長谷川 麻紀
かつての私は、「賃上げ」や「労働条件の改善」を遠い世界の出来事だと感じていた。従業員は私含めて3人の小さな会計事務所で、労働組合とは縁がなかったからだ。就業規則や労働条件はある程度整備されていても、給与交渉やキャリアパスに関する要望など、個人的な「より良くしたい」という思いを声にすることは、非常に難しいと感じていた。大手企業で享受される組織的な労働者の声が反映される仕組みは、私には異国の物語のように思えた。
しかし、連合加盟の産業別労働組合で労働組合役員の専従をしている夫との日々の対話、そして自らの小さな一歩を通して、「労働組合」や「連合」の持つ計り知れない力を実感するようになった。個人の力では変えがたい課題に直面する人々の声を代弁し、守ろうとする組織があるという事実に、私は希望を見出したのだ。
本稿では、「働くことを軸とする安心社会」の実現に向け、連合および労働組合が果たすべき役割について、労働組合がない立場からの具体的な気づきと提案を述べてみたい。この経験を通じて、労働組合が単なる賃上げ交渉の主体に留まらず、誰もが安心して働ける社会を築く「すべての働く人の応援団」であり得ることを確信している。私の体験が、多くの未組織労働者の共感を呼び、労働組合がその役割を拡大していく一助となれば幸いだと考えている。
私の職場は、従業員は私1名と上司が2名しかいない小さな会計事務所である。就業規則や給与・有給休暇の管理は適正に行われていたと感じているが、その根底には、上司との個人的な信頼関係が基盤にあった。例えば、業績向上や勤務年数増加に見合う報酬アップは、自ら声を上げなければ実現しない状況だった。
このような環境では、「さらに良くしたい」「もっと評価されたい」という前向きな要望であっても、口にすることは極めて困難だった。関係性を損ねるかのような心理的ハードルがあり、「個人の限界」を強く感じていたからである。
特に「賃上げ」は、私には無縁の話だと考えていた。ニュースで聞く春闘やベアは大手企業の話で、私のような小規模事業所に勤める者には関係ないと思い込んでおり、意見を述べることさえ躊躇していた。正直に言って、「個別の交渉力」の限界を感じていた。
厚生労働省の調査では、労働組合の組織率は年々低下し、特に中小企業は低い。これは、私のような未組織労働者が大多数を占める現実を浮き彫りにしているように思う。多くの人が、労働組合がない職場で、声を上げられない、あるいは受け止めてもらえないかもしれないという不安や孤立感を抱えているのだ。この状況こそが、現代日本の労働現場における、「表面的な整備」の裏に隠された「声なき声」の問題だと私は考えている。
非正規雇用者やフリーランスといった多様な働き方をする人々も、既存の労働組合の枠組みから外れがちだと認識している。彼らは個々に契約を結び、労働基準法の保護が届きにくい領域で働く。ここにも、形式的な労働条件の有無を超えた、本質的な「交渉力」の欠如が見て取れる。この「声を上げられない」背景には、日本社会特有の「和を重んじる」文化と「終身雇用神話の崩壊」が複雑に絡み合っているように感じる。経営者に異論を唱えることが、職を危うくする、あるいは「居づらくなる」という心理的圧力になる。また、情報格差も大きな問題だと見ている。例えば、労働法規を学び、知識を付けたとしても、実践的な情報が不足している場合も少なくない。これらの複合的な要因が絡み合い、多くの「声なき声」が社会に埋もれている。この構造を変革し、誰もが安心して声を上げられる社会を築くことこそが、今、日本の労働運動に課せられた喫緊の課題だと認識している。
私の意識が大きく変わったきっかけは、夫との日常的な会話だった。夫は連合加盟の産業別労働組合で専従役員として、様々な組合活動や団体交渉に奔走している。
ある日、私は夫に尋ねた。「賃上げって、大手企業だけの話じゃないの?」夫は穏やかに首を振り、「そうじゃない。労働組合のあるなしに関係なく、社会全体で賃上げのムーブメントをつくることが大切なんだ」と答えた。大手企業が賃上げすれば、それが中小企業にも波及していく。社会全体が「適正な賃金はこれくらいだ」という共通認識を持つことができれば、未組織の小さな会社でも、経営者も意識せざるを得なくなるというのだ。
その言葉にはっとさせられた。賃上げは社会全体の底上げのために必要なこと。それを実現するには、「そういう空気」「そういう社会的合意」が必要なのだということに気づかされたのだと思う。夫はさらに、連合が毎年発表する「春季生活闘争方針」や、政府・経済界への要請活動など、社会全体の賃金水準を引き上げるためのマクロな取り組みについても説明してくれた。
