与党議員の立法提案と調査活動の充実により、国会審議を活性化させるという問題意識も必要であるとする。そして両者とも、与党の政策調整の場を与えること、与党間協議を通じた政治的統合を主張する。
第二に、政治システムが変化するなかで、市民は政策形成・意思決定プロセスにどのように参加していくかという点である。政策決定のしくみは内閣に一元化されようとしている。残された道は選挙によって一票を投じることだけなのだろうか。中北浩爾(「日本政治史のなかの政権交代」)は、政党の社会的支持基盤が弱体化し、小選挙区制のもとで政策的に中道化していく二大政党しか存在しなければ、有権者の政策上の自由な選択は実質上困難になると指摘する。いずれにしても、市民の意思を政策に反映するしくみを組み込む必要性は明らかである。空井護(「代表性競争の時代へ」)は、民主党がイデオロギーをもつ大衆政党ではなく、脱イデオロギー化し、支持基盤を限定的に固定化しない包括政党であり続けることを期待する。すなわち支持者だけでなく、反対者や批判者も含めて討議・対話し、幅広く意見集約・合意形成をはかり、政治的決定をおこなう代表的多数派になるべきと提起する。タウンミーティングのような場が一つの例として想像できるが、一方で、自民党時代とは異なるかたちで、一市民が社会団体への参加を通じ、そこから意見反映をしていくしくみも確保する必要があるといえる。
第三に、民主党はどのような政策転換をはかるべきなのかという点である。政策決定のしくみと同様に、政策の理念や目的など内容そのものを検証していくことも重要である。その一例として経済政策をとりあげると、高橋伸彰(「生活第一の内需主導へ」)は、旧政権に象徴的なグローバル企業主導のトップダウン型の成長戦略から、一人ひとりの労働者が生きがいをもって働けるボトムアップ型の内需主導型経済への転換を求める。GDP拡大すなわち経済成長自体が政策目的なのではなく、国民の生活や雇用の改善が本来の目的であるはずである。これを犠牲にするならば、GDP拡大を目的に掲げるべきではないと強く主張する。注意しなければいけないのは、中北も指摘しているように、二大政党化したときに政策上の対立軸が明確になりにくいことである。
第四として、今後の政党政治のあり方をどのように展望するかという点である。杉田敦(「二大政党制は定着するのか」)は、二大政党制は一定の歴史的な条件のもとで成立するものであり、日本には二元性が安定的に確保される基盤がないとして否定的にとらえる。中北は、二大政党制よりも、少数政党と連携した二大政党ブロック制をめざすことを提案する。この点は、空井の主張とは異なる方向性を示しているように思われる。これにくわえて再び第一の論点に戻るが、山口も指摘するように、将来をみすえ、与党間での議論を通じて議員を育成することも重要な課題である。
最後に、本書では積極的に触れられていないが重要な論点として、労働組合と政治のかかわりがある。欧米ではいずれの国も、労働組合は政治とかかわりながら活動を続けている。日本においても同様である、労働組合も政策形成の当事者であることを忘れてはならない。空井のように構想する場合、労働組合がどのようなしくみで論議に参加し、イニシアチブを発揮していくかは、むろん労働組合、とりわけナショナルセンターとしての連合自身の問題である。

(麻生 裕子)


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