私の提言 連合論文募集

第2回入賞論文集
優秀賞

型破りの事業展開を!

太田 武二(労供労連・新運転東京地本・書記長)

1.私の組合は、そもそも型破り

 私は、新運転の組合員になって25年になる。「新運転?」領収書に書き入れてもらう時や電話や直接話して相手方に所属を説明する時、最初から了解してくれる人は殆どいない。「新しいに運転手の運転で、新運転。」と丁寧に、ゆっくり教えてあげて、何とか領収書になったりするが、電話や話での所属説明は中々難しい。「元々は新産別所属の労供事業をする労働組合なんです。」というと、「労供事業?」と更に訳が分からなくなるらしい。「正式名称は、新産別運転者労働組合といって設立から46年になり、職業安定法第45条で、唯一労働組合にだけ認められている労働者供給事業をしているんですよ。」なんて言おうものなら、殆どの相手は理解の限界を超えているという顔を見せてくれる。

 そうした迷路に迷い込んでしまった人に一番効く助け舟は、「つまり派遣事業の元祖みたいなことをしている労働組合なんです。」という説明。すると相手は途端に明るさを取り戻して、「派遣なんですか!」と一変するのだ。しかし、労供事業に人一倍誇りを持っていると自認している私は、「派遣事業は、戦後ずーっと違法だったんですよ。そもそも人が働いて得る賃金や利益を横取りして自分の利益にする労働者供給事業というのは、文字通りの搾取であり、卑しい人権侵害行為、犯罪だというのが、今の憲法の下での基本だったんです。その中で、私たちのような民主的な労働組合だけが例外的に労働者供給事業が出来る、ということでタクシー運転手が集まって、自主的に組織して作ったのが、新運転なんです。」と講釈めいた説明を始めると、折角チャンネルが繋がったと感じた相手の顔が、元の黙阿弥に戻ってしまうのだ。そして、「何処の会社の組合なんですか?」とくる。つまり、派遣事業と労供事業の違いという難しそうな法律関係から、一般的な理解しやすい話題への転換を求めてくるのだ。

 こうした対話は、私が新運転に加入した25年前から今日まで、基本的に変わることなく続いている現実である。つまり職業安定法の中では、本家本元、元祖老舗で、50年近く労供事業に取り組んでいる労働組合より、たかが20年しかたっていなくて相変わらず労働者の諸権利、賃金、労働条件で問題の多い派遣会社のほうが隆盛を極めているのも常識からすれば、型破りな現実かもしれない。

 それにしても、新運転の型破りさは半端ではない。連合はじめ日本の労働組合の殆どが企業別労働組合か企業に雇用されている労働者を対象にした個人加入の労働組合であるのに対して、私たちは、まず組合員になってから労供先の企業に日々の雇用契約で就労するのである。つまり、労働者自身の企業から独立した自主組織というのが新運転の原点なのだ。この企業と組合の逆転関係について説明すると、それだけで大変な労力と時間を要するので、ここではさらりと現実を述べるだけに留めたい。そして、この型破りが核となって、まさに八方破れならぬ核分裂的な自由自在の運動展開をして生き延びてきているのが、我が新運転なのだ。

2.新運転の運動展開

 そうした核分裂的な自由自在の運動展開のことを、私はプラススパイラル効果と表現している。要するに、デフレスパイラルという悪循環の反対を意味する一種の造語である。それは、一つのインパクトのある改革をきっかけにして、次から次へと相乗効果を生んでいく運動展開を意味している。

 その新運転は、企業から独立している労働組合なので定年制がない。70歳代の先輩たちは、生涯現役の気概でバリバリ働き続けている。当然、役員も凄い。92歳の顧問を筆頭に、74歳の統制委員長、中央本部委員長は70歳、東京地本委員長は65歳である。それも只年齢を重ねているのではなく、この厳しい状況に適応すべく組織財政改革、新規事業の立ち上げなどに辣腕を振るい先頭で組合員を引っ張ってきているのだ。

