『私の提言』

佳作賞

労働が変化する中、労災保険制度が
セーフティーネットとして機能していくためには

平野 亮

1.はじめに

 労働災害はいつ起こるかわからない。厚生労働省「令和4年の労働災害発生状況」(2023年5月)によると、2022年年1月1日から12月31日までに発生した労働災害による死亡者数は774人で、前年比4人減で過去最少となった一方で、休業4日以上の死傷者数は、前年比1,769人増の132,355人で過去20年間において最多となっている(図1)。
 労災保険(労働者災害補償保険)は、労働災害にあった労働者に国が治療に必要な費用を助成し、休業した際の生活費を補償するなど、被災した労働者や家族に必要な給付を行う保険制度である。労働者が失業した場合等に必要な給付を行う雇用保険とともに労働保険と呼ばれ、労働者やその家族を守るセーフティーネットとして重要な役割を担っている。
 しかし、労災保険には認定基準があり、勤務中、通勤中のケガがすべて労災として認められるわけではない。労災として認められた場合でも、その補償が十分なのか。高齢者雇用の増加や在宅勤務など勤務形態の多様化など、労働が変化する中で、制度にほころびと思われる穴も見られる。本稿では、労災保険が今後もセーフティーネットとして機能していくために何が必要か事例をもとに考えてみたい。

【図1】令和4年 業種別労働災害発生状況(確定値)

【図2】 労働保険審査制度の仕組み
【出所】厚生労働省「令和4年 労働災害発生状況」(2023年5月23日)

2.労災認定の現場と制度改正の事例

(1)労災認定の現場

 私は2017年より「東京労働者災害補償保険審査参与」を務めており、毎月30件から、多い時は50件近くの事件について、審査官が行う決定について意見を述べている。まず、この参与の位置づけを理解してもらうため、労働保険審査制度の仕組みを簡単に説明する。
 労災事故が起きたら、被災した労働者は請求書を作成し、補償の種類に応じて必要となる添付書類とともに労働基準監督署に提出する。監督署は、その請求書の内容に基づき調査を行い、労働災害や通勤災害に該当するか判断し、その結果により給付を決定する。被災労働者は、この判断に不服があるときは、各都道府県労働局に置かれる労働者災害補償保険審査官に審査請求することができ、審査官の決定に不服のあるとき(または3カ月を経過しても審査官の決定がないとき)は、労働保険審査会に再審査を請求することができる(図2)。審査官は、審査請求に基づき調査した結果、監督署の判断を支持して請求を棄却するか、監督署の判断を誤りとして取り消すか決定する(図2の網かけ部分)。私を含め4名の参与は、この審査官の決定に同意するか、同意しないか、保留する(どちらとも言えない)か意見を述べる。

【図2】 労働保険審査制度の仕組み

【図2】 労働保険審査制度の仕組み
【出所】厚生労働省ホームページより作成

 これまでの事件数を数えたことはないが、月35件としても5年10カ月で約2,500件を見てきたことになる。参与会資料は意見書(各事案に対する意見を記したもの)提出期限の1週間前に送付されるので、詳細まで目を通すのは時間的に困難で、医学的な説明についての理解も十分ではないが、4人の参与の意見はほぼ一致している。

