私の提言

佳作賞

高齢者労働運動を進めよう

原 均
(年金受給者団体職員)

 誕生日に娘から赤いポロシャツをプレゼントされた。チャンチャンコの代わりである。私は還暦を迎えた。
 勤務先では定年を通告された。組合もない零細職場で、役員6~7人が私を取り囲むようにして、その後の再雇用の条件について「話し合い」が持たれた。
 私は50歳を過ぎて失業した後、誘われてこの職場に居ついた。もとより低賃金は覚悟の上だったが、ワーキングプア寸前の薄給で、おまけにいくら成果をあげても召し上げられて報われないので、ささやかな賃上げ要求を試みた。するとあっさり解雇された。私は労働審判を申し立て、解雇は撤回された。
 解雇撤回後も薄給に変わりはなく、私はダブルワークでしのぐようになった。昨年、役員たちは私に「あなたは来年で定年になる。その後は再雇用しません」と通告してきた。私が「高齢者雇用安定法で、年金受給年齢まで雇用しなければならないことになっていますよ」と言うと、役員たちは初めて聞いた話のようで、再雇用は経営の裁量だなどの主張を繰り返したが、少し検討することになった。解雇問題の労働審判で不法行為を指摘されたため、違法と言われて少々身が引いたようだ。
 1年後、私の誕生日の1ヵ月前に冒頭の「話し合い」が設定された。私ひとりを取り囲むのは明らかにパワハラなのだが、本人たちはその言葉も知らないだろう。
 それでも今度は雇用継続義務を承知した上で、再雇用の条件は双方の合意によるという知識を持って臨んできた。そして開口一番「定年退職してもらいます。その後は時給制で再雇用します。時給は800円です」と言ってきた。私はあっけにとられ、こう言った。「当県最低賃金は時間額818円ですよ。800円じゃ法律違反になってしまう」。すると役員のひとりはこう反論してきた。「そんなことはない。時給800円以下の会社を私はたくさん知っている」!
 そんなことは大きな声で言わないほうがいいよ、と言いたくなるのを我慢して、私は最低賃金について説明した。しばらくして、これは違法になるようだと考え始めた別な役員が「それでは法律通りにしましょう」と言った。私は最賃額が生活保護以下の水準なので近年は大幅上積みを繰り返しており、今年も10円以上引き上げられる可能性があることなどを述べた(事実、その後、当県は18円引き上げの答申が発表された)。それを見越して最終的に時給850円ということになった。こうして、まことにささやかな私の「賃金交渉」は「妥結」した。

 もとよりこれでは生活できないから私はダブルワークを続けるとともに、雇用保険の高齢者雇用継続給付金を申請した。通常は会社が手続きをするのだが、ここでは誰も理解できず申請したことがないので、私は休暇を取り、自分でハローワークへ行って手続きした。ハローワークの担当者は私を事業主だと思ったらしいが、被保険者だとわかり、用紙を差し替えた。私が尋ねたら、担当者は「被保険者がご自分で手続きされるのは、私が担当して以来、お宅様が初めてです」と答えた。
 同じような話で、私は以前、「中小企業退職金共済(中退共)に加入すれば国の援助が得られる」と提言したことがあるが、役員たちは意味がわからなかったようで黙殺された。私にとっては中退共だろうが社内積立だろうが額が同じであればどちらでも良いのでそれ以上は言及しなかった。
 ところで、新たな労働契約書を交わすとき、私は有給休暇の欄に「無」と記載されていることに気がつき、指摘した。すると役員たちは「退職するのだから残した有給休暇はなくなる。今後は時給制だから年休はない」と言い放った。私が「定年後も間断なく働くのだから年休は繰越されるし、新たにも発生する」と言っても、通じない。参考に「パートタイマーだって年休が保障されている」と言ったら、「おれは何百人もパートを雇っていたが、そんな話は初めて聞いた」と反論してきた。バカバカしいので「労働基準監督署へ行って聞いてください」と話し、その結果に基づいて契約書を交わすことになった。後日、担当者が労基署へ行き、結論は言うまでもなく私の指摘通りになった。役員たちは憮然としたようである。
 一事が万事。ここでは法律を守らせるだけで膨大なエネルギーを必要とする。労使関係が安定していて労組がしっかりしている職場では信じられないやりとりが続く。そして、ここだけが特殊な無法職場だというわけではなく、同様の実態はどこにでもある。多くの中小零細企業で無数の労働者が退職を繰り返すのは、こういう要素が大きい。安心して働けないのだ。私は私の知識を基に対応するが、どうしてよいかわからない労働者は辞めるか、労働基準以下の違法な条件を甘受するしかない。
 私を取り囲んだ役員たちが会社勤めをしたことがない叩き上げならば、私も感情的にはやむを得ないと思うかもしれない。しかし、彼らはいずれも名だたる企業の中間管理職を経た人たちである。なかには労組役員を務めたことがあると語る者もいる。こういう人たちがこれまでの企業社会を運営してきたのだと思うと暗然とするし、軋轢(あつれき)の絶えない日本の職場風土を作ってきた彼らの責任は大きい。