 まず隗から始めよという教えどおり、最初に大幅な組織財政改革の断行が行われた。それも約二年間に亘る大会論議を重ね、それから更に二年間の移行期間を経て、過去30年近く都内23区三多摩と横浜、千葉に8支部あった組織体制を4支部に半減させ、財政も各支部主体から本部に一元化し効率性を飛躍的に高めた大改革だった。

 そして、この「骨太の改革」の幹をしっかり打ち立て、屋台骨とすることをきっかけにプラススパイラルの道を切り拓いてきた。高齢者に仕事とロマンを、というキャッチフレーズを掲げ、高齢者等特別対策事業部を新たに立ち上げ、同時にタクシー部の一本化を果たした。また、40年近く自動車運転手の職能組合として労供事業に取り組んできた過去の誇りを押さえ込んで、賃金の安い清掃作業員の労供にも取り組んだ。その上に、所謂ホームレスと言われている労働者たちにも「準組合員」として労供事業で仕事ができる道を拓いた。その結果、過去4年間で、50人近くの労働者が準組合員として仲間に加わっている。但し、皆が社会復帰できたわけではなかった。途中で仲間の賃金を持ち逃げした人、久しぶりに金が入ったことでアル中生活に舞い戻り、仕事をポカした人、体力が続かなくて病院に入院する人など書き切れない人生があった。しかし、そうしたマイナスの経験を含めても、アパートを借りて自立し日雇雇用保険、健康保険の適用を受け、新運転の組合員になった労働者たちがいるという成果を今後も大事にしていきたい。更に、前述した組織財政改革というリストラの延長線上で生み出した財政的余力を、高齢組合員の仕事起こしと社会福祉事業に注ぎ込み、4年前に企業組合ロマン交通を設立した。そして、福祉タクシーから始めて早くも3年が経つ中で、今では介護事業、障害者支援事業へと展開し、民間救急輸送サービスにも挑戦しようと計画中である。

 また、厚生労働省が、労供組合に事業主性の擬制適用を認めた「供給・派遣」制度を利用し、2年前に有限会社タブレットを設立した。そして、一般労働者派遣事業に取り組み、既に40名近い組合員の供給・派遣を実施している。勿論これらの両事業とも非営利に徹している。そして、組合役員が両事業の役員も兼務することによって総人件費を低く抑え、その分組合員の賃金を高くしていることは言うまでもない。

 以上のように、過去5年から6年間の新運転は、社会情勢の急激な変化と時代の要請を見極めながら、試行錯誤を恐れずにプラススパイラル効果を求めて挑戦、悪戦苦闘し、従来の型を破って変身脱皮の渦中にあると言える。

3.型破り改革の困難さ

 こうした新運転の型破り運動の時期は、期せずして笹森連合会長就任以降の改革運動と重なり、また、小泉内閣成立移行のまやかし構造改革の時期とも重なっている。それは、日本の戦後社会の政治、経済、社会全体が、歴史の歩みを刻む中で溜め込んできた諸問題の解決を待ったなしで迫られていることの現われであろう。

 国と地方自治体、公益法人などの借金総額が1千兆円と言われ、それに国民個人全体の総借金額を加えると想像を絶する危機的な状況に日本は沈んでいる。一年間の自殺者が、過去6年間3万人を越え続けいることは、日本社会が公的制度や企業社会だけでなく、個人の経済、精神生活の深いところまで壊されていることの現れであり、また、今の小泉政権が、国民に犠牲を転嫁し、「米日多国籍金融軍需独占大企業利益優先型政治」というとんでもないレールの上を突っ走ってきたことの証左でもある。今回の郵政民営化をめぐる解散総選挙、自民党分裂という小泉内閣の暴挙も、敢えて言えば「米日多国籍金融軍需独占大企業利益優先型政治」のフリーハンドを持たなければ、近づく破綻、崩壊を防げないという深い危機感、焦燥感のなせる技に違いない。その意味では、今回の前代未聞の解散総選挙は、小泉なりの型破り、八方破れ解散という他ない。

