『私の提言』連合論文募集

第5回入賞論文集
佳作賞

日々雇用の民間需給調整事業の元祖
労働組合による労働者供給事業法の制定を!

太田 武二
(新産別運転者労働組合東京地方本部書記長)

1、はじめに
 日雇い派遣に対する原則禁止や派遣そのものの法的規制強化や禁止を求める動きが、連合を初め多くの労働組合から各政党まで大きく広がっている。秋葉原や八王子で起こった無差別殺傷事件の犯人が、若い派遣労働者だったことをきっかけに政府与党、厚労省も重い腰を上げ、秋の臨時国会に派遣法の改正機運が一気に高まった。
 その一方、違法派遣を繰りかえしたグッドウイルは、職業安定法(略、職安法)違反で刑事処分を受け、トカゲの尻尾切りよろしく8月1日から派遣事業を廃業した。
 しかし、この動きが、登録型派遣労働者約200万人、日雇い派遣労働者数万人にも上ると言われる労働者の貧困、不安定、無保険という諸々の問題解決の端緒になるかと言えば、何とも心もとない限りである。実際、グッドウイルの廃業を受けて解雇された社員と派遣労働者の多くは同業他社へと移っていったという。問題はこうした現実をもたらした諸要因を取り除き、人間の尊厳を大事にし合う社会・労働関係をどう作り直していくかが緊急の課題として私達に問われているのだと思う。
 私は、来年の春、結成50周年を迎える新運転という労働者供給事業(略称、労供事業)を行う労働組合に30年近く在籍している者として、今こそ、日雇い派遣や非正規労働者の諸問題解決の一助として、派遣法の下で埋もれていた労働力の需給調整事業の原石のような古くて新しい制度を研き直す法制化運動を提案したい。

2、労働組合による労供事業とは
 職安法は、第44条で労供事業を禁止している。この労供事業とは、いわゆる三角雇用とか間接雇用を生業とすることで、これが禁止されたのは、人の労働は商品ではないという国際的な原則と戦前の封建的、前近代的な労働慣行の温床となっていたいわゆる「組」によるタコ部屋、暴力支配、賃金のピンハネ、強制労働を排除するためだった。その一方で、職安法の第45条で労働大臣(現在は厚生労働大臣)の許可を受けた労働組合が無料で行う場合に限って例外として認めたのである。つまり戦前から幅を利かせていた「組」の前後に「労働」と「愛=合」を付けた「労働組合」にのみ、労働力の需給調整機関としての三角雇用、間接雇用を認めたといえる。
 このことは、職安法制定当時の日本が敗戦直後の食糧難と高失業、ハイパーインフレという混乱状態にあったこととGHQ(連合軍)民生局の支配下にあって、憲法を頂点に戦後日本社会の民主改革の時代だったことを合わせて考えると、戦後の労働運動の基点として実は非常に大きな位置を占めていたはずだったと私は考えている。つまり、労働組合の行う労供事業は、公共職業安定機関などの行う職業紹介と相携えて、労働者の職業の安定と自由(強制労働の禁止)、中間搾取の禁止を実現することに加えて、労働と社会全体の民主化を促進する主要な担い手として位置づけられていたということである。
 実際、職安法が制定された1947年の第一回衆議院本会議の議事録に、①従来の供給事業所属の労働者の常傭化を図るよう指導すること。②労働者をして自主的に労働組合を結成せしめ、その組合に無料の労働者供給の機能を果さしめること。③公共職業安定所を充実強化して十分その機能を発揮させ、従来の供給事業者の営んだ機能に代わらしめるよう努めるべきことという政府答弁が残っている。要するに、労供事業を行う労働組合(労供労組)は、戦後の混乱期の失業問題の解決と未組織労働者を組織化する三本柱の一つだったのである。こうして直接企業に雇用されない労働者が自主的に労働組合を組織し、個人ではなく組織集団の力を背景に多くの会社と労働協約を結び、その組合員はどこの企業で働いても同一労働、同一賃金の均等待遇を得ることが出来ることが法的に明記されていたのである。これこそ欧米型の職能別労働組合というものであり、当時のGHQ民生局が戦後日本社会の民主化の一環として潜り込ませたのではないかと私は考えている。
 しかし、職安法制定以降の政府が行ってきたことは、③の公共職業安定所を各地域に作ったぐらいで、肝心の②については、法治国家として当然のやるべきこととして労働者派遣法を作ったように労働組合の事業内容や事業主としての必要事項などを法律によって推進せずに省令という形でお茶を濁し、結局、戦後日本の企業社会の特徴である終身雇用、年功序列賃金、企業内組合の三本柱が定着したのである。そして、①については、いわゆる偽装直雇用や請負という形で戦前からの「組」を延命させたに過ぎなかったといえる。