連合が掲げる「まもる・つなぐ・創り出す」というビジョンがある。そのうちの「つなぐ」ことが、働く者同士の間だけでなく、労働組合の中と外をも結びつけるものなのだと理解するようになってきた。「一人で抱え込まずに、まずは相談してほしいんだ」と夫は語っていたように記憶している。
この夫との対話を通じて、私は労働組合の役割が、単に組合員の労働条件の改善や雇用を守るだけでなく、もっと広範で社会的な意義を持つものであることを知った。それは、まるで社会のセーフティネットの一部として機能し、経済的な弱者や声なき人々の権利を守り、社会全体で「人間らしい働き方」を追求する役割を担っているのだと。私自身がまさにその「組合の外」にいる一人であり、その存在の大きさに、私は初めて希望を感じ始めたのだと思う。
夫との対話は、日本の賃金停滞の根源についても深く考えるきっかけとなった。夫は、賃金停滞がデフレ経済に加え、企業が人件費をコストとみなし、労働分配率を下げてきたことにも一因があると指摘した。労働組合の組織率の低下も、その傾向に拍車をかけた可能性があるという。しかし、近年、政府も経済界も「賃上げ」の重要性を認識し始めている。これは、労働組合が長年にわたって「賃上げこそ経済成長の源」と主張し続けてきた成果の一端であり、社会全体の意識がようやく追いついてきた証拠だと夫は語ったように記憶している。 夫はまた、労働組合が単なる「要求団体」ではないことも強調した。労働組合は、賃上げや労働条件の改善だけでなく、生産性向上への貢献、企業の持続的成長への提言、ワークライフバランスの推進、ハラスメントの防止など、多岐にわたる活動を通じて、健全な労使関係を構築し、企業価値の向上にも寄与しているというのだ。これらの話を聞くにつれて、私は労働組合が単なる労使対立の象徴ではなく、労使協調を通じて社会全体をより良くしていくための重要なプレイヤーであると理解するようになった。
この意識の変化は、私自身の働き方に対する見方をも変えたように感じる。これまで「仕方ない」と諦めていた現状も、もしかしたら変えられるかもしれない。私自身の声も、社会の大きな流れの一部として受け止められる可能性がある。そう考えることで、漠然とした不安の中に一筋の光が差し込んだような感覚を覚えたのだ。夫との対話は、単なる知識の伝達に留まらず、自分の内なる意識を揺さぶり、行動へと駆り立てる大きな原動力となったように思う。
ある時、私は意を決して、事務所の経営者に対して賃上げの要望を伝えることにした。夫との対話で得た新たな視点と、社会全体の賃上げムードが、自分の中で確かな後押しとなったからだと感じている。特別な制度や後ろ盾があったわけではない。ただ、日々高騰する生活費や物価、そして自分の働きぶりに見合う報酬を求める、ごく自然で切実な思いからだった。
要求内容をまとめるにあたり、自分の担当業務範囲と貢献度を客観的に見つめ直した。就業規則や労働条件が整備されていることは承知していたが、それが個別の賃金交渉の障壁となるわけではないと考えた。むしろ、「適正な評価と報酬」という側面から、自身の貢献度を明確に示すことが重要だと判断した。一般の賃金水準に関する情報も調べ、自分の主張する賃上げ額が客観的な根拠に基づいたものであることを示せるように準備したのだと思う。
非常に緊張したし、言葉を選ぶのにも時間がかかった。経営者に切り出すタイミングも慎重に選び、面談の冒頭では日頃の感謝を伝え、「事務所に貢献したい気持ちは変わりませんが、正直なところ、現在の物価上昇と生活費を考えると、現状の給与では厳しい局面が増えております」と切り出した。自分の業務範囲の広がりと貢献度、世間一般の賃金動向を説明した。上司も最初から快諾したわけではないように見受けられた。人件費の負担増、事務所の経営状況などを理由に、一度は難色を示したのだ。
しかし、私はそこで引き下がらなかった。夫から学んだ「粘り強さ」を思い出し、冷静に、しかし毅然とした態度で、自分の要求が正当なものであることを伝え続けた。
