私の提言

学生特別賞

「学ぶ機会の確保」と労働組合・連合
―奨学金の問題を中心に―

藤井 怜

1.はじめに

 最近、「高等教育の無償化」が喧伝されているが、学生の立場からすると、実際には、「学ぶ機会」が脅かされているだけではないだろうか、と感じることが多い。そうでなくとも、現在でさえ、生活費や授業料のために奨学金を借りているものの、「返せない」「返すために生活が苦しい」という学生は少なくない。そもそも、学ぶために借金をしなければならないということ自体が、「学ぶことを断念する」という意味で、学ぶ機会を喪失させているように思うが、後述するように、近年の「高等教育の無償化」は、無償化によって機会を増大するどころか、かえって縮減させているといわざるをえないように思うのである。
 加えて、近年の政府の見解では、たとえば、安倍晋三首相が、OECD閣僚理事会にて、「実践な職業教育を行うことを高等教育に取り組みたい」旨を宣言するなど、あたかも大学教育は「新しいニーズに十分応えない、応えられない」「職業とのつながりが希薄」であるべきかのような指摘が目立っている。これは、「専ら学問を学ぶことより、就職してから仕事ですぐ使えることを修得しろ」と言っているようなものではないのだろうか。こういった点も、広い意味では「学ぶ機会を失わせる」方向に進ませようとしているもの、と思われる。
 ところで、わが国の労働組合については、近年、「若者の組合離れ」が喧伝されている。しかし後述するように、実は、こういった高等教育の問題、つまり「学ぶ機会の確保」ということに対して、学生の連合や労働組合に対する期待は意外に高いのである。したがって、連合や労組が「学ぶ機会の確保」への取り組みを強めることは、ひいては「若者の労働組合離れ」の歯止めとなる可能性を大きく秘めているようにも思えるのである。本稿では、そういった問題関心も踏まえながら、日本労働組合総連合会(以下、連合)および個々の労働組合(以下、労組ないし単組)はこの問題にどう取り組むべきかについて、奨学金問題の現状と、この問題に対する学生からの期待も整理しながら、検討していきたい。

2.日本の奨学金政策と現状

(1)日本の奨学金政策の背景と現状

 奨学金とは、学生の授業料や生活費といった学生生活における金銭的側面を支援するために支払われるお金、またはその制度のことであり、日本では主に「貸与型」と「給付型」のものに分けられる。
 奨学金制度を実施する主体は、長らく日本育英会(1943年創立)であったが、2004年の独立行政法人化によって、日本人学生への奨学金貸与事業は、文部科学省所管の日本学生支援機構(以下、JASSO)となっている。もっとも、これ以外にも、国や自治体、企業や財団など、幅広い組織が奨学金制度を設けてはいるが、総じて、「給付型」は要件が厳しかったり枠が少なかったりとハードルが高いこともあり、「貸与型」が圧倒的多数を占めているといえよう。ちなみに、JASSOの発表数値によれば、2017年度の貸与型奨学金の新規採用者数は、第一種奨学金が約18万人、第二種奨学金が25万人、合わせて約43万人であるとされる。
 日本育英会からJASSOに奨学金事業が引き継がれた際、金融界の強い働きかけもあって、奨学金事業は「金融事業」と位置づけられることとなり、回収が非常に厳しくなった。もちろん、借りたものは返さなければならないとはいえ、延滞が長くなると債権回収業者による回収が行われたり、裁判上の督促がなされたりと、民間金融機関からの借金と何も変わらないものになったのである。しかしその間、サラリーマンの平均賃金はどんどん下がる一方、学費は上がる一方であり、結局のところ、JASSOから奨学金を借りざるをえない学生が多いのである。
 ところで、「直接借りる」という場面においては、国はこれまで前面には出てこなかった。国は、文部科学省(以下、文科省)を通じて、大学に授業料免除・一部免除を行うお金を助成することで、授業料について支援していたからである。利用する側である学生も、JASSOの奨学金だけを借りる人もいれば、JASSOから借りながら授業料免除申請を行い授業料について免除あるいは一部免除している者が少なくない(私自身も、このように併用して学生生活における賃金を賄っている)。
 ともあれわが国では、奨学金制度を活用して学生生活を送っている学生は少なくない。しかし1970年代以降、大学の授業料の値上げは繰り返される反面、公的負担による学費支援は非常に少なく、OECD諸国の中でも最低水準となっていることはよく知られている。スウェーデンやフィンランドといった福祉国家は税金が高い代わりに大学の授業料は全額無償であるし、生活費も給付型奨学金等の制度が揃っているのである。
 ところが日本は、奨学金といえばほとんどが「貸与」、つまり「借金」であることに加え、大学生を支える家計については、社会保険料負担の増加等で実質的な賃金水準は低くなる一方であり、都心部ですら高い賃金水準を求めるのは容易ではない状況になっている(地方では、ことさらにこのような状況は厳しいものとなっている)。現在の政権は、社会保険料の充実等を目的としての消費税増税などを進めようとしているが、それらがどこまで、大学授業料の改善に使われるのだろうか。それどころか、在学中の出費が増税によって増えることになり、奨学金を借りる金額が増える危険すらあるように思われる。
 そもそも、私の周りでも、奨学金を借りないで生活しようとしてアルバイトに没頭し、学校に来なくなっている友人や、学校に来ても授業中に寝てばかりの友人などが少なくない。学ぶために大学に来ているのだから、このような学生の姿勢そのものが本末転倒ではあるのだが、別の見方をすれば、そこまで働かなければ学生生活をまともに送れない、ということだともいえよう。しかも繰り返しになるが、わが国の奨学金は多くが「借金」である。それを借りることで一時的にはやり過ごせても、卒業後は長期間にわたり返済に苦しむことになるし、正規雇用としての就職に失敗すれば、返済督促という名の取り立てにおびえることになるのである。