3、結成50周年を前にした新運転とは。
 新運転は、正式名称を新産別運転者労働組合といい、1959年に僅か数人のタクシー運転手が集まって新産別に加入し、労供事業の許可を受けた労働組合である。結成当初から多くのタクシー会社と一日当たりの営業収入に対する高い歩率の労働協約を締結し、高度成長期の人手不足と相俟って急テンポで組織拡大を実現した。当時のタクシー組合員は、個別企業に就職することなく、労働条件の良い職場を選択する自由があった。つまり日雇い運転手として人手不足、売り手市場の中で高い賃金、労働条件を謳歌したものだった。
 しかしその後、出る杭は打たれるという諺どおり、急激に勢力を伸ばしていた新運転に対してマスコミを使った反日雇いタクシー運転手キャンペーンが吹き荒れた。曰く「事故多発、無謀運転、乗車拒否などの雲助タクシーの元凶は、日雇い運転手」ということで、1962年に運輸省令の改正によって組合員は一つのタクシー会社に選任運転手として固定的に雇用されない限りタクシー運転が出来なくなったのである。その結果、タクシー組合員の企業内への囲い込みが進み、新運転からの離脱、減少という事態が進行した。
 但し、当時の闘いの中で、労働大臣の許可を受けた労供労組に所属する日々雇用の組合員と個人の日雇い運転手を同列に論じるものではないという政府見解に沿って、同じく日雇い運転手を禁止している貨物運送については、新運転の組合員には適用しないとの確認がなされたのである。
 その確認を受けて、組合員の激減という組織の危機を乗り越えるために生コン、清掃、一般トラックの中小企業との新たな労供契約の拡大が行われた。そして、仕事量の繁閑の差が大きい運輸関係の中でも正規職員を余分に採用出来ない中小企業を労供先として、新運転は日々の労働力需給調整の本領を発揮してきた。そうした中で新運転の組合員は、職能別労働組合に所属する日々雇用運転手として相対的に高い賃金と労働時間他の労働条件を確保して働いてきたのである。
 しかし、1990年代半ばのバブル崩壊後には、それまで多くあった生コン輸送や一般トラック関係の労供先事業所が、輸送運賃の低下と排気ガス対策での車両、燃料コスト高の中で、新運転の高い賃金、労働条件に対応することが出来なくなり、低賃金、長時間労働で使えるアルバイトや請負、パート、派遣労働者への切り替えに走らざるを得ないという状況に追い込まれてきた。とりわけ昨年来の建設不況と燃料高騰の煽りを受けた生コン輸送業界への労供は、いわゆるアブレ手当てを受給する権利を確保できないほど激減している。そうした90年代以降の状況の中で、東京段階では労供先の殆どが公共清掃事業に関わる業者に特化しているという現実がある。
 こうした50年近い歴史の中で、新運転の組織状況は、日本社会全体の経済状況を反映して増減を繰り返してきた。そして、中小企業に働く労働者と非正規労働者の文字通り労働力の需給調整事業を下支えしてきたといえる。それだけに、前述した政府行政機関との確認がきちんと文書化されていないことや何といっても労供組合所属の日雇い労働者と個人としての日雇い労働者の違いが法律で明記されていないことから生じる制度の基本的問題が間欠泉のように時々表面化するのである。