この時、心の中には「社会全体で賃上げの流れがある」「連合がそれを後押ししている」という確かな「安心」があったように感じる。連合の取り組みや、夫の活動を通じて、「私のような人間の声も、きっと誰かが見てくれている。そして、この声が社会全体の流れと無関係ではない」と思うことができたのだ。この確信が、私を支える精神的な柱となっていた。孤立した状態では、人は自分一人で戦う勇気を持つことは難しいものだと思う。しかし、「見えない後ろ盾」としての連合の存在が、私にその一歩を踏み出す勇気を与えてくれたのだと考える。
結果的に、わずかではあるが賃金の引き上げが実現した。この金額が、自分の当初の希望額を完全に満たすものではなかったとしても、私にとっては大きな一歩だった。賃上げの金額は控えめだったが、それがもたらした精神的な変化は計り知れないように感じる。
この経験は、私に大きな自信を与えてくれた。声を上げることの難しさ、孤立感、そして「どうせ無理だろう」という諦めなど、これら全てを乗り越えて、自分の正当な要求を主張し、わずかであってもそれを実現できたという事実は、私にとって計り知れない価値があったように思う。そして、それは単なる個人的な成功体験に留まらず、社会の中に、私たち個人の声を受け止める大きな流れが存在すること、そしてその流れを創り出す存在が「連合」でもあるという確信へと繋がった。この経験こそが、私を「すべての働く人の応援団」としての労働組合の意義を深く理解するに至らせた、決定的な転換点となった。
この経験は、労働組合が社会に与える「心理的効果」の重要性を示しているように思う。たとえ直接的な組織介入がなくても、その存在が社会全体に「労働者の権利は守られるべきものだ」「適正な賃金は支払われるべきだ」という意識を醸成し、それが個々の労働者の行動を後押しする。これは、組織率という数字だけでは測れない、労働組合の「見えない力」であり、極めて重要な役割だと認識している。
連合は、加盟組織である労働組合のための存在であることは間違いがない。しかし、その使命はそれだけにとどまるべきではないと考えている。労働組合のない職場で働く人、非正規雇用者、個人事業主、フリーランス、外国人労働者など、「組合の外にいる人々」にも、働く人としての権利や声がある。その声に寄り添い、支えていく存在であってほしいと強く思う。
そのためには、連合がこれまで以上に、多様な働き方をする人々にリーチし、彼らのニーズに応えるための具体的な取り組みを強化していく必要があると考えている。
地域ユニオンや労働相談窓口の充実・周知を強化し、SNSやインターネットを活用した情報発信、例えば短尺動画コンテンツやWebサイト改善などを通じて、より多くの人々にメッセージを届けるべきだと考える。非正規労働者や若者、外国人労働者に対しては、特性に合わせたサポート体制の強化が必要だ。就業規則がある職場でも、「規則だけでは解決できないグレーゾーンの問題」に労働組合が寄り添い、解決に導いた事例を共有することも有効だろう。また、地域社会との連携を深め、弁護士や社労士など専門家とのネットワークを構築し、働く人々を包括的に支援する体制を整えるべきだと感じる。
孤立した個人が「声を上げる」までに感じる壁は高いものだと思う。たとえ労働条件が「ちゃんとしている」と感じられても、より良くしたいという意欲を持つことは時に大きな壁にぶつかるものだ。だからこそ、その一歩を後押しする温かな仕組みが必要なのだと強く感じている。
日本の労働組合の組織率は低く、「労働組合の意義が見えづらくなっている」ことの現れだと痛感している。特に、就業規則が整備され、最低限の労働条件が確保されている職場では、「労働組合がなくても困らない」と感じる人も少なくないかもしれない。だからこそ、労働組合本来の価値である「誰かの声を聴き、代弁し、守る存在」であることを社会に対して丁寧に発信し続けることが、組織率向上への第一歩となると考えている。
労働組合の取り組みや成果を「見える化」するため、具体的な成功事例をストーリーとして発信し、データなどで客観的に示すべきだと考える。就業規則が整備されていても、個別のハラスメントや人間関係の悩みなど、「規則だけでは解決できないグレーゾーンの問題」に労働組合がどう寄り添い、解決に導いたかを示すことが重要だと感じる。
多様なメディアを活用した情報発信も不可欠だ。SNSなどでの積極的な交流を通じて、より多くの層にアプローチすべきだろう。特に若い世代には、労働組合の堅いイメージを払拭し、「Z世代向けに10秒で分かる労働組合の意味」といったコンテンツやキャリア教育との連携を通じて、労働組合の活動を「自分ごと」として捉えてもらうべきだと考える。