(2)「教育無償化法」と今後

 ところで、このような現状に対しては批判も少なくなく、現政権も、奨学金制度の見直しに着手しているとされる。しかし、それが実効性のあるものかどうかは、はなはだ疑わしいのである。
 現政権は近年、「未来を担う子供たちに、“保育・教育の無償化”を実現します」として、大々的な奨学金制度の見直しを提言してきた。JASSOもこれを受けて、新しい奨学金制度として、2020年度4月に進学する大学生から、給付奨学金の対象者を広げる、としてきた。たしかに「高等教育の無償化」といえば聞こえがいい。ところが、実際の対象者は、「真に支援が必要な所得の低い家庭の子供に限って」のもの、より厳密には、住民税非課税世帯あるいは生活保護受給者世帯の学生、とかなり絞られた厳しいものとなっているのである。
 もちろん、住民税非課税世帯に学習の機会を与えること自体は問題ないし、それ自体は望ましいことといえる。しかし、ここには2つの大きな問題が隠されていると思う。
 1つは、現代社会においては、高等教育進学に向けて、塾や予備校、教材等にお金をかけて少しでも良い大学に行こうとする家庭が多いが、それは家計に余裕があって初めてできるものである。英語の海外民間試験の導入や指導要領の改正による授業量の増加により高校3年間で勉強することは増えるのに、個人の努力だけで全てこなすことは難しくなってきている。つまり、もっと端的にいえば、そのような状況を改善せずに、ただ大学等の高等教育における給付型奨学金を非課税世帯に充実させても、はたして本当に大学に行くのか、ということである。
 そしてもう1つ(より大きな問題であるが)は、この制度は、中間所得層を大々的に切り捨てると言わざるを得ないものになっている、ということである。たしかに相対的には、大学に行くのは高所得層と専ら中間所得層が多いだろうと考えられよう(厚生労働省による「平成30年度国民生活基礎調査の概況」によれば、全世帯の平均年収は551万6000円、児童のいる世帯は743万6000円という結果であった)。ところが、現在の地方国立大では、年収400万円~500万円の層が、奨学金や学費免除等を活用しながらどうにか大学に通っている、ということが少なくないように思うが、今回の改正は、これらに対する学費免除をほぼ廃止し、住民税非課税世帯への給付型にシフトする、というのである(それを「真に支援が必要な所得の低い家庭の子供たちに限って」としているのである)。
 これらの層は近年、社会保険料の上昇等で可処分所得が減っている一方、年功序列賃金カーブが緩やかになった関係で30代、40代になっても給与が上がらない現状があることに留意しなければいけない。要するに、「学ぶ機会の確保」ということを考えれるのであれば、こういった所得層にも拡大・充実すべきであるにも関わらず、今回の「無償化」は、そういった層を切り捨てるものになっており、極めて問題であろう。
 しかし本当は、そのこと自体が、ほとんど知られないまま進められてきていることにこそ、大きな問題があるといえるかもしれない。このような事実は、名前の字面から、「全員が無償化される」と勘違いしている人が多いのではないだろうか(自身の所属するゼミナールで聞いたが、このような勘違いが多かった)。
 さらには、この法律のもっと大きな問題点は、必要予算想定7600億円の財源についてである。現在多くの大学では収入や家族構成、個別の状況に応じて授業料を減免している。国立大はこの仕組みを採用しており、私立大においては減免額の半分を国が補填する仕組みがあり、いずれも中間所得層は対象になっている。しかし、これに充てられていた多くの財源は高等教育無償化法に使われ、今まで各大学の授業料減免制度に対象となっていた学生が今後どうなるか、はっきりしていない。つまり結果的には、中間所得層の学生の「学ぶ機会」は大きく失われる可能性が高まるのではないだろうか。ちなみに、大阪大学大学院の古川徹教授は「大卒学歴至上主義を無分別に押し付けるものだ」と批判したうえで、なぜ政権がこのような無償化を打ち出したかについて「教育政策は効果を検証するのに長い時間がかかる、政府は支援の事実をもって成果が上がったとアピールしたのだろう」と指摘している。いずれにせよ、このような現状を踏まえると、学生の学ぶ機会はますます失われてきていると言わざるを得ないのではないだろうか。