 誕生日を過ぎて、私は在職老齢年金の給付を申請した。
 受取口座を労金に指定し、労金支店へ行って年金機構提出用の書類にその証明を求めた。事務的な作業が済むと窓口の職員は儀礼的な謝辞とともに、年金受給者向けの定期預金の宣伝チラシを1枚くれて終わった。
 やや拍子抜けの感じがした。労組の組合員でも退職後の年金受取口座に労金を指定する人はそれほど多くないと聞いていたので、私のように組合員ではない「一般勤労者」は労金にとって顧客拡大の可能性があるから、それなりに重宝されるかもしれないと想像していたのだ。退職者による「ろうきん友の会」の紹介もなかった。地元の信用金庫を指定するといろんなサービスがあるとも聞いているので、「もっと店舗の多い金融機関を指定したほうが便利で良かったかな」と考えながら帰路についた。
 私が還暦を迎えた前後は、こんなあわただしさの中で過ぎた。しっかりした会社や労組に属していれば、さまざまな手続きの代行をしてもらい、便宜を受け、定年後の生き方・働き方のレクチャーや相談も受けられたであろうが、そうでない私は労働環境の変化を自分で処理し、とりあえず切り抜けた。
 同じころ、ふたつの文書を身につまされる思いを持って読んだ。ひとつは厚生労働省「今後の高齢者雇用に関する研究会報告」(2011年6月。以下「研究会報告」という)とこれに対する日本経団連意見書であり、もうひとつは連合「『働くことを軸とする安心社会』に向けて」(2010年12月。以下「連合提言」という)である。
 このうち連合提言は包括的なビジョンであり、この文書が決定された3カ月後に東日本大震災があり、その経験を踏まえつつある今となっては力点の強弱や表現の不十分性を感じる部分がある。しかし、それは別なかたちで補強されるであろう。そのことを前提に、これらの文書の感想を語ってみる。

 研究会報告はマクロの観点から高齢者雇用に向き合っており、おおむね納得できた。
 じつは読んで面白かったのは、むしろこの研究会報告に対する日本経団連のあけすけな意見書「今後の高齢者雇用のあり方について」(2011年7月)である。
 その意見書によると、企業に高齢者雇用を求めるのは「本来不要な業務を作り出してまで、高齢者雇用を強いることになる」そうだ。この論理では、たとえば障害者や女性の雇用も「本来不要な業務を作り」出していることになり、企業にとって必要な人材は元気な男性健常者だけで良いということになる。まして、若者の就職難が高齢者雇用のせいであるかのような主張は、研究会報告がドイツやフランスの例をもって否定していることに反論もしていない(できない)。
 そして一律規制ではなく、「個別企業における労使の取り組みの自主性が最大限、尊重されるような対応が求められる」と語っている。しかし、私のように法律を守らせるだけで苦労する職場で、「労使の自主性」で何が解決するのか。それについて意見書は「過半数組合がない場合の手続きの相当性や、必要以上に選別的な基準を防ぐための工夫などについては検討を深めていくこともありえよう」と短くコメントしているだけだが、労組の組織率が20%にも達していない以上、これこそ最も真剣に対策をたてなければならないはずである。
 日本経団連の最大のクレームは、研究会報告が「希望者全員の65歳までの継続雇用」を求め、高齢者の継続雇用の基準について「過渡的な措置であるものとして、廃止するべきである」と断言していることだ。意見書は「必要以上に選別的な機能を有している実態にない」から基準を残せと主張し、この基準を廃止するとこれを目標とする労働者の努力に水を差すとまで言っている。しかし、その基準や判断が事実上経営側のフリーハンドになっていることが問題であり、だから研究会報告に関する連合の「基準制度は廃止するべき、との方向性を示したことは評価できる」という事務局長談話に私も賛同する。
 確かに全体的には60歳代の雇用継続は前進しており、これまでの常識で言えば困難と思われた人も差別されずに雇用される傾向にある。それでもそれはまだ大手企業や公務職場などのできごとであり、私の例を含めて多くの中小零細企業では恣意的な運用が後を絶たない。日本経団連は「労使自治」という言葉を万能薬のように使うが、連合はそんな空念仏に遠慮することなく、継続雇用の基準制度廃止に向けて力を尽くしてほしい。その姿勢がきちんと伝われば、連合は圧倒的多数の高齢労働者から大きな支持を得られるであろう。