 一方、笹森会長就任以来の連合改革運動については、私も連合東京の一執行委員としての責任を自覚し、第三者的な評価ではなく、この拙文をもって実践的な提言を試みているものである。今私の前には、連合評価委員会の最終答申が置かれている。最近、読み返したのは、4月8日のこと。笹森会長が、連合アクションルートパート2で私の所属している労供労連の拡大執行委員会に参加された時である。

 その時、笹森会長が提示した日本の労働運動の置かれている厳しさを表す数字が、今も印象に残っている。それは、労働組合の組織率が19.6%とはいっても、厳しい実体を把握する数字としてはまだ甘い。実は、日本全体の約99%の企業に労働組合がないという現実があり、圧倒的多数の労働者が、民主的な労働組合のカヤの外に置かれているということだった。そして、その傾向は1990年代以降のバブル崩壊から失われた10年といわれた深刻な不況時代に急速に進行した。所謂リストラ首切り、非典型労働者への切り替えが進み、低賃金、無権利、不安定化が、全労働者の3分の1に上るという深刻な状況である。こうした中で、「企業別組合主義から脱却し、すべての働く者が結集できる新組織戦略を」というのが、2年前に出された連合評価委員会の最終答申だった。

 そして、第8回大会でも「すでに企業別労働組合が、機能し、力を発揮できる時代ではなくなっている。その限界を克服し、未組織の中小・地場産業で働く人や『非典型』労働者など、より弱い立場にある人たちと共に闘う労働運動に変わることが必要だ。」と提言を受けた。しかし、この評価委員会の提言に応えることの困難さは、連合結成にいたる戦後労働運動の歴史経過と結成後の運動展開の中心にいた笹森会長が、誰よりも痛感していたことだろう。それだけに笹森会長ほど全国、全産別をはじめ労働組合の枠を越えて国民各層との対話、交流活動を展開した会長はいなかったし、連合版ハローワークや保育所、介護センター、コミュニティセンター設立などの事業展開に挑戦し、そして個人加盟の全国ユニオンの加入、パート労働者の組織化と賃上げ要求などの実践的成果を上げてきたのは、改革への強い決意とリーダーシップがあればこそと評価したい。

 しかし、例えば、巨象に対して、こま鼠のようなすばやい動きを求めることが無理であるように、古典伝統芸能が型伝承を基本価値とするように、また、相撲や将棋も得意な勝負型を持つことから強くなるように、連合に参加している「比較的恵まれている労働者を組織している企業別労働組合」の型を破ることは容易に出来るものではない。従って、「連合が変わる、社会が変わる」ことの難しさはそれこそ半端ではない、という厳しい現実認識に立って、今こそ型破り、八方破れ的実践に挑戦すべきだろう。

4.RE-NGOの原点と誇りをもって

 出口や解決法が見えない困難な状況の中を進んでいくためには、原点に立ち戻ることからやり直すのがセオリーである。そして、心の核に誇りと理想をしっかりと据えて、プラススパイラル効果を目指して試行錯誤を恐れない勇気と元気を持続させていくとこである。新運転が、日本の労働運動の中で超少数ではあっても、国家権力、資本、そして政党からの独立というかつての新産別の掲げた戦闘的労働組合主義の基本原則に立ち戻り、労働者供給事業の新たな事業展開に突き進んだように、連合本体の型破り運動にもそうした原点と誇りが求められているのではないだろうか。

 弱者同士の助け合いが労働運動の原点であり、全ての働く仲間の要求実現と社会的弱者の救済に全力を上げようというスローガンが、連合で強調されているのも、その意味において確認されなければならない。また、数年前から強調されていたことで、連合をアルファベットで書くと「RENGO」となり、NGOを再生させるという意味にも読めるという書き換え、読み替えがあった。この場合のNGOは、最近流行りのNPOをも含んでいることは言うまでもない。この点について、私は長年沖縄関係の市民運動、つまり一種のNGOに関わってきた者として、えらく感激したと同時に連合の未来像が従来の労働組合の枠から幅広いNGOへと広がる可能性を見た気がしたものだった。