(2)制度改正の事例

 参与会は、毎月会議室で開催され、審査官から直接概要と決定内容の説明を受け、質問もでき、その場で意見を述べていたが、新型コロナウイルス感染症防止のため書面開催となり、現在でも続いている。参与になった当初は、労働組合の団体交渉と異なり使用者の過失の有無を問わない(注1)、基準を満たすかどうかで判断される決定に戸惑ったが、緊張しながらも慣れてきた。その中で、ルールとして審査官の決定は間違っていないものの、果たして労働者の保護になっているのだろうかと疑問を感じる事件も出てくるようになった。その1つが「複数事業所で雇用される労働者の労災補償」だった。
 当時の労働者災害補償保険法では、複数の会社で雇用されている労働者が被災した場合、給付額は災害が起きた勤務先の賃金額のみを基礎に決定されていた。2つの会社を掛け持ちで得た収入で生活していたのに、休業中の給付が1か所の賃金しか対象にならないとなると当然生活できなくなり、生活費の不足分を補うために働くと(休業に対する給付なので)給付を止められてしまう。私が見た事件の被災労働者(審査請求人)もこのことを不服に審査請求したが、審査官の決定は棄却だった。法に照らせば決定は間違っていないので、参与会では同意の意思を伝えたが、あわせて「ルールに従えば棄却だと思うが、なんとかならないものか」と付言したのを覚えている。
 その後、複数事業所で雇用される労働者の労災補償については法改正が行われ(2020年9月1日施行)、すべての勤務先の賃金額を合算した額を基礎に給付額が決定されるようになった。参与会での私の発言が法改正につながったわけではないが、制度が改善されたのをうれしく思った。
 以下、同様に現行のルールでは認定されないケースであっても、疑問に思う(セーフティーネットから落ちる)事例をいくつか挙げながら、今後の制度改正の提言を行う。

3.セーフティーネットから落ちる事例と改善点

(1)セーフティーネットから落ちる事例

①給付基礎日額

 労災保険において保険給付は、原則として被災者の賃金によって給付額が異なる。これは、労災保険が災害によって失われた稼得能力を補てんすることで労働者を保護するからで、給付基礎日額という指標を使う。給付基礎日額は平均賃金に相当する額で、具体的な算出方法は、負傷の原因となった事故が発生した日または医師の診断によって疾病の発生が確定した日(賃金締切日が定められているときは、その直前の賃金締切日)の直前3カ月間にその労働者に対して支払われた総額を、その期間の暦日数で割った1暦日当たりの賃金額である。給与の6~7割程度の金額になる。

【ケース1】

 70代女性。職種は清掃。清掃作業を終了し、退勤しようとした際に通用口の足ふきマットにつまずき転倒した。被災者は業務中の負傷であるとして休業補償給付を申請し、監督署は支給決定したが、被災者は休業請求期間中に就労していることがわかり、調査を行ったところ、他社にて勤務し賃金を受けていることが確認された。すでに支給決定された給付について、決定を変更し、回収する処分となった。被災者は支給される給付だけでは生活できないので、他社での就労が必要だと主張したが、審査官は「休業補償給付は生活困窮を理由とする保険給付ではない」として認めなかった。
 法改正前の複数事業所で雇用される労働者の労災補償と同様、生活給としての賃金の補償という面で疑問が残る

【ケース2】

 40代男性。職種はインストラクター。バイクで通勤中、故障で停車していたトラックに追突し負傷した。被災者は負傷による休業補償給付を申請したところ、監督署は通勤災害と認定したが、被災者は算定された給付基礎日額に誤りがあるとした。被災者は「コロナ禍の影響で休業を余儀なくされた結果、平均賃金が通常に就労していた時と比べて大きく低下してしまった。コロナ禍の前の賃金で算定するべき」と主張したが、審査官は「新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止を目的とした行政機関からの業種等を特定した営業自粛及び保健所等の指示に基づいた要請等」による休業に該当しないとして認めなかった。
 コロナ禍という特殊な事情がある中、機械的に直近の3カ月の賃金をもとに給付額が算定されるのに疑問が残る。

②腰痛の認定基準

 腰痛の労災認定基準は、対象となる腰痛を「災害性の原因による腰痛」(仕事中の突発的な出来事によって生じる腰痛)と「災害性の原因によらない腰痛」(腰に過度の負担のかかる仕事に従事したため発症する腰痛)の2種類に区分している。また、後者の「腰部に過度の負担のかかる業務」として、下記の業務があげられている。