 研究会報告にあるとおり、これまでも定年と年金受給年齢の接続は重要課題だったが、受給年齢の引き上げが始まるにあたり、いよいよ待ったなしになる。したがって定年引き上げや雇用延長が求められるが、現状は連合提言にあるとおり、「わが国の高齢者の就労率は高いが、やりがいのある仕事に就いていると答える高齢者は少ない」。
 やりがいとは何か? 私の知人を見ると、定年前の早期退職制度に応募したり、雇用延長を望まないで定年と同時に退職する人が意外に多い。理由は肉体的に仕事をきつく感じるようになったこともあるが、雇用延長で賃金が大幅にダウンすることに納得できないという声が少なくない。収入が下がるとしても、軽作業に変更になったり勤務時間が短くなって収入が減少する場合はまだ理解できるが、私を含めて事実上これまでと同じ内容と時間の仕事をしているのに収入だけ引き下げられるのは、同一価値労働同一賃金の原則を語るまでもなく、おかしい。プライドとモチベーションにかかわる、すなわち「やりがい」の問題である。それにもかかわらず、この事実を前提に成り立っている職場は少なくない。
 このままでは年金受給年齢の引き上げにともない、不本意な就労を余儀なくされる労働者が増えるだろう。昨今、若者が不本意な就労のために離職率が高い事実が注目されるが、高齢者の場合は不本意であっても離職するわけにはいかない事情の人も多いし、離職しても定年退職と同じ扱いにされてしまい、数字には表れにくい。
 したがって、多くの有力労組が定年後の継続雇用労働者を組合員として継続し、加齢に伴う個人差を踏まえた柔軟な労働内容に見直し、賃金と公的年金と企業年金などをセットにした必要生計費を設定して要求するという道筋は正しい。その場合の大前提は、本人の納得できる協議の場の確保である。不承不承でも了解したポーズを示さざるを得ない実態にならないように、特段の配慮が求められる。
 しかし、これだけでは企業内の互助の域を出ない。定年を前後して様々な理由から離職した人たちの処遇はどうすれば良いのか?
 着目点は2つある。
 ひとつは、連合提言で語られている「高齢者が蓄積してきた知識や技能や経験を活かす」対応が可能かという問題である。企業内の雇用延長であればこの要求は成り立つが、離職するとこれらの経験の多くはリセットされる。若干の資格は生きるが、それですべてを賄うことは困難だ。さらに、技術革新や職場のシステムは日進月歩で、これまでの知識や経験はたちまち陳腐化する。「知識や技能や経験」が生きる場面もあるが、それを中心に掲げた就労支援が妥当かどうかは一考の余地があると思われる。
 むしろ私が見た限りで尊敬できる高齢者は、現職時代のことは語らず、新しい課題にチャレンジし、求められる仕事を遂げようと努めるタイプである。高齢者の就労支援は、無理を強いらない配慮を保ちながら、その視点にたって進める必要があるのではないか? 企業にとってはこれに投資するのはためらいがあるかもしれないが、意外な即戦力になる可能性を追求したい。
 もうひとつは、離職すれば組合員でなくなる現実である。とくに中小零細企業になるほど労組が存在しない現状にあって、高齢者が新しい職場で組合員になる確率は極めて低い。また、正社員として採用されるよりも、有期の雇用契約とその更新が多い。したがって、高齢者雇用の問題は同時に未組織・非正規労働者の問題である。
 であれば、そのための環境整備を図るべきだが、これは意外に難しい。かつて全日自労(全日本自由労働組合)が失対事業に替わる受け皿として高齢者事業団を各地に作り、一定の成功をおさめたが、現状の同事業団はビルメン企業のひとつになっている観がある。あるいは、法律で唯一労組に認められている労働者供給事業も、実際に行っている労組は少ない。それどころか、労組のある企業では高齢者の就業率が低いというショッキングな指摘まである。(*)
 どうすれば良いのか? 企業別労組がこの課題を担うのは難しい。連合や産別組織や地域組織が立ち向かうことが求められる。