4、派遣法の根本的な問題とは、
 厚労省の2006年度労働者派遣事業報告によれば、派遣労働者数は321万人(登録、日雇い型を含む)、派遣事業者数は4万2千弱に上っているのに対して、労供組合の数は百足らずで組合員数は1万人に満たない。こうした桁違いの格差を生み出した主な原因は、原則禁止、労働組合のみ例外OKという職安法で規制されていた労供事業が、1985年の派遣法制定によって合法化されたからである。
 悪法も法なりだ。まして派遣先企業にとって使い勝手、使い捨て放題という労供事業が合法化されたわけで、当初は例外的、臨時的な専門性の高い職種に限定していたものが、規制緩和の下で次から次へと改悪されてきたことは周知の通り。2008年度に発表された東京労働局の資料によると、2006年度の東京における一般派遣料金は、8時間換算で18822円に対して、賃金は12953円となっている。つまり平均約30%が経費となっているのである。この差額の5869円には、通常の会社であれば、社会労働保険などの法定福利費の事業所負担分が14%弱、約2635円。労働者が使う食堂、トイレ、作業着、ロッカーなどの必要経費の実費分を差し引いて利益を出すことになる。
 しかし、日雇い派遣でぼろ儲けをしていたグッドウイルやフルキャストの場合は、派遣契約では一定の有期契約の中に必要とされる福利厚生費や諸経費を潜り込ませながら、ネット上で登録させた数万人もの登録・日雇い型労働者を日々契約で派遣していたという。しかも、社会労働保険をかけずに、作業着も使用料を取り、トイレ、ロッカーなどの設備費の事業者負担を限りなくゼロに近づけて40から50%純益とするやり方がまかり通っていたのである。更に、その賃金から事務手数料などの名目で200円ないし300円を取っていたというのだから、まさに濡れ手に泡の日銭が入る構造になっていたのである。
 これでは戦前の「組」やたこ部屋以上の悪どい搾取だとして禁止されても当然である。というのは、多くの問題を抱えていた戦前の「組」でも、仕事のないときには組員に小遣いを渡して生活の面倒を見なければならなかったという。また、法律的にも戦前の工場法などでは、請負や労務供給であっても事故や労災などについては就労先の事業所に使用者責任を負わせていたのである。
 要するに、改めて派遣法の根本的な問題を整理すると日雇いも含めた間接雇用の需要が、戦前から今日まで、更に未来においても根強く存在する中で、労働者保護の基本に立った法律になっていないということである。つまり、派遣元の雇用する側に社会労働保険を含めた派遣労働者のセイフティーネットをきっちりと負わせていない。そして派遣先の使用する側に使用者責任としての事故、労災補償などの義務付けがされていない。そうした雇用者と使用者の労働者に対する無いない尽くしの無責任体制が、双方の利益第一主義と相まって、多くの低賃金、不安定、無保険という日雇い派遣労働者を生み出し、使い捨てにしてきたということである。

5、労働行政と労供組合による派遣事業
 しかも問題なのは、そうした中小企業の需給調整役としてわれわれと日常的にも連携をとってきた職業安定所の労働出張所が行財政改革の下で整理統合され、大幅に削減されてきたことである。過去3年間で、労働基準監督署の廃止箇所は15箇所、労働出張所、分室を含む職業安定所に至っては57箇所にも上り、更に今年度にも監督署が1箇所、職安は43箇所も廃止されるのである。因みに、東京では過去10年間で、10以上の労働出張所が廃止され、今では三多摩に1箇所と23区には4箇所しか残っていないのである。こうした労働行政の縮小に反比例する形で、派遣法の規制緩和が推し進められると供に違法派遣、偽装請負などが勢いを増してきていたのが問題なのだ。
 そうした中で、連合としても派遣業界で働く労働者の賃金と労働条件の改善と派遣業界の浄化と民主化を労働組合のイニシアティブで改善させるという鳴り物入りで派遣事業体「ワークネット」を立ち上げた。この運動は、民間の営利企業が跳梁跋扈し、労働者保護を主軸にその暴走を規制する役割の労働行政が弱体化される中で、社会的に労働組合の存在価値をアピールする衝撃力を持っていたと私は大いに評価している。
 また一方では同じ時期に、労供労組が結集する協議体(労働者供給事業関連労働組合協議会=労供労組協)が、1999年の派遣法の規制緩和の中で、労供労組自らが派遣事業体を立上げ、擬制的に事業主性を獲得する「供給・派遣」を厚生労働省に認めさせた。その後、労供労組協が初の派遣事業体「企業組合スタッフフォーラム」を設立し、われわれもが「有限会社タブレット」を立ち上げて、民間派遣会社との競争の中で非正規、未組織労働者の組織化と賃金アップ、就労確保と社会労働保険適用において一定の成果を挙げてきた。それは、事業主制の暫定的な擬制適用とはいえ、無いない尽くしの登録・日雇い型派遣の業界に、労供労組の優位性をもって参入し、在るある尽くしの労供事業への転換を促すものと位置づけての取り組みだった。
 しかし、その「供給・派遣」事業の現実は、われわれが意図した労供労組の事業としてではなく、飽くまでも派遣法の適用を受ける派遣事業体をバイパスするという形になっているために、現実には三角、間接雇用から更に一つの事業体が関わる形にしかならなかった。この場合、起点となる事業体が労供労組ということで違法な二重派遣にはならないが、供給労働者と派遣労働者の本質的な違いから来る法規制が付きまとうことになった。
 例えば、労働者保護の観点から派遣法では規制される期間制限について、日々雇用を原則とする職能別労働組合に所属する労働者の場合、結果的に長期間同一事業所に供給されても、その労働者の利益に叶うものとなっている。実際、労供組合員の場合は、他の事業所への就労と日雇い雇用保険、日雇い健康保険の適用によって、生活の保障が確保されているからだ。また、事業体を通して就労することによって、日雇いから常用雇用へと移り、日雇いではかけられなかった一般雇用保険や健康保険に加えて厚生年金保険をかけることが出来るようになっても、長年組合員だった労働者は殆どその選択をしないという現実がある。
 いずれにしても、法治国家である以上、この労働組合による派遣事業の進捗を図るためには、根幹にある労供労組による労供事業法の中の一部例外条文として入れるべきだろう。