  1. a)おおむね20kg程度以上の重量物又は軽重不同の物を繰り返して中腰で取り扱う業務
    例:港湾荷役など
  2. b)腰部にとって極めて不自然ないしは非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務
    例:配電工による柱上作業など
  3. c)長時間にわたって腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務
    例:長距離トラックの運転など
  4. d)腰部に著しく粗大な振動を受ける作業を継続して行う業務
    例:車両系建設用機械の運転など
【ケース3】

 20代女性。職種は保育士。泣いている児童をおんぶしながら、重いものを動かしたり、他の子どもを抱っこしたときに腰を痛めたとして、監督署に療養補償給付および療養の費用を請求したところ、審査官は、被災者の業務は「腰部に過度の負担のかかる業務(上記)」のいずれの業務にも該当せず、また作業歴も「重量物を取り扱う業務又は腰部の負担のかかる作業態様の業務に相当長期間(おおむね10年以上をいう)」にわたって継続して従事する労働者にも該当しないと認めなかった。
 一般的に男性に比べ女性の方が体力が低いと考えられる中、あらゆる年齢・男性も含む基準で判断されるのは疑問が残る。

③業務遂行性・通勤災害の有無

 業務災害は、①事故が勤務中に起こったか(業務遂行性の有無)を判断し、業務遂行性が認められる場合には、②傷病が業務に起因して発生したものであるか(業務起因性)を判断して、認定を2段階で審査する。
 また、通勤災害は、①住居と就業の場所との間の往復、②就業の場所から他の就業の場所への移動、③①の往復に先行または後続する住居間の移動中の災害について、合理的な経路(一般に労働者が用いるものと認められる経路)および方法による場合などに認められる。

【ケース4】

 50代女性。職種は事務。在宅勤務中に、親の介護を行うホームヘルパーが玄関のチャイムを鳴らしたため、出迎えようとこたつから出たところ、足がしびれていたことでよろけ、その際に負傷した。療養補償給付の請求をしたところ、監督署は私的な事情で業務から離脱している間に発生したものとして認めなかった。
 自宅の作業環境を整えること(こたつではなく机など)も必要だが、親の介護のために在宅勤務している中、仕事とプライベートを完全に分けられるか疑問が残る。

【ケース5】

 30代男性。職種は事務。自宅でのテレワーク開始前に保育園に子どもを預けるため自転車で走行中、雨にぬれた路面でスリップ転倒し負傷した。被災者は通勤災害として療養給付を請求したところ、監督署は、在宅勤務であり、自宅から保育園に子どもを送り、自宅へ戻ってくる行為は通勤行為と認めなかった。
 通勤・帰宅中に保育園に子どもを送り迎えすること自体は、合理的な経路として認められるが、就業の場所が自宅だと認められないのは疑問が残る。

(2)改善点

①給付額の算定方法

 労災保険は生活そのものを保障するものではなく、失われた稼得能力を補てんすることで労働者を保護する制度なので、給付額は生活費ではなく被災時の賃金が基礎となる。算定により給付基礎日額が極端に低くなる場合は、最低保障額(2022年8月から3,970円)があるものの、最も低い最低賃金853円(2022年度)の5時間分にも満たなく、給付だけでは生活できないケースもある。暦数で割る平均賃金ではなく、賃金額そのものを基準に補償したらどうか。また、「直近3カ月の賃金」の算定基準についても、コロナによる休業や育児休業といった無給期間がある場合は、それ以前の賃金(契約上の賃金など)を基準に算定したらどうか。

②労働者の属性や勤務形態に合わせた認定基準

 労働災害の認定において、年齢・性別といった属性は考慮されない。平均的労働者(当該労働者と職種、職場における立場、経験等の同種の者)が基準となる。厚生労働省「令和4年 高年齢労働者の労働災害発生状況」(2023年5月)によると、雇用者全体に占める60歳以上の高齢者の占める割合は18.4%(2022年) であり、労働災害による休業4日以上の死傷者数に占める60歳以上の高齢者の占める割合は28.7%(2022年)となっている(図3)。高齢者や女性の雇用が社会的にも政策的にも求められており、今後さらに増えることを考えると、体力差の観点から年齢・性別による基準も設けてよいのではないだろうか。