 そう考えると、連合は組織人員、専従職員、財政規模、運動内容などどれをとっても、日本で最大のNGOということである。だからこそ、国会議員や地方議員、国や自治体などの行政機関、経団連など企業体に一定の影響力を持ち、国民的な政策、制度の諸要求を実現することを期待されているし、国際連帯にも大きな力を発揮して来たのである。

 このように連合の原点と誇りを再確認できれば、それをしっかりと核にして次の段階である核分裂的な型破り、八方破れのプラススパイラルに向かう実践へと力強い一歩を進めることが求められる。つまり、日本一のNGOに相応しく、労働組合を基盤にしながらも、企業内労働組合の枠を超えた社会的な事業展開が求められているのだ。「塀の中の懲りない面々」から従来の労働運動の枠を超えた事業展開に踏み出すことによって、ベルリンの壁ほど厚いわけのない企業の壁を越えることが出来るのだ。  

 そのためには、労働組合を含むNGOこそが社会変革の主体であるという確信に立ち、優秀な経営感覚を持った運動家と運営資金を供給することである。

 私は、新運転の役員と前述した沖縄の平和運動に加えて平和フォーラムの運営委員にもなっている。その中で、平和、人権、環境、福祉などの広範な課題に取り組む多くのNGOと連携、共闘をしてきた。そして、それらのNGOは、取り組んでいる課題の多さと困難さに比べて、慢性的な人手不足と資金不足に悩まされていることを身につまされて知っている。NGOの活動家の大半は、職業を別にもって自活しながら運動に関わるという非常に限定された環境に置かれている。所謂無給のボランティアは当然で、逆に生活費を削って活動資金に回す場合が多い。実は、こうした状況が日本の市民運動、NGO活動の弱さという結果の悪循環をもたらしているというのが、私の実感である。

 過酷な条件に負けないで活動を続けるアマチュアリズムではなく、実際に生きがいと活動が直結して生活できる力強いプロフェッショナルな、平和、人権、環境、福祉のプロデューサーを、一人でも多く生み出さなければならない。それも青年女性たちが主体となって活動できる環境が必要である。

 そうした広範なNGOとの連携を起点にして、まさにRE-NGO運動に取り組むことが、日本の労働組合運動の型破り的な拡大への道を拓くものだと、私は確信する。そして、こうした取り組みと同時に、この間強調されてきた職場におけるパート、アルバイトなどの非典型労働者の組織化も勿論大事なことである。その延長線上に見えるのは、企業内労働者と非典型労働者、そして労働組合の枠外のNGOに携わる所謂市民、事業家の大連合という企業を超えた大きなネットワークである。では具体的な取り組みはどうすべきだろうか。この点については、評価委員会の答申に沿うべく努力されてきた取り組みをより拡大し、思い切って前進するということを、私も支持している。しかし、例えば提案されている「連合行動基金」も是非実現して欲しいと思う一方で、基金の行く先は型破りではあっても、肝心の基金の出どころが「スト資金」では、企業内労働組合の枠を超えるという発想とは言えないのではないかというのが率直な印象である。

 これから連合が果たすべき役割のポイントは、連合が基軸となって前述した非典型労働者、労働組合員ではない市民、事業家などの大連合を組織し、運動、事業を起こすことである。とするならば、連合行動基金も企業別、産別の持つ総資産のごく一部を運用することを軸にすえた上で、より幅広い自主参加型の基金創設を呼びかけるというのはどうだろうか。

 世の中には、赤い羽根募金や宗教団体の義援金募金など既成の自主参加型基金がある中で、連合が呼びかけたらどうかということである。例えば一日一円、360日基金運動を連合700万組合員が取り組めば、それだけで25億以上の基金が出来る。その趣旨を前述したような社会変革への自主的参加ということで幅広く呼び掛ければ、文字通り国や行政、企業に頼らない労働組合主導の国民的な事業展開が可能になる。その力は、現在の行き詰った企業中心社会の型を破り、公平、平等な非営利セクターの主導する社会変革を実現するものと確信する。


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