アンドルー・ゴードン著、二村一夫訳
『日本労使関係史 1853-2010』

岩波書店
定価8000円+税
2012年8月

評者:鈴木玲(法政大学 大原社会問題研究所教授)


 本書は、1985年に刊行されたThe Evolution of Labor Relations in Japan: Heavy Industry, 1853-1955 (Harvard University Press)の翻訳で、55年以降から最近までの労使関係の展開を論じた2章(11章、12章)が加筆されている。日本の工業化の開始から工業化の本格化を経て脱工業化に至る約160年間の労使関係の形成・発展・変化を分析した、500頁を超える大著である。著者のゴードン氏(ハーバード大学歴史学部教授)は、造船・鉄鋼・電機産業の企業の労務管理や労働運動に関する原資料を詳細に調査し、労働者、経営者、および政府の官僚の紛争を伴った相互関係を描き出した。本書の長期のスパンにおよぶ歴史的叙述に通底するのは、経営者の労務政策や政府の労働政策とともに、社会的地位の承認を求めた労働者の「モラル・エコノミー」(道徳経済)が労使関係の形成・発展に重要な役割を果たしたことである。
第Ⅰ部「産業革命期の労働者と経営者」(1~3章)は、工業化が始まった徳川時代末期から重化学工業化が本格化した第一次大戦(1910年代)までの時期をあつかう。これらの章は、19世紀末までは労働者が工場の規律に馴染めず工場間を頻繁に移動したこと、経営者が労働者を直接に監督せず親方制を通じた間接管理を行ったこと、20世紀初めに経営者が労働者の直接的管理に乗り出し「温情主義」という経営イデオロギーを強調するようになったこと、直接管理に伴い起きた労働者と経営者間の紛争に対して労働者がストライキあるいは労働組合結成などによって労働条件や処遇の改善(「温情主義」が内実を伴うようにする要求)を経営者に求めたことを指摘した。
第Ⅱ部「労働者と経営者―戦間期における雇用制度」(4~6章)は、1920年代から30年代初めにかけての時期における重工部門企業の労使関係の形成と変容を、主に労働者と経営者の紛争を伴う相互関係を通じて検討する。4章は、労働者の一企業への定着(長期雇用)が部分的に始まったものの「景気が失速すると当然のように解雇があり、その際、長期勤続者が対象外となる保証はなかった」こと、解雇をめぐる労働争議が数多く起きたため20年代末までに経営者が解雇に対してやや慎重になったことなどを指摘した。賃金制度をあつかった5章は、昇給が不定期で昇給額や昇給の対象者も経営者が恣意的に決める傾向にあったこと、労働者が経営者に対して定期昇給を求めたものの、定期昇給の導入が限定的で景気に左右され制度化されなかったことなどを指摘し、「年功賃金」がこの時期に大企業で導入され始めたという通説を批判した。6章は、20年代の京浜地区の製鉄所、造船所、電機工場での労働組合結成、経営者の対抗措置(「会社組合」「右翼組合」の育成、組合の弾圧、工場委員会の設立など)による労働組合の工場からの消滅、および労働者が組合結成を通じて訴えた根本的な要求(人間として価値を認めた処遇、企業の構成員としての地位の要求)について検討した。著者は、第Ⅱ部で描かれた労働者の諸要求が仮に実現していたら、第2次大戦後の「日本的雇用関係」(現業労働者と職員の身分差別撤廃、年功賃金、雇用保障など)が戦間期に成立していたかもしれないと論じた。
第Ⅲ部「戦時の労使関係と政府」(7~8章)は、30年代後半から1945年までの戦時期における政府による労働市場の統制(労働移動の規制など)や雇用関係への介入(賃金統制や産業報国運動など)および戦時下の職場の実態について検討する。第Ⅲ部の内容で重要なのは、政府の戦時労働政策が生活賃金や定期昇給、企業内福利厚生施設などの第2次大戦後の「日本的雇用関係」の原型となる制度の導入を促進したこと(実際にどの程度これらの制度が実現されたのかは別の問題)、産報体制の下での労使一体の戦争協力という建前に拘わらず労働者が頻繁な転職やサボタージュで経営者の不当な扱いに抵抗していたことである。
第Ⅳ部「戦後の決着」(9~10章)は、第2次大戦後の民主改革で相次いで結成された労働組合の経営権に対する攻勢、40年代末からの経営者の労働攻勢に対する巻き返し、そして労使の攻防の結果成立した雇用慣行を検討する。9章は、労働組合が経営協議会を通じた企業の意思決定への参加、工員・職員のカテゴリー(身分制度)の廃止、「年齢・生活費・物価・インフレ」を反映した賃金決定、一定額の賞与の支払いなどを獲得し、長年追求していた「職場における地位やその参加の在り方」の改革をある程度実現したことを指摘した。10章は、経営権の復活により労働協約が改定され労働組合の経営に対する発言権が弱まったこと、生産性・支払い能力に基づいた「賃金三原則」の提唱による賃金決定における経営者の攻勢、経営側が進めた企業整備(雇用削減)をめぐる長期にわたる激しい争議の多発を指摘した。賃金や雇用をめぐる労使の対立・妥協の結果、50年代末までに「経営側の自由裁量と組合の関与、主観的評価と客観的規準」が結合した賃金制度、過剰人員を解雇ではなく配転で対応する雇用慣行が、少なくとも大企業の男性労働者に適用されるようになった。
第Ⅴ部「労使関係-高度成長期とその後-」(11章、12章)のうち11章は、原著の事例の一つであった日本鋼管の労働組合と労使関係の「その後」について検討した。同社の労働組合は、職場活動を活発に展開し、賃上げでは57年と59年に長期にわたるストライキを実施して、経営者と対立した。しかし、これらの争議で労働組合が敗北すると、労働組合内部で「会社派」の影響が強まり70年代までには労使協議制度に基づいた協調的労使関係が確立した。その下で、労使の間で配転や転籍を含めた男性組合員の雇用の保障、および勤続年数に加え能力評価に基づいた賃金体系(職能給)が制度化された。12章は、まず「日本型労使関係」についての研究者の肯定的、批判的評価を検討した。筆者は、企業社会の長時間労働、過密労働、ジェンダー差別などの負の側面を強調する批判派に近い立場をとった。12章はまた、90年代以降の労働環境が大きく変化したものの(とくに非正規労働者の急増や正規労働者の縮小と雇用不安定化)、正規従業員の整理解雇や景気悪化に応じた非正規従業員の大量解雇が社会的な非難を引き起こすと論じた。著者は、その理由として、歴史的に形成された雇用の安定を求める社会規範(モラルエコノミー)が依然多くの日本人に共有されていることを指摘した。
この書評は、大著を手短に纏めたため、本書が描く労働者、経営者、政府の労使関係の在り方をめぐるダイナミックな相互関係を十分描くことができなかった。日本の労働運動や労使関係の大河の源流から下流まで辿ることに関心ある方は、是非本書を読んでダイナミックな物語を味わってほしい。


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