【図3】 高齢者の就労と被災状況

【図3】 高齢者の就労と被災状況
【出所】厚生労働省「令和4年高年齢労働者の労働災害発生状況」(2023年5月23日)

 また、コロナ対策として在宅勤務制度を緊急的に導入した企業も多いと思うが、実施する中で見えてきた課題もあり、その1つとして時間管理も含め仕事とプライベートを分ける困難さがあげられるだろう。勤務形態の特性をふまえ業務遂行性について柔軟な対応が考えられないだろうか。さらに、子どもの送り迎えについても、労働者が勤務形態により不利にならないよう柔軟な対応が必要ではないだろうか。

4.おわりに

 物価上昇が続き生活費も上がる中、労災保険の給付は、賃金が算定基礎である以上、賃金そのものを上げないと給付額は上がらない。また、現役労働者の平均給与額は、給付の最低保障額や労災保険年金額(注2)にも影響する。労働組合は社会的責任として賃上げとその波及にさらに取り組むところだが、法律も含めた制度改正にも取り組む必要がある。
 本稿では、事例として給付基礎日額(ケース1・2)、腰痛の認定基準(ケース3)、業務遂行性・通勤災害の有無(ケース4・5)をあげ、給付額の算定方法や、労働者の属性(年齢・性別など)や勤務形態(在宅勤務など)に合わせた認定基準の必要性を示した。雇用によらない働き方(フリーランスなど)が増えていけば、労働者性等、加入条件や保険料の問題も議論しなければならない。労災保険制度が今後もセーフティーネットとして機能していくためには、こうした労働の変化に応じた制度改正が求められる。労使の不断の努力により職場の労働安全衛生をつくりあげるとともに、いつ起こるかわからない労働災害のために、私たちは保険制度にも注視して、必要としている人が落ちることのないセーフティーネットをつくりあげなければならない。そのために、私も尽力していきたい。


参考文献

厚生労働省
「令和4年の労働災害発生状況」(2023年5月23日)
厚生労働省
「労働保険審査制度の仕組み」
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/shinsa/roudou/02-01.html
東京労働局
「労働者災害補償保険審査参与会資料」
厚生労働省
「令和4年 高年齢労働者の労働災害発生状況」(2023年5月23日)
厚生労働省
「スライド率等の改定に伴う労災年金額の変更について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/rousainenkin-slideinfo.html
労政時報
「実務に役立つ法律基礎講座(73)『業務災害・通勤災害』」(2021年)

(注1)
 使用者の過失の有無を問わないこと(無過失責任)により、労働者側で使用者の過失を立証する必要がなく、認定されれば国から給付金が支払われる。ただし、事業者には安全配慮義務(労働者を危険から保護するよう配慮すべき義務)があり、労働者に損害を負わせた場合、事業者はその損害について賠償すべき義務がある。

(注2)
 労災保険年金額は、原則として算定事由発生日(被災日)の賃金を基に算定した給付基礎日額に給付の種類等に応じた給付日数を乗じて算定される。しかしながら、年金は長期にわたって給付することになるため、被災時の賃金によって補償を続けていくとすると、その後の賃金水準の変動が反映されないこととなり、また、過去に被災した労働者と近年被災した労働者との補償水準が大きく異なってくる等、公平性を欠くこととなる。このため、給付基礎日額を賃金水準の変動に応じて改定する制度(スライド制)を取り入れている。
 スライド制による年金額の改定は、一般の労働者一人あたりの平均給与額の変動率を基準として、厚生労働大臣が定める改定率(スライド率)により、翌年度の8月1日以降に支給すべき年金給付について行われる。


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