 これに関連するのが、労組の退職者組織のあり方である。
 連合の構成組織のほとんどに退職者組織があり、これをまとめて退職者連合があり、それぞれ中央・地方で余暇活動や社会見学や政策要求や選挙などで大きな力を発揮していることを私も承知している。ただし、これはあくまでも企業別の退職者組織であり、その連合体である。連合構成組織に在籍したことがない者(私も)あるいは企業閉鎖や中途退職などで定着できなかった者は基本的には参加できない。退職者連合の役員は各産別のバランスで選出され、現職時代と同じ産別組織名で紹介される。そこでは現職時代と同じヒエラルヒーが続いているように見える。したがって「退職したら、元は社長でも平社員でも大企業でも中小企業でも関係なくて、みんな同等だ」という言い方は、ここでは通用しづらい。もともと高齢者問題は産別ではなく、地域において実践される。産別退職者組織は元組合員の結集軸にはなるが、運動体として有効であるかどうか。
 退職者組織は年金や医療の陳情活動などに熱心だが、今はそれだけでなく、先述した高齢者雇用と高齢者労働問題に正面から立ち向かうときではないだろうか? 未組織高齢者の相談先としては地域ユニオンなどがあるが、それとともに退職者組織のほうが課題や世代的に相談しやすいというケースも少なくないと思われる。連合が「すべての労働者を視野に入れた」活動を提起していることに習って表現するならば、退職者連合は「すべての退職者を視野に入れた」活動(組織化)を展望してほしい。
 実際、現職のときは熱心な組合役員だったが、再就職するとすっかりおとなしくなり、職場の不法や不条理にも黙りこむ人がいる。今までの職場とは違うという考えに支配されるとともに、老後の数年間のために立ちあがる気持ちにならないということのようだ。それを現職世代は冷ややかに見ている。仕事ではなく、働く者の立場については、それこそ「蓄積してきた知識や技能や経験を活かす」ことが大切ではないか。

 こうした地域における退職者組織を支え、高齢者労働問題に関わるのは連合地協である。だから、連合提言が「地域で顔の見える労働運動」としてとりあげたことを高く評価するし、内容も首肯できる。
 問題は「地域協議会の役割の期待はますます高まっており、さらなる強化を図っていかなければならない」という結論をどのように達成していくかである。
 私の地元の連合地協はかなり以前に専従者を配置し、多くの取り組みを進めてきた。だが実直に言えば、専従者は選挙とイベントに忙殺されていた。地協はいくつかの自治体をエリアにしており、それぞれの自治体の首長や議員選挙が別々な時期にあり、国政や県政を含めると毎年選挙に追いまくられていた。これにメーデーや労福協などの活動が加わると、業務量は限界である。連合提言にある「正規・非正規労働者を問わず組織化を進め、労働相談や労使解決の取り組みや労働組合支援」を私は見たことがない。なんとかしようとして地域ユニオンの雛型を作ったが、絵に描いた餅に終わった。全国には先進的な地協があることを私も聞いているが、むしろ概ねこれが地協の平均的な姿ではないだろうか?
 なぜそうなるのか? 概して大手組合が地協に求めるものは選挙対策であり、自治体への政策要求などが中心である。一方、組織化とか争議支援は選挙のように目に見える結果がすぐ現れるわけではないので、後回しにされやすい。だが、この体質を改善しなければ、連合地協は増え続ける未組織労働者などの受け皿にはなりにくい。いくつかの産別組織では組織化担当者は選挙活動から外して労組結成に専念させていると聞いたが、連合地協も同様に検討されて良いと思う。さらに、未組織労働者からの相談や交渉などのノウハウを持つ経験者が地協レベルでほとんどいなくなっている現実にあわせて、役員の訓練も必要だろう。
 高齢者労働問題に際して、もうひとつ役割を求めたいのは、多くの自治体に存在する中小企業勤労者福祉サービスセンターである。この団体は厚生労働省の音頭で、福利厚生に恵まれない中小企業労働者に様々なサービスを提供している。事業の内容は施設やイベントの料金割引などが中心だが、これに先述した中退共や高齢者雇用継続給付金制度の事業などを任せられないだろうか? さらに、たとえば雇用保険の基本手当給付手続きを代行できるようになれば、その信頼は飛躍的に増すであろう。当然、これらを扱うためには法制度の改正が必要になるが、せめてそこに至る前の運用の工夫を真剣に検討してほしい。中小企業勤労者福祉サービスセンターはその設立や運営に連合地協が関わっていることも多いが、専らお任せで、地協の活動の幅を広げるために活用している例はあまりないようである。もったいないと言うほかない。

 私の経験を顧みても、ハローワークや年金事務所や労金や裁判所などを渡り歩くのは大変である。県の労政事務所に相談したら「それはハローワークに聞いてください」とタライ回しにされたり、労基署へ行くと「違法かどうか微妙な問題は裁判で結論を出してもらってほしい」と平然と言われたこともある。これらの課題を一元的に地域で対応する受け皿があれば良いと思う。労組による地域のワンストップサービスという言葉だけはあるが、実態は極めて心もとない。連合が本気でそれを主導することを期待している。

(*)山田篤裕慶應義塾大学准教授「高齢者就業率の規定要因」(2010年3月。独立行政法人 労働政策研究・研修機構)

以上


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