「連合がいてくれてよかった」と実感した私の経験は、決して特別なことではない。そうした無数の「最初の実感」を丁寧に積み重ねていくことが、信頼につながり、やがては組織化への第一歩となるのではないかと考えている。個別の労働相談や支援に徹底的に寄り添い、「たとえ労働条件が整っていても、個別の悩みに寄り添える存在であること」を示すことが、新たな信頼を生む鍵になると思う。
連合が「まもる・つなぐ・創り出す」社会の実現を目指す中で、どれだけ多くの「まもられたい」「つながりたい」「創りたい」と願う人々と接点を持てるかが、今後の鍵を握っている。その接点一つひとつを大切にし、個別の声を社会的な力に変えていくことが、労働組合に求められる次なる役割なのだと強く信じている。
日本の労働市場は多様化し、複雑化している。副業・兼業、在宅勤務、ギグワーカー、生成AIの活用といった新たな働き方が急速に広がっている。就業規則や労働条件が整っている企業でも、これらの新しい働き方に対応しきれていない場合もあるだろう。こうした変化に対応しながら、労働組合もその組織や活動内容を柔軟に変化させていく必要があると考えている。
今後は、従来の「企業単位」や「産業単位」を超えた、より柔軟な組織化と支援のあり方が求められるいくのではないか。個人加盟ユニオンの強化など契約形態に応じた支援モデルの開発が不可欠だと考える。就業規則がある会社で副業をする際のルールなど、「会社での労働条件」と「副業・兼業での働き方」のギャップから生まれる問題にも対応する必要があるだろう。生成AIの普及に伴う雇用の変化や新たなハラスメント、賃金構造の変化など、AI時代における労働者の権利と保護について、積極的に議論を提起し、新たなルール形成を求めていくことも重要だと考える。
若い世代や未組織労働者が「労働組合とは何か」を知る機会を増やすことも、労働運動の未来を拓く上で不可欠だと考えている。学校教育への導入や、地域イベントでの啓発、社会人向け学習プログラムなどを通じて、労働運動の価値を伝えていくべきだろう。
労働組合は、企業経営者、政府、地方自治体、学術機関、NPOなど、多様な社会的パートナーとの連携を強化し、社会全体で労働問題を解決していく姿勢が求められると考えている。労働基準法の改正や最低賃金引き上げなど、法制度の強化への政策提言を継続的に行う。労働組合がない中小企業においても、労使間の対話を促進するための協議の場を創設することは、就業規則の運用をより柔軟かつ労働者寄りのものにするための重要なステップになりうる。国際的な連帯を強化し、グローバルサプライチェーンにおける労働者の権利保護や、多国籍企業における労働条件の改善に取り組むことも重要だろう。
今、社会全体が不安定さを増し、働く人々の孤立や分断が深まる中で、労働組合の存在意義があらためて問われているように感じる。就業規則やある程度の労働条件が整備されていても、個々人が抱える「より良くしたい」という潜在的な不満や、時代と共に変化する働き方への対応は、一企業の努力だけでは限界があるものだろう。
「安心して声を上げられる社会」をつくるためには、法制度や政策の整備だけでなく、目に見えにくい不安や孤立に寄り添う仕組み、そして「自分は一人ではない」と感じられる連帯の場が必要だと考える。その中核にあるべきなのが、働く人々に最も近い存在である労働組合だと、私は確信している。
連合には、「誰ひとり取り残さない」という強い意思のもとで、社会のすみずみまで目を向け、見過ごされがちな声をすくい上げる責任と力がある。それは、既存の枠組みに囚われず、新たな働き方をする人々や、これまで労働組合と縁がなかった人々にも積極的に手を差し伸べることで実現される。これらの取り組みを通じて、労働組合の活動が私たち自身の生活に直結していることを実感できるような社会を創り出す必要があると考えている。
その姿勢が社会に広く伝わることで、「労働組合の価値」は再認識され、やがては組織率の向上や組織全体の強化にもつながっていくはずだと見ている。そして、一人ひとりの声が結びつき、社会的な力となることで、誰もが安心して働き、人間らしく生きられる「働くことを軸とする安心社会」の実現が、現実のものとなるだろうと信じている。
名もなき一人が、臆することなく声を上げられることこそが、「働くことを軸とする安心社会」の実現に向けた第一歩であると、私は信じてやまない。そして、私自身の小さな一歩が、この大きな流れの一部となり、未来を創る力となることを願っている。
参考文献