3.学生の労働組合への期待

 ところで、こういった問題について、学生は労働組合にどのように期待し、あるいはどう考えているのだろうか。少し話はそれるが、2019年6月6日に、連合岩手による岩手大学寄付講座「現代の諸問題―労働問題とワークルール」において、「労働組合の役割に関する意識調査」というアンケート(有効回答数106名)を行った。その中で、連合および労組に、「どういったことを、どの程度期待したいと思うか」についての調査を行ったので、この点を整理したい。

(1) 連合寄付講座受講生調査からみる意識

 この調査については下表のとおりであるが、学生が、連合や労働組合の活動に対して、「期待できる」と「ある程度期待できる」としている比率は、総じて約6~8割の水準に達しており、「若者の組合離れ」が言われているにもかかわらず、連合や労働組合への期待は全体的に決して低くない、ということが見て取れる。特に、本稿で注目している奨学金の問題についても、64.4%が連合・労働組合に改善を期待している(「期待できる」「ある程度期待できる」の合計値)ことがわかった。
 これは、ある面において非常に興味深い統計である。というのは、周りの学生と話をしていると、労働組合のイメージとしては、「労働条件の改善のためにはがんばってほしい、でも政治的なことまで口を出すのはちょっと怖い」という声が多かったが、このように、労働条件を超えた、政策的なことについても、連合や労働組合に期待している、という傾向になってきているのではないだろうか。なお、本アンケートに伴い、講座担当教員である岩手大学人文社会科学部・河合塁准教授にもその点をヒアリングしたところ、「確かに、講座を開催した最初のころは、『労働組合は労働条件の改善に注力すべきであり、政策や政治について口を出すべきではない』という意見が多かったが、最近は、奨学金や税の問題といった、個々の企業レベルでは解決できない社会課題の解決のために、連合や労組が取り組まなければならない、という話を丁寧に講義してもらうようにしたところ、学生の評価も変わってきているように感じる」とのコメントを得た。これは、寄付講座の1つの成果であり、全国的な傾向というのは早計であろうが、少なくとも、奨学金のような、学生の「学ぶ機会」、ひいては日本全体の教育にかかわる問題について、若い学生は連合や労組に期待を寄せている、あるいは期待したいと考えている、ということは指摘できるように思われるのである。

表1 労働組合の役割に関する意識調査

  ①期待できる ②ある程度期待できる ③どちらともいえない ④あまり期待できない ⑤全然期待できない ⑥わからない
ブラックバイトの撲滅 20.0% 49.5% 15.2% 8.6% 6.7% 0.0%
ブラック企業の撲滅 26.7% 49.5% 10.5% 7.6% 5.7% 0.0%
企業の労働条件改善 32.4% 51.4% 6.7% 5.7% 3.8% 0.0%
地域の賃金水準向上 21.9% 52.4% 15.2% 4.8% 5.7% 0.0%
奨学金の問題 24.0% 40.4% 22.1% 6.7% 5.8% 1.0%
貧困問題の改善 20.0% 43.8% 21.0% 10.5% 3.8% 1.0%

4.連合・労働組合の取り組みと今後期待したいこと

(1)連合の取り組み

 現在、連合は「2020年度 連合の重点政策」(2019年7月~2021年6月)の最重点政策部分において、「教育機会の均等実現と学校の働き方改革を通じた教育の質的向上」の中で「教育機会均等の実現に向けた高等学校および高等教育の教育費の完全無償化」を提言している。クラシノソコアゲ応援団のキャンペーンにおいても、「奨学金の充実」や「授業料の引き下げ」は提言されている。こういった点からすれば、私がこの論文の中で問題視した点については、連合も考慮していることが読み取れる。
 また、全国労働金庫協会(ろうきん)では、生活応援融資制度と銘打って、その制度の中でJASSOの奨学生に対して入学金を融資している。また、奨学金の返済が延滞している学生がいる状況等を受けて、人材確保のアピールも兼ねて、奨学金の返済を一部肩代わりすることを打ち出している企業も出てきていることは注目に値しよう。
 しかし、そういった取り組みは今後も進めてもらいたいものの、それだけでは状況は十分によくなるわけではないようにも思う。何故なら、奨学生が奨学金の返済を延滞している理由の多くは、本人の低所得や奨学金の延滞額の増加であり、一時的な肩代わりは当然ないよりはいいが、それだけで全て解決できるかは怪しいからである。そこで、連合および労働組合に、どういったことを期待したいかを最後に述べてみたい。