6、派遣法から労供事業法の制定へ
 折りしも派遣法が制定された年は、戦後日本型経済の根本的な転換となったプラザ合意による円高・ドル安体制が始まり、男女雇用機会均等法が成立し、電信電話公社専売公社が実際に民営化され、国鉄の分割民営化が決まった年だった。その後の日本社会に蔓延してきたのが、価格破壊から始まって国と地方の行財政、社会保障、医療、環境、雇用破壊と続き、日本的な本物の良さが失われた偽装社会に陥り、とうとう人間破壊のどん詰まりまで追い込まれて来たというのが、昨今の状況ではないだろうか。
 今まさに派遣業に止まらず日本社会のあらゆる点で本物の復権、再生がわれわれに求められている。従って、日雇い労働の需要と供給に対して、全てを直雇用で対応することや労働行政の再生、復権も現実的ではない中で、もう一度戦後の職安法に立ち戻り、三本柱の残った一つである労働組合による労供事業に焦点を当てるべきである。そして、労供労組に対して事業主性の例外適用を法律で定めるべきだと声を大にして主張したいのである。
 その場合、供給元の労働組合が供給労働者にとって労働契約上の使用者であるならば、労働基準法、労働安全衛生法、労働・社会保険法などに基づく使用者責任を負担しなければならないという議論がある。しかし、これでは名ばかり労働組合で一般企業と何ら変わらなくなってしまい、戦前から戦後の歴史と現実の中で期待された労働組合による労供事業という職能別労働組合の意味が全く無くなってしまう。
 そこでもう一度戦後の原点に立ち戻って再生の可能性を探る必要がある。例えば、職業安定法が制定されてから2年後に雇用保険法が改正され、日雇い雇用保険制度が発足している。その時の理由は、戦前型の労供事業では仕事にあぶれた日雇労働者は、労働ボスによって生活の保障を受けていたが、戦後労供事業の禁止によってその保障を失うので、それに代わる保障が必要だったという。そして、労働組合による労供事業によって供給された日雇労働者への日雇い失業保険の適用について、たとえ賃金を支払うのが供給元の労働組合であっても、供給先事業主を使用者として制度を適用せよという通達もあったという。
 一方、前述したように戦前においても使用者責任の分担が供給先事業所にも課せられていたことと合わせて考えれば、戦前のいい部分と戦後のいい部分を合体させることで、職能別組合としての事業主制と供給先事業所との関係の中で労働者保護をより充実させるべく、双方に事業主としての雇用責任を分かち合ってもらえば良いのではないかと思う。
 つまり、労働者保護の第一義的な生活保障という三法適用については労働組合が担当することとし、第二義的な就労先での使用者責任について供給先事業所が負うことにするのである。これは、派遣法以来の無いない尽くしのマイナスの歴史から戦後の起点に立ち戻ってする一発逆転の法律制定となるだろう。
   最近、実現性が富みに高まっている「協同労働の協同組合法」制定に遅ればせながら、「労働組合による労働者供給事業法」制定の狼煙を上げていきたい。


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