(2)連合に期待する取り組み

 連合は、政策的なことに対して一貫して発言を続けてきているが、その中で、一つは社会保険料の軽減による可処分所得の増加や、賃金水準を全国的に向上することを訴えることで、労働者の賃金水準を上げるよう働きかけてもらうことを期待したい。学生が奨学金を借りなければ学生生活は送れないが、しかしそれを返せるだけの所得がないことを鑑みれば、賃金水準の向上は必要不可欠であるといえる。
 しかしより効果的なのは、今の教育無償化法のような、学生をむしろ困窮に陥らせる政策に対して制度を早急に見直すよう早急に働きかけをしてもらうことである。学生にいきなり、このような政策が周知されたとしても、学生が何か直接訴えかけることは困難であろう。連合寄付講座の受講生は連合が政策に対して訴えかける重要性を知ったことで、このような政策に連合がメスを入れてくれることを期待していることから、周知するだけでも意味がある。また、この法律が本格的に始まるということは、救われない中間層の学生が相次いで出てくると考えられる。2020年4月に間に合わなくとも、これを止められるのは連合のような団体だけではないだろうか。

(3)労働組合(単組)に期待したい取り組み

 全国の労働組合(単組)は、日々団体交渉等により賃金の向上は企業に訴えかけていることと思う。それは継続して今後も頑張って取り組んでもらいたいと考える。
 しかし、奨学金問題を解決するにあたり、労働組合にしかできない取り組みがあると考える。それは、労働組合が奨学金制度を労働者に対して独自に実施すること、そして企業に労働者に対する奨学金の支援を拡充するような交渉をしてもらう、ということである。労働組合が労働者に対して独自に奨学金制度を実施することで、組合員の奨学生が支援されるだけではなく、そのような仕組みは労働者にとって恩恵を直接感じやすい制度である。それはひいては、労働組合が現在抱えている「若者の組合離れ」という問題にも一石を投じるものではないだろうか。また、奨学金制度の団体交渉については、奨学生は企業に対して奨学金制度を拡充してくれと入社もしていないのに声をあげるのは中々難しいのではないか。そこで、労働組合が企業に対して奨学生の労働者の奨学金返済を肩代わりする制度を拡充するよう団体交渉すれば、組合員となった奨学生が救済されるだけではなく、若い組合員が増え組合の強化につながるのではないかと考える。また、それを受けて企業が奨学金制度を拡充させれば、企業の人材確保アピールにもつなげられる。企業、労働組合、労働者(組合員)の三者に恩恵をもたらすことのできる制度が生まれると考える。やや理想論かもしれないが、労働組合にはこのような取り組みを期待したい。

5.おわりに

 以上より、私は連合には賃金水準の全国的な向上の訴えと教育無償化法のような政策に対しての働きかけを、労働組合には独自の奨学金制度の実施と企業に奨学金の支援を拡充するよう団体交渉することを取り組んでもらいたいと考える。
 私は大学生として日々学問を学び研究に励んでいるが、到底裕福とはいえない状況であり、多額の奨学金を借りながら大学独自の授業料減免制度を利用してなんとか生活をやりくりしている。また、父が昨年度いっぱいで定年退職後再雇用となり、賃金が大幅に下がったため、ますます生活は苦しい。私は大学院に進学し、労働問題について労働法学の観点からもっと学び研究したいと考えているが、現在SNSやインターネットでは大学院生の支援が無くなるのではないかという情報が飛び交っている。この情報の真相は分からないが、学生の学ぶ機会が脅かされていることは明白であり、私自身も、進学しても経済的に生活を継続できるかどうかの不安と隣り合わせである。学生の学ぶ機会が失われることは、将来へつながる知的財産の喪失でもあり、若者が政治や政策といった社会の問題について思考を停止させてしまうことにもなりかねない。学生の学ぶ機会が金銭的な理由で失われることはあってはならないのである。連合と労働組合は、学生からの期待が高まっているうえ、その期待に応える取り組みを行うことができる。連合や労働組合には、奨学金問題で悩む学生がいなくなるよう、取り組みを進めてもらいたいと考える。
 私のこの提言が、未来を私たちの手で変える一つの参考となり、連合や労働組合が奨学金問題について取り組む一つの手がかりとなれば幸いである。


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